次の文章(内田樹『おじさん的思考』より)を読み、後の問いに答えよ。
私たちは「自分を傷つけたい」という倒錯した欲望を抱え込んで生きている。だから、a〈 自分の身体を傷つけることになると私たちはとたんに勤勉になる 〉。酒を呑(の)み、煙草(たばこ)を吸い、身体に悪い食べ物を腹一杯に詰め込み、倒れるまで働き、倒れるまで遊ぶ。
「適度に酒を呑み」「適度な運動をし」「腹八分目に食べて」というようなことを気楽に言ってくれる人がいるが、これは実にb〈 困難な 〉要請であると言わねばならない。それは「適度」ということが人間の本性にそもそも反しているからである。
経験から言えることは、「気持が悪くなるまで呑む」方が「控えめに呑む」より容易である。「腹一二分目に食べること」の方が「腹八分目に食べる」より容易である。
このような人間のあり方を私は「身体に悪いことをする方が、身体によいことをするよりも人間の本性にかなっている」というふうにまとめたいと思う。どうしてそんな本性が人間には備わってしまったのか、私にはうまく説明できない。説明できないけれど、そのような本性が備わっている以上、それはおそらくは私たちの「類的宿命」の一部なのであろう。
自分の身体を壊したいという欲求と同じく、私たちは心のどこかに「地球を壊してしまいたい。人類を滅ぼしてしまいたい」という暗い欲求を抱え込んでいる。〈 ① 〉 、私たちはそういう想像をするのが大好きだ。
宇宙からの侵略者が人類を皆殺しにする話も、致死性のウイルスが世界に蔓(まん)延する話も、彗(すい)星が地球に衝突する話も、火山が大都会で爆発する話も、津波が都市文明を呑み込む話も、熱帯雨林がなくなってしまう話も、緑の大地が砂漠化してしまう話も、極地の氷が溶けて世界中が水没してしまう話も、オゾン・ホールから紫外線が照射してきて全人類が癌(がん)死する話も、私たちは大好きだ。〈 ② 〉 、(注)ハリウッドのプロデューサーたちはそういう映画にはいくらでも金を出す。
子どもたちもその種の(注)カタストロフが大好きだ。劇場版の『ドラえもん』はすべて地球滅亡の危機が、のび太とドラえもんの活躍で、危機一髪のところで回避されるという物語である。子どもたちが好きなのは「みんながしあわせに暮らす話」ではなく、「 〈 c 〉 」なのである。
これらの「地球滅亡危機一髪」話に共通するのは、主人公たちの並外れた強運と奇跡的な偶然によって、かろうじて危機が回避された、という説話構成である。危機は「たまたま」回避されたにすぎぬのであり、本質的な危機は、つねにいまもそこにある(だからこそ、多くのパニック映画では、その災厄が再び私たちを訪れる「予兆」がラストシーンに示されている)。
人間は個体のレヴェルにおいても、類的レヴェルにおいても、「滅ぶべきものである」。私たちは個体としては必ず死ぬし、人類もあと何億年かのちにはかげもかたちもなくなっているだろう。〈 ③ 〉 、そのことを私たちは日常の営みのなかでは忘れている。明日も自分は生きているだろうし、来年も地球はあるだろう、というd〈 幸福な健忘症 〉のうちで私たちは安らいでいる。
「体に悪いこと」をする私たちの(注)嗜癖は、あるいは「私たちは死すべきものである」という悲痛な事実を私たちに思い出させることをその任としているのではないだろうか。私たちが自分の身体を執拗(しつよう)に、傷つけ、壊すのは、逆説的なことだが、「私たちはまだ死んでいない」ことを確認するためなのではないか。
私の旧友「小口のかっちゃん」は医者のくせにヘビースモーカーで酒飲みである。彼は「美味しく煙草を吸ったり、お酒を呑んで愉(たの)しく酔いつぶれるためには、人は健康でなければならない」という考えの持ち主である。「不健康に生きるためにはまず健康であることが必要なのである」という彼の持説はe〈 私にはたいへん説得力がある 〉。
