水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「である」ことと「する」こと(7)

2019年03月07日 | 国語のお勉強(評論)

「である」ことと「する」こと 第7段落  ㉕~㉖


学問や芸術における価値の意味 
㉕ アンドレ・シーグフリードが『現代』という書物の中でこういう意味のことを言っております。「教養においては――ここで教養とシーグフリードが言っているのは、いわゆる物知りという意味の教養ではなくて、〈 内面的な精神生活 〉のことを言うのですが――しかるべき手段、しかるべき方法を用いて果たすべき機能が問題なのではなくて、自分について知ること、自分と社会との関係や自然との関係について、自覚を持つこと、これが問題なのだ。」そうして彼はちょうど「である」と「する」という言葉を使って、〈 教養のかけがえのない個体性 〉が、彼のすることではなくて、彼があるところに、あるという自覚を持とうとするところに軸を置いていることを強調しています。ですから彼によれば芸術や教養は〈 「果実よりは花」 〉なのであり、そのもたらす結果よりもそれ自体に価値があるというわけです。こうした文化での価値規準を〈 大衆の嗜好や多数決 〉で決められないのはそのためです。「古典」というものがなぜ学問や芸術の世界で意味を持っているかということがまさにこの問題に関わってきます。
㉖ 政治や経済の制度と活動には、学問や芸術の創造活動の源泉としての「古典」に当たるようなものはありません。せいぜい「先例」と「過去の教訓」があるだけであり、それは〈 両者 〉の重大な違いを暗示しています。政治にはそれ自体としての価値などというものはないのです。政治はどこまでも「果実」によって判定されねばなりません。政治家や企業家、とくに現代の政治家にとって「無為」は価値でなく、むしろ「無能」と連結されてもしかたのない言葉になっています。ところが文化的創造にとっては、なるほど「怠ける」ことは何物をも意味しない。先ほどのアルバイトにしても、何も〈 寡作 〉であることが立派な学者、立派な芸術家というわけでは少しもない。しかしながら、こういう文化的な精神活動では、休止とは必ずしも怠惰ではない。そこではしばしば「休止」がちょうど音楽における休止符のように、〈 それ自体「生きた」意味を持っています 〉。ですから、〈 この世界 〉で瞑想や静閑が昔から尊ばれてきたのには、それだけの根拠があり、必ずしもそれを時代遅れの考え方とは言えないと思います。文化的創造にとっては、ただ前へ前へと進むとか、不断に忙しく働いているということよりも価値の蓄積ということが何より大事だからです。


Q49「内面的な精神生活」とはどのようにすることか。40字以内で抜き出して答えよ。
A49 自分について知ること、自分と社会との関係や自然との関係について、自覚を持つこと

Q50「教養のかけがえのない個体性」とはどういうことか。
A50 内面的精神生活で得られる自己の存在への深い自覚は、他の何物にもかえがたい、その人独自の価値をもたらすということ。

Q51「果実よりは花」とあるが、「果実」「花」は何のたとえか。それぞれ抜き出して答えよ。
A51 果実 … そのもたらす結果   花  … それ自体

Q52「大衆の嗜好や多数決」とほぼ同じ内容を表す言葉を、24段落から20字以内で抜き出せ。
A52 大衆的な効果と卑近な「実用」の規準

Q53「両者」とは何と何か。それぞれ10字程度で抜き出せ。
A53 政治や経済の制度と活動  学問や芸術の創造活動

Q54「寡作」の対義語を記せ。
A54 多作

Q55「それ自体「生きた」意味を持っています」とあるが、「それ」の指す内容を40字以内で記せ。
A55  文化的な精神活動において、外面的には何も生み出さず休止しているように見える時間。

Q56「それ自体「生きた」意味を持っています」と言えるのは、何が行われているからか。5字で抜き出せ。
A56  価値の蓄積

Q57「この世界」とは何の世界か。10字以内で記せ。
A57  学問や芸術の世界


㉕教養……内面的な精神生活
  ↓
 機能
   ↑  ではなく
   ↓
 自分について知ること、
 自分と社会との関係や自然との関係について自覚を持つこと 

 教養のかけがえのない個体性
  ↓
 彼のすること
   ↑  ではなく
   ↓
 彼があるところに、あるという自覚を持とうとするところ 

 芸術・教養
  ↓
  果実                    そのもたらす結果
   ↑  よりは              ↑
   ↓                       ↓
     花                     それ自体……価値がある
            ∥
       文化での価値規準
         ↑
                 ↓
            大衆の嗜好や多数決


㉖政治や経済の制度と活動  先例・教訓 果実
   ↑
      ↓
 学問や芸術の創造活動      古典……それ自体としての価値  花

 政治家    無為 → 無能
   ↑
      ↓
 文化的創造  休止 → それ自体「生きた」意味……価値の蓄積

 

