東京五輪のエンブレムが採用取り消しになった件。
”一般国民”の一部であるネット民の力を見せつけられた。
最初このニュースを報じたテレビ側は、デザインの類似性にとても寛容で、こんなことではデザインを発表してもまた類似したデザインがネットで発掘されてしまうというコメンテイターの発言が目立った。
”ネットの暴力”を恐れるあいかわらずの発想だが、こういう発言はネット民を理解していない。
あのエンブレム(修正版)は最初から”一般国民”から支持されなかった。
ロゴマークとしてなら、さして違和感ないが、めでたいオリンピックのエンブレムとして、まるで”喪章”(一般国民の連想だが)…日本らしさもないし。
なので、なぜあのような支持されないデザインが選ばれたのかという疑義がそもそもの発端。
これらが作者の実力への疑義となり、ベルギーからの提訴をキッカケに、その証拠物件が次々とネットで発掘された。
さらに、選考メンバーとの人間関係が明るみに出て、選考過程そのものに対して疑義が深まる(このへんはやっとマスコミも気づいてきた)。
すなわち、発掘されるにはそれなりの理由と動機があるのだ。
デザインや作者が愛されていれば、苦労して類似作品を発掘する物好きはいないし、そうなった場合でも、多くは擁護する側にまわるだろう。
さらなる本質は、エンブレムだけの問題ではないということ。
スタジアムやボランティア・ユニホームを含めた決定過程への疑義(それと無責任体制も)。
もちろん、第一にはそれらが愛されていないためであるが、長年巣くってきた膿のような深い闇が”上級国民”の世界にありそうだということだ。
採用撤回したのも、一部の識者が批判するようなポピュリズム(大衆迎合)に屈したからではなかろう。
別に反対派が国会を包囲したわけでなく、ネット炎上しただけだ。
採用した側に自信があれば、押し切ってしまえばいい。
そうしなかったのは、何か後ろめたさがあるからだろう。
追究の矛先が作者自身から選んだ側に向ってきつつある矢先だった。
ネットの発掘力を見せつけられていた折り、
急いで蓋をした感じだ。
ただし、この闇の発掘はさすが”一般国民”だけでは無理。
ここぞ、プロのジャーナリズムの出番を期待したい。