二日目の今日は、三山の中心・熊野本宮しか予定がない。
那智は明日の予定なので、あまりそうな時間をどうするか相談した。
本宮なら、そこがゴールの熊野古道があるではないか。
実は計画時には、同行者たちは古道を歩いてみたいと言い、
それに対して私は、古道はそれとしてきちんと歩きたいので、
今回は道という線の旅ではなく、三山という3つの点をレンタカーで結ぶ旅で満足していた。
ところがいざ蓋を開けてみると、同行者たちはたとえ数キロでも歩く気が無くなっており、私も私で、単なる古道(でしかない未舗装道)を数日かけて踏破しなくてはならない予定を立てる気がしなくなった。
かように双方ともやる気がグレードダウンした結果、
私だけが本宮に達する中辺路古道の最後の(たった)3.2キロを歩くことにした。
残りのメンバーは私を開始ポイントの伏拝(ふしおがみ)王子まで車で送って本宮に戻り、
本宮側から少しだけ古道を歩いて、私と合流するという算段にした。
自分にとっては、予定外の古道歩きとなったが、もともと歩くのが好きで、古道ルートを見ているうちに足がむずむずしてきたのも確か。
伏拝王子というポイント(中辺路固有の”王子”名がつく)は、本宮裏手に落ちる長い尾根上にあり、周囲の眺めがいい(写真)。
というわけで熊野古道を一人で歩く羽目になったが、もちろん嬉しく楽しい。
ここの道は傾斜は緩く、道幅もあり、東京でいえば高尾山のハイキングコースを歩いている感じ。
行き交う人と挨拶を交わすのも、観光地ではなく、山での行動様式で心地よい。
スタスタ歩いて、予定より早く熊野本宮裏手に到着。
確かに、古道を通って本宮に達した方が、達成感を得られる。
すなわち、古道を通るなら本宮をゴールにしたいし、本宮に行くなら古道を通って行きたい。
本宮社殿の裏側を、静かな林越しに眺めながら到達感に浸っていると(写真)、また、映画『鉄塔武蔵野線』の1号鉄塔に達した主人公の少年を思い出した。
映画と違って、ゴールに近づくたびに道沿いの標識の番号は増えていくが、それを通り越えてゴールを目指す点は同じ。
ということは、あの少年が達成した鉄塔武蔵野線を遡る冒険は、現代版”熊野詣”ともいえる。
神社の場合、ゴールに達してもやる事は同じ。
三つの社殿にそれぞれ作法どおりに参拝するだけ。
ばけたんで社殿に向けて霊気を探知すると、新宮と同じく「守り神の出現を期待して良い」と出た。
それなりの神社に参拝した時は、お札(ふだ)を求めるのだが、ここでは紙ではなく持ちのいい木の札にした。
ちなみに、同行者たちは本宮の喫茶店にいて、古道で私と落ち合う計画は失敗した。
今日の宿は、紀伊勝浦のホテル浦島。
普通の観光ホテルの3つぶんあるこの大ホテルは、ほとんど対岸の島のような半島の中央部にあるため、専用の連絡船に乗って行く。
宿には12の源泉があり、全部掛け流し。
ただ、泉質はほとんど同じで、しかも昨晩の湯ノ峰温泉と同じ。
有名な「忘帰洞」から、「玄武洞」など新館である日昇館の湯にもはしごして測った。
温泉としては、忘帰洞は海側の浴槽が濃く、玄武洞は海側ではない浴槽が濃かった。
いずれも濃さは湯ノ峰温泉の2倍あった。
特に、日昇館の湯はいずれも酸化還元電位が-200 mV 以下になる還元水(アルカリ性も強い)。
海の眺めもこちらの方が迫力がある(浴槽は狭いが)。
夕食はバイキングで、マグロの解体ショーもやっていた。
マグロ食べ放題が特色。
☞「熊野三山巡り3」に続く