だから、いろんなことに、より多くの対象に、切実な思いを抱かせるようにすることが、われわれの仕事なんだろうと思う。
たぶん何に対して抱いてもらってもいい。
そういう思いが、より生まれやすい環境をつくるうえで、ベストではないかもしれないが、学校はベターな環境のはずだ。
学校というシステムがマイナスにはたらいてしまう人が一定数いるのも紛れもない事実だけど、アベレージとしては実に有能なシステムだと思うのだ(カタカナが多くなってしまったけど)。
学校的文化の方向性とは別方向で生まれてもいい。
毎日の勉強から手に入れられる「知」を積み重ねて、より知りたい、学びたいという「切実さ」につなげていくのが通常の成功例で、こんなことやってられるか、もっと他のことがやりたい、たとえばこれがやりたいという「切実な思い」が思いが生まれるのだったら、それはそれでありだと思う。
そう考えると、学校をとびだすのも一つの成長であることは間違いない。
ふつうは、そこまでできないものね。
「成長」という言葉で気になってることがある。
長澤まさみちゃんが、「つきあってくれ」という森山未來くんをふるシーンで、「わたし、○○くんじゃ、成長できない」と言うセリフが「モテキ」にあった。
おじさん的には、こんな感覚もあるのか、と思ってしまったのだが、ひょっとしたら若い女の子の中に普通に存在する感覚だろうか。
ちょっとラップぽい歌で、「なんとかかんとか~、成長したいねん」みたいな歌を聴いたこともあるし。
「恋愛で成長」なんてつなげると、「anan」の特集みたいで、なんかいい感じに見えるけど、こういう感覚って自分らが若いころには誰ももってなかったんじゃないのかな。
恋愛で成長?
うそーお。恋愛って、そんな何かのためにするというものではなく、落ちてしまうものでしょ。
そういうの、えっとなんて言うんだっけ? 「功利主義」?
実は恋愛とは、成長とは真逆で、ぼろぼろになってなんぼのものなのだ。
恋は品行方正じゃだめなんだよと、まさみちゃんに直接会って教えてあげたい。
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