不妊治療において他人の受精卵を着床させられてしまった事件。
かわいい赤ちゃんになるはずの罪のない生命が人為的に抹消されてしまったと思うと、やるせない気持ちになる。
医療ミスは、このように生命にかかわるだけに、被害が深刻。
だが、この問題の本質は、医療ではなく、ヒューマンエラーという日常的で普遍的なもの。
人間はミスをする存在である(私のブログがそれを証明)。
しかもミスをしたくてするわけではない。
どんなに注意してもしてしまうのである。
そのような可能性を前提としたシステムでないと、不可避のミスによって損害が繰り返される。
責任者を処罰し更迭しても、別の人がまたミスをするから。
だから、ミスを考慮しないシステムは、「ミスを誘発するシステム」と言っていい。
たとえば薬品の容器の外見が同じでラベルだけ異なると、薬を間違えるミスを誘発する。
文字や言語ではなく、色や形状で直観的に識別できるようにするのが第一歩。
ヒューマンエラーの、とりわけ判断ミスは”認知心理学”で研究されている。
そしてシステムの安全性を高めるには、失敗事態をリアルにイメージできる想像力が必要。
防災士の講習で学んだのは、自分が住んでいる町が大地震直後にどんな状態になるかをありありとイメージしてみること(3D動画で)。
震災直後の状態に頭の中で変換しつつ近所を歩いてみると、細かい問題にどんどん気づかせてくれる。
最悪の事態を考える想像力が必要なのだ。
それには、マイナス思考をあえて実行する少しの勇気(想像の世界だから怖くない)と冷静さがあればできる。
最近、これまでの品格論ブームを批判する反品格論が噴出している。
これは当然の”揺り戻し”現象。
一国民が自国の”品格”を問い、一女性が女性としての”品格”を論じるまでは容認できた(後者はブームに便乗している点にひっかかるが)。
なぜなら、これらは問う者が問われる者でもあり、自己への厳しいまなざしそれ自体に”品格”が備わっているから。
最低限、おのれの品格を論じる価値は誰にでもある。
ところが、自己を問わずに他者を批判する立場の者、たとえば関取でない者が「横綱の品格」と言い出してからの”品格”の大安売りに、うんざりする人が出はじめた。
だが品格の暴走は止まず、その横綱がさらにガッツポーズをすれば、一般人までもが新聞の投書欄で品格論をぶちはじめる。
もはや”品格”とは他人を指弾するターム(語)に成り下がり、
皮肉なことに、品格とは無縁らしき人までが愛用するタームになってしまった。
”品格”というタームが、他者の見た目の所作への押しつけがましい主観的評価へと堕落する前に、この流行語をいったん葬り去ってくれた方が社会のためだ。
他者をうんぬんする前に、まずは自分を磨きましょう(電車内は除く)。
日本人はそうやって、品格を身につけてきたのだ。