3学年だより「カルチベート(2)」
それは勉強でなくても、いい。
本を読んで心動かされる一節や言葉に出会うことでもいい。
映画の一場面に涙したり、美しい音楽に身をゆだねたりすることでもいい。
どうしても仲良くなりたい人に振り向いてもらえないことや、目標に向かって努力してそれが叶わずに涙する経験でもいい。
心を耕し、頭を耕し、体を耕す。
それらは学生時代の大切な目的であり、その経験を積んだ人は、大人になっても耕し続けられる可能性が高い。
「耕す」は、「自分を変える」と言い換えてもいいかもしれない。
みなさんは、昨年「動的平衡」を勉強した。
生きるとは自分の分子を入れ替え続けることだと。
食べられなくなったとき、排泄できなくなったとき、つまり分子の入れ替えができなくなったとき、人は死を迎える。
分子を入れ替えるとは、もとあるものを壊して、新しいものに変えていく作業だ。
福岡伸一先生はそれを、「守られるためには絶え間なく壊されなければならない」と表現した。
それこそが生命の秩序だ。
「壊す」と「カルチベート」とは、実は同じことなのだ。
身体としての生命を守るために「壊」し続ける必要があるのと同じで、人として生きていくために「カルチベート」し続けなければならない。
知識を身に付けること、新しい解き方を学ぶこと、知らなかった単語を覚えること……。
すべて自分を変える作業だ。
自転車の乗り方、ボールの蹴り方、泳ぎ方、絵の描き方、音の出し方を身に付けることで、新しい自分に変われるのと同じだ。
「知識を詰め込むだけの勉強は本当の勉強ではない」と言う人もいるが、「詰め込む」という表現に値するほど詰め込んだ人は、脳の中身が変わっている。
あきらかに思考の質があがる。
「詰め込みは意味がない」と言って勉強しない人は、変化がない。
自分が変わりたかったら勉強すればいいし、今のままでよければ勉強しなくていい。
それだけのことだ。
それは勉強でなくても、いい。
本を読んで心動かされる一節や言葉に出会うことでもいい。
映画の一場面に涙したり、美しい音楽に身をゆだねたりすることでもいい。
どうしても仲良くなりたい人に振り向いてもらえないことや、目標に向かって努力してそれが叶わずに涙する経験でもいい。
心を耕し、頭を耕し、体を耕す。
それらは学生時代の大切な目的であり、その経験を積んだ人は、大人になっても耕し続けられる可能性が高い。
「耕す」は、「自分を変える」と言い換えてもいいかもしれない。
みなさんは、昨年「動的平衡」を勉強した。
生きるとは自分の分子を入れ替え続けることだと。
食べられなくなったとき、排泄できなくなったとき、つまり分子の入れ替えができなくなったとき、人は死を迎える。
分子を入れ替えるとは、もとあるものを壊して、新しいものに変えていく作業だ。
福岡伸一先生はそれを、「守られるためには絶え間なく壊されなければならない」と表現した。
それこそが生命の秩序だ。
「壊す」と「カルチベート」とは、実は同じことなのだ。
身体としての生命を守るために「壊」し続ける必要があるのと同じで、人として生きていくために「カルチベート」し続けなければならない。
知識を身に付けること、新しい解き方を学ぶこと、知らなかった単語を覚えること……。
すべて自分を変える作業だ。
自転車の乗り方、ボールの蹴り方、泳ぎ方、絵の描き方、音の出し方を身に付けることで、新しい自分に変われるのと同じだ。
「知識を詰め込むだけの勉強は本当の勉強ではない」と言う人もいるが、「詰め込む」という表現に値するほど詰め込んだ人は、脳の中身が変わっている。
あきらかに思考の質があがる。
「詰め込みは意味がない」と言って勉強しない人は、変化がない。
自分が変わりたかったら勉強すればいいし、今のままでよければ勉強しなくていい。
それだけのことだ。