水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「富嶽百景」の授業(12) 四段落 第一場面

2016年03月02日 | 国語のお勉強(小説)

 

  四段落 〈 第一場面 甲府 〉


 そのころ、私の結婚の話も、一頓挫のかたちであった。私のふるさとからは、全然、助力が来ないということが、はっきりわかってきたので、私は困ってしまった。せめて百円くらいは、助力してもらえるだろうと、虫のいい、独り決めをして、それでもって、ささやかでも、厳粛な結婚式を挙げ、あとの、所帯を持つにあたっての費用は、私の仕事で稼いで、しようと思っていた。けれども、二、三の手紙の往復により、うちから助力は、全くないということが明らかになって、私は、〈 途方に暮れていた 〉のである。このうえは、縁談断られてもしかたがない、と覚悟を決め、とにかく先方へ、事の次第を洗いざらい言ってみよう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へお伺いした。幸い娘さんも、家にいた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、〈 悉皆の事情 〉を告白した。時々演説口調になって、閉口した。けれども、わりに素直に語り尽くしたように思われた。娘さんは、落ち着いて、
 「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか。」
と、首をかしげて私に尋ねた。
 「いいえ、反対というのではなく、」私は右の手のひらを、そっと卓の上に押し当て、「おまえ一人で、やれ、という具合らしく思われます。」
 「結構でございます。」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ちではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたお一人、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
 〈 私は、お辞儀するのも忘れて 〉、しばらく呆然と庭を眺めていた。〈 目の熱いのを意識した 〉。この母に、孝行しようと思った。
 帰りに、娘さんは、バスの発着所まで送ってきてくれた。歩きながら、
 「どうです。もう少し交際してみますか?」
 きざなことを言ったものである。
 「いいえ。もう、たくさん。」娘さんは、笑っていた。
 「何か、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
 「ございます。」
 〈 私は何をきかれても、ありのまま答えようと思っていた。 〉
 「富士山には、もう雪が降ったでしょうか。」
 私は、その質問に拍子抜けがした。
 「降りました。頂のほうに、――」と言いかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。変な気がした。
 「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるじゃないか。ばかにしていやがる。」やくざな口調になってしまって、「今のは、愚問です。ばかにしていやがる。」
 娘さんは、うつむいて、くすくす笑って
 「だって、御坂峠にいらっしゃるのですし、富士のことでもおききしなければ、悪いと思って。」
 おかしな娘さんだと思った。


 場面  場所  甲府 婚約者の家
       時   日中
      人物  私 母堂 娘さん


Q48「途方に暮れていた」のはなぜか。
A48 自分の結婚に関して、実家からの援助がまったくないことが明らかになったから。

Q49「悉皆の事情」と同じ意味の言葉を4字で抜き出せ。
A49 事の次第


事件 実家の助力がないことがわかる
             ↓
心情 縁談断られてもしかたない
             ↓
行動 事情を話しに甲府に赴く


 実家の助力がないことが、縁談を断られることに直結する感覚は、みなさんにとっては意外かもしれません。
 そんなに大きな問題なのか? 自分たちで結婚式をすればいいのではないか、ふつうに同棲し始めればいいんじゃん、とかね。
 しかし、この時代は、やはり結婚は家と家のものだったのです。
 「この時代」じゃないかな。結婚披露宴に出席したことありますか?
 会場を思い出してください。「○○家・○○家披露宴会場」と入り口に書いてあるのです。それが、現在も一番一般的な形です。
 日本が近代国家として歩み始めた明治時代以降、「個人」の概念が生まれたという話は、評論を解くときに何度か話しました。
 しかし、現実としては、西欧的な「個人」概念は日本には根付いていきません。日本人はあくまでも「世間」ののなかで生き、個人よりも家、一族、村の論理が優先される世の中を生き続けます。
 現在も本質はかわっていません。
 「結婚は個人の意志だけで行うものだ」と考える人がほとんどいない戦前の話ですが、太宰のような頭のいい人にとっては、人間関係における「建前と本音」の二層性が、たえられないものの一つであったでしょう。
 家同士で成立させるのが結婚であるのが当然である時代に、一切援助が得られないと相手に告げるおは、よほどの事情があるのに違いないと思われることなのです。


事件 「けっこうでこざいます」
     ∥
   私個人を信頼する言葉
             ↓
心情 感動・感謝
             ↓
行動 呆然とした この人に孝行しよう


Q50「目の熱いのを意識した」とあるが、そこまで感激したのは、どんな覚悟でこの家に来ていたからか。15字以内で抜き出せ。
A50 縁談を断られてもしかたがない

Q51「私は、お辞儀をするのも忘れて」とあるが、この時の「私」を説明せよ。(70字以内)
A51 世間的な体裁や常識にとらわれず、「私」個人に全幅の信頼を寄せて縁談を進めようとしてくれる母堂の言葉に心打たれ、胸がいっぱいになったから。68

Q52「私は何をきかれても、ありのまま答えようと思っていた」という「私」は、たとえばどのような質問を想定していたのか。
A52 結婚の援助を全くしてもらえないほど実家と折り合いが悪くなってしまった事情。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« インナーマッスル | トップ | 卒業式前日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国語のお勉強(小説)」カテゴリの最新記事