すでにクリスマスは国際的にキリスト教徒だけの祭事ではないことになっている。
それなのに、未だにクリスマスは敬虔にすごすべきだという意見(新聞の投書)があるのに驚く。
また逆に自分はキリスト教徒でないからクリスマスは無関係という態度(実は学生時代仏教好きだった自分はこの態度だった)も偏屈にうつる。
本来、この日は古代ヨーロッパでの冬至の祭りで、それがキリスト教以外の儀式が禁止されるに伴い、イエスの誕生日とされたという。
その名残といえる証拠は、モミの木やヒイラギという常緑樹の飾りで、これは正月の門松と、節分(本来の大晦日)のヒイラギの飾りに相当する。
生命力が一番衰える冬至を過ぎたので、真冬でも葉を落とさない常緑樹に託して「一陽来復」を祝う祭りなのだ。
あと年末なので一年を無事にすごしてきたという祝いの意味もあろう。
つまり、特定の人工宗教に支配される以前の、人類にとって普遍的な歳時を記念する祭りなのだ。
正月もまったく同様で、仏教や神道の固有の儀式ではない。
なので、地球上に生きる者として、今年も無事に公転を一周する年末から年始を迎えることを感謝し喜びあうのは当然で、それぞれのやり方で祝えばいいのだ。
実際、信教の自由を国是とするアメリカでは、クリスマスを積極的に脱宗教化し、クリスマスと新年の祝いを連続させている(もちろん伝統文化も尊重しているが)。
最近のクリスマスソングがそれを表現している。
たとえば有名な'We Wish You a Merry Christmas'も’Happy Christmas :War is Over'もクリスマスの後にA Happy New Yearと続けている。
人類は、2000年程度の歴史しかない偏狭な(特定の教祖がいる)唱道宗教のくびきから脱して、私があること・あなたがあること・世界があることをこうやって感謝する普遍的でおだやかな宗教心を持っていればいいのではないか。
それなのに、未だにクリスマスは敬虔にすごすべきだという意見(新聞の投書)があるのに驚く。
また逆に自分はキリスト教徒でないからクリスマスは無関係という態度(実は学生時代仏教好きだった自分はこの態度だった)も偏屈にうつる。
本来、この日は古代ヨーロッパでの冬至の祭りで、それがキリスト教以外の儀式が禁止されるに伴い、イエスの誕生日とされたという。
その名残といえる証拠は、モミの木やヒイラギという常緑樹の飾りで、これは正月の門松と、節分(本来の大晦日)のヒイラギの飾りに相当する。
生命力が一番衰える冬至を過ぎたので、真冬でも葉を落とさない常緑樹に託して「一陽来復」を祝う祭りなのだ。
あと年末なので一年を無事にすごしてきたという祝いの意味もあろう。
つまり、特定の人工宗教に支配される以前の、人類にとって普遍的な歳時を記念する祭りなのだ。
正月もまったく同様で、仏教や神道の固有の儀式ではない。
なので、地球上に生きる者として、今年も無事に公転を一周する年末から年始を迎えることを感謝し喜びあうのは当然で、それぞれのやり方で祝えばいいのだ。
実際、信教の自由を国是とするアメリカでは、クリスマスを積極的に脱宗教化し、クリスマスと新年の祝いを連続させている(もちろん伝統文化も尊重しているが)。
最近のクリスマスソングがそれを表現している。
たとえば有名な'We Wish You a Merry Christmas'も’Happy Christmas :War is Over'もクリスマスの後にA Happy New Yearと続けている。
人類は、2000年程度の歴史しかない偏狭な(特定の教祖がいる)唱道宗教のくびきから脱して、私があること・あなたがあること・世界があることをこうやって感謝する普遍的でおだやかな宗教心を持っていればいいのではないか。