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1.01の法則

2019年03月04日 | 学年だよりなど

    学年だより「1.01の法則」


 先週金曜(1日)に、みなさんの先輩達が卒業していった。
 静粛かつ荘厳な、立派な卒業式だった。その日まで、みなさんは残り2年。730日。17520時間。
 川東の一年生になった頃の自分と今の自分を比べたとき、自分が自分に予定していた分の成長をとげているだろうか。
 かりに入学以来、毎日1%だけ成長してきたとする。
 入学時に「1」の実力の人が、翌日に「1.01」の人になっている。
 さらに翌日も前日より1%だけ成長している、というように。
 前の日の自分よりも「0.01」分だけ伸びるという日を積み重ねたならば、一年後にはいくつぐらいになるか、想像してみてほしい。
 「1×1.01×1.01×1.01×1.01 … 」というかけ算をすると、いくつになるか。
 最終的には「37」を越える数字になる。
 毎日コツコツやってきた人は、外見では少し背が伸びたぐらいの変化かもしれないが、中身は「1」から、まもなく「37」になろうとする人間になっているということだ。
 もはや別人ではないだろうか。
 ちなみに、みなさんの年代で一年生きていれば、分子レベルだとほぼ全てが入れ替わっている。
 かりに、入学時に「1」の力だった人が、毎日ちょっとだけ「0.01」分さぼり続けたならば、どうなるか。
 翌日には「0.99」になる、その翌日も前日の「0.99」になる … 。
 「1×0.99×0.99×0.99×0.99 … 」というかけ算をしていくと、一年後には「0.03」をわりこんでしまうのだ。ヤバくね?
 思い起こしてみると、トップクラスの成績で入学してきて、3年後にはその面影がなくなったなぁと思わざるを得なかった先輩は、たしかにいた。
 自分は北辰はいくつあったとか、ほんの少しミスって○○高校落ちてきたというような話を、いつまでもひきずっていたような人だ。
 「0.01」だけ成長していくだけで、37倍。
 「0.01」さぼるだけで、元の0.03。
 一日一日の差はわずか「0.02」でありながら、一年後の両者の差はあまりにも大きい。
 「0.01」分の成長とは、テストの点数だけを指して言うのではない。
 部活での努力も当然含まれるし、接点のなかった友だちと話ができるようになったことも大事な経験だし、本や映画や音楽や絵で心を打たれることは、感情を成長させる。
 ゴミを拾えたこと、電車で席が譲れたこと、いつもより元気よくあいさつできたこと、すべては「0.01」だ。困った人に声をかけるのは「0.05」分くらいありそうだ。
 人としてのレベルを「37」上げれば、将来の就職にもつながるし、間違いなくモテモテにもなる。
 それは、より自由な人生を過ごすことできるということを表す。

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声かけ力(4)

2019年03月02日 | 学年だよりなど

  学年だより「声かけ力(4)」


 岸田さんは、病床で心理カウンセラーの勉強をはじめた。
 リハビリもはじまった。リハビリのつらさに、病室で枕に顔を押しつけて泣く日もあったが、大好きなミスチルの歌を聞きながら、頑張り続けた。
 ある日、奈美さんがこんな提案をする。
「ママ、うちの会社で働いてみない? 研修サービスの講師をいま必要としているの」
 大勢の人の前で自分が話せるのだろうか、失敗して娘に迷惑をかけることにならないか……。
 不安にかられながらも、車椅子の社長、垣内俊哉さんにも勧められ、チャレンジすることにした。
 「私は岸田ひろ実と申します。ご覧の通り、車いすに乗っています。今日は私に起こった転機と気づきを、皆さんにお伝えしたいと思います」……
 原稿を間違えてないか、時間通りに進行しているかで頭のなかは一杯だ。
 周囲の反応を感じる余裕もなく、はじめての講演を終え、ホテルで泥のように眠る。
 翌日、参加者のある女性スタッフがかけよって岸田さんの涙ながらに手をにぎる。
「昨日のお話、感動しました。岸田さんにような方に喜んでもらえるお店を作ります!」
 つい自分ももらい泣きしながら、ずっと緊張していた神経が緩んでいく。
 その後、受け取った100枚以上のアンケートには、様々なメッセージが寄せられていた。


 ~ 「私にも娘がいるので感情移入しました。お話を開くことができて本当によかったです」
「車いすに乗っている人が困ることについて、よくわかりました。押し方のコツを直接教えてもらったので、自信を持って接客できそうです」
 帰りの新幹線の中で一枚一枚目を通して、また涙が溢れました。
 隣に座って心配そうに私を覗き込む奈美に向かって、言いました。
「今、車いすに乗っていて初めてよかったと思えたよ。こんな私でも必要としてくれる人たちがたくさんいるんだね」 「ママ……」
「私にこんな機会をつくってくれて、本当にありがとう。死なないでよかった。あなたのおかげだよ」そう伝えると、奈美の目はみるみるうちに潤んでいきました。 (岸田ひろ実『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』致知出版社) ~


 「ママは2億パーセント大丈夫」という娘の言葉が本当になった瞬間だった。
 その後、正式に「ミライロ」の一員になり、全国をとびまわって活動する岸田さんが、講演や研修で伝えているのは、「さりげない気配り」だ。
 「無関心」か「過剰」が、日本人の独特の反応だと岸田さんは言う。気になっていながら、どうしていいかわからずに知らないフリをする「無関心」、親切心でいきなり車椅子を動かされて怖い思いをさせてしまう「過剰」……。
 まずは、気持ちを尋ねてみてほしいという。
 「何かお手伝いできることはありますか?」と。
 「何かお手伝いしましょか?……ゆーても僕、何したらええかわからんので教えてください」
 笑顔で声をかける小藪さんは、講師の側にいる岸田さんでさえ感動してしまう「声かけ」だった。

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