学年だより「幸福の製造装置(1)」
何のために勉強するのか。何のために大学に行くのか。
個々人それぞれの事情に応じた様々な答え方があるだろう。
共通して言えるのは、ものすごく雑な言い方かもしれないが、「幸せになるため」と答えるのが一番適当ではないか。
もちろん、人によっていろんな幸せの形がある。
おなかいっぱい好きなものが食べられること、クーラーのきいた部屋でマンガを読むこと、ふとんにぬくぬくとくるまること、ディズニーランドで思い切り遊ぶこと、好きな人と夕焼けを見つめること、部活あとの炭酸水、LINE返信のハートマーク、へとへとになるまで勉強できたこと、チャレンジ校の見事合格 … 。
ほんの一昔前までは、雨露をしのげたり、空腹でないというだけで人々が幸せを感じる時代があったのも事実だ。世界のあちこちに目を向ければ、未だにそれさえままならない人たちはいる。
いや、昔や、よその国を例に挙げずとも、ほんの数年前に起こった大震災を思い浮かべるなら、「幸せ」というものがいかにもろく、はかなく、大切なものであるか想像できるだろう。
学年集会で話したように、住むところも食べる物も着るものの心配もなく、自分の目標に向かって好きなだけ勉強していい毎日というのは、奇跡的に幸せなことだ。
その奇跡は、今、この国で、みなさんの保護者が作ってくれた土台に上に成り立っている。
この先みなさんが自立していくための重要な土台作りの一つが、大学進学だと言えるだろう。
それは幸せになるための土台づくり、つまり「人生のインフラ整備」だ。
~ ひとは金融資産、人的資本、社会資本を「運用」することで“富”を得ています。金融資産は(不動産を含めた)財産、人的資本は働いてお金を稼ぐ能力、社会資本は家族や友だちのネットワークのことでした。この3つの資本=資産の合計が一定値を超えていれば、ひとは自分を「貧困」とは意識しません。逆にいえば、これらをすべて失った状態が「最貧困」です。 (橘玲『幸福の「資本」論』ダイヤモンド社) ~
たとえば、社会における自分の価値を高めると、それによって利益を得ることができる。
仕事仲間、友人や家族、地域社会の人々とのネットワークなどの絆を強くすることで、自分の存在意義を見いだすという利益を得ることができる。
これらの利益を「富」と言い表すならば、富と幸福とはほぼイコールの関係になる。