また桜の季節になった。
開花した桜が教えてくれるのは、毎年の春の訪れ・昨年とは違う新しい年度の始まり・たった一度のはかない生という「時間」。
われわれ生きる者にとって、時間は循環性を備えた直線的(つまり振動的)なもの。
明日、名古屋に帰り、大学の業務に復帰する。
10日あまり実家にいて、いつもながら大切な時間が過ぎて去っていくのを痛感。
過ぎていく時間を止めることができないのはわかっている。
でもなんとかしたい。
流れに身を任せればいいのか。それとも、流れを止めようとすればいいのか。
私は時間の流れを止めることも、速度を変えることもできない。
私にできるのは、流れを深く受け止めるだけだ。
時を忘れるだけのこざかしい思考を停止し、五感を鋭敏にして、一瞬一瞬を心に深く刻んでみよう。
今この時を、一生忘れまいと思いつつ。
大切な人と「共に在る」時のように。
それに対して、今を受け止めないとは、今が過ぎるのをひたすら待つこと。
その時、生は無駄になっている。
残念ながら、このような状態を要請する「仕事」は多い(たとえば無駄な会議)。
生きる糧を得るために時間(生)を売るのは仕方ないのか。
仕事もまた深く受け止めれる時間だったらどんなに幸せだろう。
自分がやる90分間の講義も、学生にとって、終わるのをひたすら待つものであってはならないわけだ。
開花した桜が教えてくれるのは、毎年の春の訪れ・昨年とは違う新しい年度の始まり・たった一度のはかない生という「時間」。
われわれ生きる者にとって、時間は循環性を備えた直線的(つまり振動的)なもの。
明日、名古屋に帰り、大学の業務に復帰する。
10日あまり実家にいて、いつもながら大切な時間が過ぎて去っていくのを痛感。
過ぎていく時間を止めることができないのはわかっている。
でもなんとかしたい。
流れに身を任せればいいのか。それとも、流れを止めようとすればいいのか。
私は時間の流れを止めることも、速度を変えることもできない。
私にできるのは、流れを深く受け止めるだけだ。
時を忘れるだけのこざかしい思考を停止し、五感を鋭敏にして、一瞬一瞬を心に深く刻んでみよう。
今この時を、一生忘れまいと思いつつ。
大切な人と「共に在る」時のように。
それに対して、今を受け止めないとは、今が過ぎるのをひたすら待つこと。
その時、生は無駄になっている。
残念ながら、このような状態を要請する「仕事」は多い(たとえば無駄な会議)。
生きる糧を得るために時間(生)を売るのは仕方ないのか。
仕事もまた深く受け止めれる時間だったらどんなに幸せだろう。
自分がやる90分間の講義も、学生にとって、終わるのをひたすら待つものであってはならないわけだ。