今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

賀状を書いて思うこと

2018年12月26日 | 歳時

クリスマスが過ぎ、いよいよ今年最後の一週間の”年末モード”に入る。
私も学生と同じく冬休みなので、昼から賀状書きに専念。
といっても、ご時世にもれず、裏面と自分の住所氏名はプリンタで印刷。

裏面は、儀礼的挨拶よりも、自分の近況報告と今年の写真を添えることにしている。
儀礼的挨拶のみ(あけおめ、ことよろ)の賀状って、情報量が0に近く、ほとんど意味ないと思うから。
なにせ実際には、昨年はまったく「お世話」していないし、「今年も」会わないだろうから。

年に一度だけの挨拶なのだから、むしろ近況報告を載せてほしい。
家族写真ももらって楽しいので(お子さんの年々の成長がよくわかる)、私は歓迎。

表の宛名は印刷にせず、手書きにこだわる。
印刷でも失礼とは思わないが、手書きにする理由の1つは、印刷してから出す相手を決めるから。
それから、裏面に一言書き添えるようにしており、
それとともに相手の氏名を手書きで書くことで、年に一回だけ、出す相手をしっかり想い出し、はがきを通して語りかけることになるから。
両面印刷でそのまま自動的に投函だと、この語りかけがないだろう。

ただ正直、上の作業そのもの(はがきを通しての語りかけ)自体が苦痛になりかけている。
実際、賀状の交換だけの相手が多い。
もちろん旧友やかつての職場仲間が多いが、中には一度名刺交換をしただけの相手もいる。
こういう相手は、語りかける言葉も浮かばず、第一顔が思い出せない。
たった一度の接点だけで、その後延々と賀状交換が続くのもへんな関係だが、交換自体は安定してしまって、止めるきっかけがつかめない。

賀状交換の意味がなくなった相手と交換をやめるいい機会になるのが、相手の定年と喪中。
これは当事者にとっても出す相手を整理する機会になっていよう。

年末忙しい人の中には、年明けに賀状が来た相手に出すパターンがあるようだが、できたら私もそれに倣いたい。
ただ、全員がいっせいにそのパターンを採用すると、賀状の流通がピタリと途絶する。
情報量のない儀礼だけの賀状なら、それでもいいか。