人間は「人類を滅ぼす」テクノロジーが理論上可能になった瞬間、そのテクノロジーを実用化せずにはいられなかった「たまらん」生き物である。それは、私たちが構想しうるいちばん恐ろしい想像を具体的に、ものとして、見たい、触れたい、と思わずにはいられないからである。私たちは恐ろしいものから目をそらすことができない。本当に怖いものは、視線の届く範囲、手の届く範囲にあるほうが気が楽なのである。
核兵器は「地球の滅亡」という悪夢の具体的なかたちである。
核兵器を使用すれば人類は滅びるという想像に耐えながら、あえて発射ボタンを押さないでいるときはじめてf〈 私たちの「存在実感」に細々とした明かりがともる 〉。私たちはそのような度(注4)し難い生き物なのである。自分たちがそういう生き物であることを素直に認めよう。
このボタンを押したら、どういうふうに都市が融(と)けて、文明が滅びて、人間が死に絶えるのか、ということについてあたう限りの想像力を駆使し、それを繰り返し繰り返し図像化し、物語化しては人々は胸ふたがる思いと同時に、胸ときめく思いも味わってきた。そして、「地球の壊滅」をできる限りリアルに想像すること、「人類の終わり」についての目を覆わんばかりに悲惨な光景を描き出すことのg〈 「愉しみ」 〉が、核戦争の勃発(ぼっぱつ)をかろうじて食い止めてきた。私はそんなふうに考えている。
逆のケースを考えて見れば納得がゆくだろう。
もし、核兵器を持った人々に「地球の滅亡」や「人類の終焉(しゅうえん)」を絵画的にリアルに想像し、それを「愉しむ」能力が欠けていたらどうなっただろう。核兵器を使用する前の「ためらい」はずっと軽減されてしまうだろう。
「地球の破壊」や「人類の死滅」という悪夢を見ることはある種の「自傷の快楽」をもたらす。そして逆説的なことだが、この快楽を持続させるためには、とりあえず地球は破壊されてはならず、人類は死滅してはならないのである。それは「不健康な生活を愉しむためには、健康であることが必須(ひっす)」という「小口のかっちゃん」の理説に通じている。
この先も私は身体に悪い嗜癖を手放せないだろうし、人類は地球を破壊しかねないテクノロジーを手放さないだろう。私に健康なことだけをさせようとする説得も、最終兵器を廃絶しようとする運動も、おそらく成功しないであろう。それは「私はいま不意に死ぬかもしれない」という思いだけが、私たちに今を生きている実感を与えてくれるからである。それは毎分毎秒少しずつ死にむかっているという「死の必然性」のゆえにではなく、「いつ死ぬか分からない」という「死の偶然性」ゆえに、今の生命がいとおしいと感じ、h〈 その瞬間 〉にだけ世界が美しく見える人間の「業」のゆえであると私は思う。
注1 ハリウッド … アメリカの映画文化の中心地。
2 カタストロフ … 悲劇的な場面。
3 嗜癖(しへき) … 好みや癖。
4 度し難い … 救いようがない。
問一 空欄①・②・③を補う語の組み合わせとして最も適当なものを選べ。
ア ①現に・②また・③そのうえ
イ ①現に・②だから・③しかし
ウ ①実に・②だから・③そして
エ ①確かに・②また・③なぜなら
問二 傍線部a「自分の身体を傷つけることになると私たちはとたんに勤勉になる」とあるが、このような行動をとってしまう理由として最も適当なものを選べ。
ア 人間は自らの体験により身体によいことか悪いことかを判断する生き物だから。
イ 人間は自分の身体を傷つけることで精神の安定をはかろうとする生き物だから。
ウ 人間はよいことにも悪いことにもつい真面目に取り組んでしまう生き物だから。
エ 人間はもともと身体に悪いことをしたいという欲望をもっている生き物だから。
問三 傍線部b「困難な」とあるが何が「困難」なのか。最も適当なものを選べ。
ア 他人に対して「適度」な生活を気軽に勧めること。
イ 他人の忠告にしたがって「適度」な生活をすること。
ウ 自分の気持ちにしたがって「適度」な生活をすること。
エ 自分を「適度」に傷つけたいという気持ちを振り払うこと。
問四 空欄cを補う最も適当なものを選べ。
