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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

演劇心理学の可能性

2013年04月01日 | お仕事

映画『ぼっちゃん』のパンフを読んで一番印象に残ったのは、俳優たちの演技に対する思いだった。
セリフが与えられている役の心をどう解釈し、共感し、表現するか。
その苦闘が表現されている。
そしてその苦闘の結果、自分でない、台本に書かれただけの”他者”を、生きた人格として深く理解し共感するようになる。
そうやって人の心を理解する過程は、立派な心理学の実践だ。

そもそも社会心理学で非言語コミュニケーションなどをやっていると、
身ぶりや表情などの細かな分析は、演技法そのものに結びつく。
まずは、心理学は演技に役に立つだろう。
そこで「演劇心理学」なるものが可能となる。
ここは心理学の成果を演技に応用するという表現論(演技論)段階。

だが、上で述べたように、表現技法より深層の、
むしろ役を演じることが人の心を奥底から理解するという経験の意味が
心理学にとって参考になる。
すなわち、演技が心理学に貢献する。

さらに、プライベートの素(す)の人格(本名)と、俳優という職業的人格(芸名)と、
毎回異なる役としての人格(役名)の3重の人格を生きることによる、自己の主我(I)と客我(me)の多重性。
すなわち俳優だけが固有に体験できる職業的多重人格性。

演技は、演ずる対象と距離がありすぎてはうまくいかないが、
対象との距離が0になって(憑依)してしまうと今度は演技が飛んでしまう。
演技はあくまで観客へのコミュニケーションだから、
対象に成り切ってしまってはコミュニケーション(表現)であることを忘れる。
自然に見える事は自然に見せる事であって、必ずしも自然に振る舞う事ではない。
”自然に振る舞う演技”というパラドックス。
演技は自らを不可視にすることで成功する。
このパラドックスを遂行するのが演劇の真髄だろう。

演劇をすること自体の心理学的意味をも問題にしたい。
かように、演劇心理学自体、3重構造をもつ。

といっても私自身は、演劇との接点がないので(両親は演劇出身だが)、
演劇好きな学生の卒論を担当する機会を待つ事にする。