水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

見返り

2020年02月01日 | 学年だよりなど
2学年だより「見返り」


 なかなか頑張れない理由の一つに、「がんばっても結果が出るかどうかわからない不安」とでもいうようなものの存在はあるかもしれない。「努力は裏切らない」という言葉にとらわれすぎてはいけないと、イラストレーターのハ・ワン氏は言う。


 ~ 努力は、必ず報われるわけじゃない。
 ただ、それだけの話だ。「そんなバカな!」と腹を立てる気持ちも十分わかる。その事実を知ったとき、正直、僕も腹の虫がおさまらなかった。
 しかし、そんな憤りを軽くするすべはわかる。憤りつつも“認める”ことだ。
 努力してもどうにもならないとが、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある。
 この現実を認めれば、苦しみから少しは解放されるだろう。
 自分が“こんなにも”努力したのだから、必ず“これくらい”の見返りがあるべきだという思考こそが苦悩の始まりだ。
 見返りとは、いつだって努力の量と比例して得られるものではない。むしろ努力の量よりも少ないか、またはより多いものである。時には見返りがないことすらある。残念だが真実だ。
 もしまわりに、たいした努力もせずに大成功している人がいたら、非難したりせずに受け入れよう。それこそが、自分も努力以上の大きな成果を得られたり、努力せずに良い結果を収められるということだから。そう考えれば、嫉妬に苛まれる必要もなくなる。 (ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』ダイヤモンド社) ~


 もう一つは、「結果」そのものの捉え方だ。
 試合に勝つ、インターハイに出る、難関大学に合格する、有名企業に就職する、大金持ちになる、社会的地位を手に入れる……。
 数字や形ではっきり示されるものを、私たちは「結果」と考えがちだ。
 目に見える結果が出るか出ないかだけが基準になると、思うような結果が出なかったとき、自分のやってきたことが「ムダ」だったと思えてしまうかもしれない。
 では、試合に負けたらそれまでの努力はムダだろうか。
 どうせ負けるのならと、棄権する方がお利口な人生なのか。
 受かりそうにない大学は、最初から目指さない方が得なのか。
 ふりむいてくれそうにない美女には声などかけない方がいいのか。
 そういう人生を選びたいならそれでもいいが、さびしくはないだろうか。
 思い切ってチャレンジしたからこそ得られるものが、ある。
 目に見えるもの、形として残るものを手に入れられなくても、別の「何か」が残る。
 その方が人生にとって大切なものである場合は実は多い。
 努力と結果は正比例でないように外部からは見えても、それなりに報われているものでもある。
コメント
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