学年だより「才能の正体」
「ビリギャル」(『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』角川文庫)で有名な坪田信貴先生は、これまで1300人以上の塾生を指導してきた。
「ビリギャル」の本がベストセラーになると、坪田先生もメジャーになる。講演会の依頼もくる。
そして決まって、「さやかさんは、もともと頭がよかったんですよね」と質問される。
坪田先生は「はい、そうです!」と答える。「みんな、同じように頭がいいのです」と。
そもそも才能とは何か――坪田氏は、学生時代からこのことを考え続け、どうすれば才能を見つけられるのか、伸ばすことができるのか、試行錯誤を繰り返してきたという。
~ いわゆる「才能がある」と言われている人たちがいますよね。彼ら、彼女らには共通点があります。それは、みんな努力をしていることです。
多くの人は、“あまり努力をしなくてもできちゃう人”のことを「才能がある」と言いがちではないでしょうか。
でも、その考え方が根本的に間違っていることに、僕は気づいたのです。
人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭が良くて、脳の構造から見てもとても優秀です。つまりすべての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っているのです。 ~
ただ、その才能をどう見つけたらいいのかが、多くの人はわかっていない。才能をどう伸ばしていいのかも、わからない。むしろ、自分の才能を潰すようなことを、人はしてしまう。
伸びる人と伸びない人との差は、どこにあるのか。
~ たくさんの子どもたちを見てきて言えるのは、勉強のやり方が間違っていたり、うまく継続できなかったり、動機付けができなくて意欲が湧かなかったり……など、いろいろな理由で、上達していかないことがあるんだということです。
いきなり本質的なことを言いますが、自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身につきません。
「才能がある」と言われている人たちは、
“その人に合った”動機付けがまずあって、
そこから“正しいやり方”を選んで、
“コツコツと努力”を積み重ねている。
そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。 (坪田信貴『才能の正体』幻冬舎) ~
私たちは、目に見える結果で判断する。
結果だけを見て、「地アタマがいい人だからでしょ?」「才能のない自分にはできるはずがない」と考えてしまうのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます