学年だより「幸福の製造装置(2)」
大きな金融資産を持ちながら友達(社会資本)の少ない人もいれば、金融資産を持たず収入も少なくても強固な地元のネットワークのなかで生きる人もいる。
人的資本(自分の能力)を有する人は、そうでない人より自由に生きられる可能性が高くなる。
資産がなくても、日々の生活に困らず友達がいて彼女がいる人はまさに「リア充」だ。
金融資産、人的資本、社会資本のすべてを十分にもっている人は、現実にはほとんどいないだろう。人によって持ち方がまったくちがうこれら三つの「資本・資産」をどう運用するかによって、利益の得られ方、つまり幸福のあり方は異なってくる。
~ ひとつだけ確かなことがあります。インプットがゼロであれば、幸福というアウトプットもゼロになるほかない、ということです。「退職者」が金融資産を騙し取られたり、人的資本しかない「ソロ充」が失業したり、社会資本だけの「プア充」が友だちを失ったり……。これはどれも、「人生の転落物語」のよくあるパターンですが、彼らが不幸なのは、幸福の製造装置にインプットするものがなくなってしまうからなのです。
このことから、資本をひとつしか持っていないと、ちょっとしたきっかけで貧困や孤独に陥るリスクが高くなることがわかります。それに「対して2つの資本を持つことができれば、人生の安定度ははるかに増すでしょう。ただし3つの資本=資産を同時に持つ「超充」になることはおそらく不可能です。 (橘玲『幸福の「資本」論』ダイヤモンド社) ~
人生のインフラ整備とは、これらの「資産・資本」を充実させようとする努力をさす。
大学は「金融資産」を増やす場ではない。逆に大きな資本投資を必要とする。
しかし、そこで得られる「人的資本」「社会資本」は大きい。
大学生活を漠然ととらえるのではなく、このように「戦略的」にとらえる視点は大切だ。
だから、就職のためという発想ではなく、学びたいことを学ぶために学部・学科を選び、自分そのものを価値を高めたい。入れそうなところではなく、少しでも難関と言われるところを目指した方が、大きな社会資本を手に入れる可能性が高い。
現在の奇跡に本当に感謝するなら、そこに甘んずることなくさらに大きな幸福を製造できる人を目指すべきだ。その土台をもとに、多くの人に奇跡を分け与えられる男になれるからだ。