ア みんなが死にそうになる話
イ みんなが危機から逃げる話
ウ みんなで危機に立ち向かう話
エ みんなで幸せを探し求める話
問五 傍線部d「幸福な健忘症」とはどういうことか。最も適当なものを選べ。
ア 生きる意味や目的を忘れて日常を過ごすことはごく普通のことであり、そうであってこそ人は幸せであるということ。
イ 自分たちは必ず滅びる存在であるという動かし難い事実は、普段は忘れてしまっている方がかえって幸せだということ。
ウ 人は必ず滅びるという事実を忘れているからこそ、死に直面した瞬間に、生きることの幸福を実感できるのだということ。
エ 生きる意味を忘れてしまうことは一種の病気のようなものではあるが、忘れ方の度合いによっては幸せな場合もあり得るということ。
問六 傍線部e「私にはたいへん説得力がある」とあるが、筆者のこの感じ方はどのような考えに基づいているのか。最も適当なものを選べ。
ア 健康のためだといって自分のやりたいことを我慢して「適度」に生きるなどということは、精神的にはかえって不健康なことなのである。
イ 人間は不健康に生きることこそがその本性であり、不健康な暮らしそのものが人間の存在意義を感じさせる役割を果たしているのである。
ウ 人はどんなに健康に生きていても最終的には死を迎えるのだから、必要以上に健康な暮らしをしようとすることは実は意味がないのである。
エ つい不健康に生きてしまう人間の本性は、自分を傷つけることによって自分が生きていることを確認するという働きを担っているのである。
問七 傍線部f「私たちの『存在実感』に細々とした明かりがともる」とはどういうことか。最も適当なものを選べ。
ア 自分の存在理由を実感できるということ。
イ 自分が恐れているものに気がつくということ。
ウ 自分の将来への希望が見えてくるということ。
エ 自分が死んでいないことを確認できるということ。
問八 傍線部gにおいて、「愉しみ」というようにカギ括弧(「 」)がついている理由として最も適当なものを選べ。
ア 核戦争の勃発をかろうじて食い止めてきた人間の想像力の豊かさは、人間の生存にとって好ましいものでしかも必要なものであるということを強く表現したかったから。
イ 口では核兵器廃絶を唱えながら、実際にはそれを行動にうつすこともせず毎日の暮らしを愉しんでいるように思える人々に対して皮肉をこめた表現にしたかったから。
ウ 地球の壊滅や人類の滅亡を想像することは、決して悲しいことでもなんでもなく人間の根本的な「愉しさ」につながるものであるということを表現したかったから。
エ 人類の終わりを想像することを本来「愉しみ」などとは表現できないが、その際の感情の高ぶりは「愉しみ」とでも言うしかないものであることを表現したかったから。
問九 傍線部h「その瞬間」とはどういう瞬間か。最も適当なものを選べ。
ア 生きている自分を実感した瞬間
イ 死の偶然性を頭で理解した瞬間
ウ 普段忘れている死を意識した瞬間
エ 自分の命をはかなさを感じた瞬間
問十 本文についての説明として最も適当なものを選べ。
ア 人間の様々な具体的行動を健康の観点から改めて見つめ直し、人間の存在意義について深く考えていこうとする文章である。
イ 非常に個人的で身近な話題と人類全体に関わるような話題を考え合わせて、人間の不可解な行動の意味を探ってみようとする文章である。
ウ 身近な話題だけでなく世界的な視野にたって人間の行動を見つめ、核兵器を廃絶することのできない人間のおろかさを批判しようとする文章である。
エ テクノロジーの発達から引き起こされる世界中の様々な出来事を考察することによって、人間の根本的な欲求の意味や働きを明らかにしようとした文章である。
こたえ
問一 イ 問二 エ 問三 イ 問四 ア 問五 イ
問六 エ 問七 エ 問八 エ 問九 ウ 問十 イ
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