水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

物語

2020年06月22日 | 学年だよりなど
  3学年だより「物語」


 センター試験が終わり、藝大一次試験までのおよそ一ヶ月。
 一次試験のデッサンに合格しなければ、二次の専門(油絵、日本画など)には進めないため、この期間は、ひたすらデッサンを描き続けて、八虎たちは試験にのぞんだ。
 一次試験の合格発表の前日、予備校の大場先生が、生徒たちを集めてこう話す。


~ 「発表は、明日の朝10時。大学の掲示板とネットで公開してるよね。
 結果がどうであれ、連絡ちょうだい! 合格者はそのあと、いつも通り予備校で課題よ。
 結果を求めた人に、結果が全てじゃない、なんていうつもりはないわ。
 だけど、どの大学に行くとかって話じゃない。
 この数ヶ月、君たちは自分の弱さと強さに向き合った。
 そして描き続けた。それは結果ではなく、必ず君たちの財産になるわ」
  (山口つばさ『ブルーピリオド 5』講談社アフタヌーンコミック) ~


 ~ 純朴な若者が、この世の理不尽に出会い、旅に出る。
   賢者の言葉や、仲間の力に支えられながら、自らを成長させ、
   苦難を乗り越えて敵を倒し、宝物を持って帰還する――。 ~

 これが物語の基本構造だ。
 シンプルに「試練→挑戦→成長」とか「苦悩→行動→解決」のようにまとめることもできる。
 古今東西の古典的な作品も、みなさんが親しむゲームの世界も、全てこのパターンがベースになっている。つまりそれは、人間の一生がそのようなパターンに還元できるということだ。
 今みなさんに与えられた試練の第一は、「受験」になるだろう。
 共同体には、少年が青年になるタイミングで通過儀礼(イニシエーション)が用意される。
 一定の年齢になると、村祭りで俵を背負わされたり、肝試しをさせられたりするのがそれだ。
 観光化しているバンジージャンプも、もとはその一つだった。
 近代化した社会では、昔ながらの通過儀礼的行事はなくなりつつあるが、「受験」や「就活」は通過儀礼としての役割を果たしていると言えるだろう。
 共同体が与える、乗り越えるべき「試練」。自分の好きなことをやっていいと言われながら、並々ならぬ努力を積み重ねなければ、それが手に入らないのは「理不尽」だ。
 善良で純朴な若者、つまりみなさんが、この世の理不尽に出会ったときに、どうするか。
 見なかったふりをするのも自由、逃げるのも自由。
 立ち向かった場合、結果として何が得られるのか。
 もちろん、合格という喜び、楽しい学生生活、学歴といったものを獲得することはできる。
 しかし、一番大事なのは、挑戦したという体験だ。
 逃げずに立ち向かったならば、宝物を持ち帰ることができる。
 それは、自分が主人公の「物語」だ。
 大人になったとき、逃げなかった自分の「物語」が、自分を支えてくれる。
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