2学年だより「立体的時間」
「学年+2時間」の学習時間が必要ならば、みなさんは四月から5時間勉強しないといけない。
A君は、毎日部活があり、最終の大宮バスで下校する。大宮駅から自宅まで45分かかるので、食事・入浴を45分ですませたとしても勉強開始は21時、そこから5時間勉強すると26時。朝6時に起床しないといけないから4時間睡眠……。これは本当に実行したら失敗するパターンだろう。
部活を最後までやりきろうとしたら、平日5時間は不可能だ。
だからといって「じゃあ、部活をやめるしかない」と発想する人も、おそらく成功するのは難しい。思考の仕方が幼なすぎるからだ。
そもそも学校の先生に言われたことを、自分の頭で咀嚼することなく無邪気に受け入れること自体が子どもだ。「日常の問題を自分で論理的に考える」方向性をめざす共通テストの志向とも真逆だ。
最低でも「平日5時間は無理だから、土日に多めにやろう」ぐらいの発想は必要だろう。
たとえば学年末試験の後は、かりに部活が丸一日あったとしても、帰宅して5、6時間勉強することはたやすい。春休みにやりだめしておこうと思えば相当できる。
寝だめはできないが、勉強はやった分だけ蓄積される。
しかし現実には、3年になったら大変だという人ほど、授業のない時期にのんびりしているという例を、過去多くみてきた。
「毎日」「自宅で」「自分の机で」「余裕で」5時間勉強できる人など、現役生にはそんなにはいないものだ。
「自分の机でする勉強」のみが受験勉強ではない。これを「授業時間以外に自分でする勉強のすべて」を「自宅学習」と設定するだけでも、ずいぶん様相は変わってくる。
A君の場合なら、バスの中、電車の中で暗記ものをやれば1時間ぐらい稼げる。
登校後の時間や、昼休み、部活開始前などを積み重ねれば、さらに小一時間しぼり出せるのではないか。これらは、まとめるとスキマ時間の活用ということになるだろう。
これ自体かなり有効な考え方だが、「スキマ」だけあって限界がある。
わたしたちは、時間の使い方を可視化するとき、帯グラフや円グラフを書く。
自分のスケジュールを見ながら、何時から何時までをもっと有効に使いたいとか、これ以上は難しいとか考えるが、これは縦x×横y(or半径×半径だっけ?)の面積的な時間の把握だ。
ここに「深さ(「高さ」でもいいけど)」という三次元目を付加して考えてみよう。
朝7時から8時の一時間(a)と、午後2時から3時の一時間(b)は、グラフの面積は同じだ。
しかし、脳の働きという変数(z)をさらにかけ算してみると、aとbの値は大きく変わる。
「深さz」を決めるのは、脳の働き具合いだからだ。
偏差値70の人の一時間と30の人の一時間では、その中身が全然違いそうなことは予想できるだろう。実は、自分自身の中でも、時間帯によって70になったり30になったりするのだ。
「x×y」の値はすべての人間に平等だが、zの値は無限に変わりうる。
「学年+2時間」の学習時間が必要ならば、みなさんは四月から5時間勉強しないといけない。
A君は、毎日部活があり、最終の大宮バスで下校する。大宮駅から自宅まで45分かかるので、食事・入浴を45分ですませたとしても勉強開始は21時、そこから5時間勉強すると26時。朝6時に起床しないといけないから4時間睡眠……。これは本当に実行したら失敗するパターンだろう。
部活を最後までやりきろうとしたら、平日5時間は不可能だ。
だからといって「じゃあ、部活をやめるしかない」と発想する人も、おそらく成功するのは難しい。思考の仕方が幼なすぎるからだ。
そもそも学校の先生に言われたことを、自分の頭で咀嚼することなく無邪気に受け入れること自体が子どもだ。「日常の問題を自分で論理的に考える」方向性をめざす共通テストの志向とも真逆だ。
最低でも「平日5時間は無理だから、土日に多めにやろう」ぐらいの発想は必要だろう。
たとえば学年末試験の後は、かりに部活が丸一日あったとしても、帰宅して5、6時間勉強することはたやすい。春休みにやりだめしておこうと思えば相当できる。
寝だめはできないが、勉強はやった分だけ蓄積される。
しかし現実には、3年になったら大変だという人ほど、授業のない時期にのんびりしているという例を、過去多くみてきた。
「毎日」「自宅で」「自分の机で」「余裕で」5時間勉強できる人など、現役生にはそんなにはいないものだ。
「自分の机でする勉強」のみが受験勉強ではない。これを「授業時間以外に自分でする勉強のすべて」を「自宅学習」と設定するだけでも、ずいぶん様相は変わってくる。
A君の場合なら、バスの中、電車の中で暗記ものをやれば1時間ぐらい稼げる。
登校後の時間や、昼休み、部活開始前などを積み重ねれば、さらに小一時間しぼり出せるのではないか。これらは、まとめるとスキマ時間の活用ということになるだろう。
これ自体かなり有効な考え方だが、「スキマ」だけあって限界がある。
わたしたちは、時間の使い方を可視化するとき、帯グラフや円グラフを書く。
自分のスケジュールを見ながら、何時から何時までをもっと有効に使いたいとか、これ以上は難しいとか考えるが、これは縦x×横y(or半径×半径だっけ?)の面積的な時間の把握だ。
ここに「深さ(「高さ」でもいいけど)」という三次元目を付加して考えてみよう。
朝7時から8時の一時間(a)と、午後2時から3時の一時間(b)は、グラフの面積は同じだ。
しかし、脳の働きという変数(z)をさらにかけ算してみると、aとbの値は大きく変わる。
「深さz」を決めるのは、脳の働き具合いだからだ。
偏差値70の人の一時間と30の人の一時間では、その中身が全然違いそうなことは予想できるだろう。実は、自分自身の中でも、時間帯によって70になったり30になったりするのだ。
「x×y」の値はすべての人間に平等だが、zの値は無限に変わりうる。