クリスマスを過ぎて、いよいよ正月を迎えるための年末モードに入ると、心の中でカウントダウンが始まり、にわかに”時”に対する緊張感が出てくる。
この時期特有のこの緊張感が、残された数日間、特別な充実感を与える。
この時期だけ、日々・刻々を噛みしめるように生きるから。
ハイデガーに言わせれば、この在り方が時間存在たるわれわれ”現存在(存在を了解できる存在者)”の本来の姿なのだ。
言い換えれば、年末以外の、時間をやりすごして生きている日常は現存在のくせに「存在忘却」している状態。
自分が存在していることを実感しながら年末をすごし、いよいよ大晦日の深夜、新年に切り替わる瞬間を迎える。
その瞬間をはさんだ数日間、われわれは、これまでの一年間自分が存在してこれたことを感謝し、新たな一年を存在の延長として迎える覚悟をする。
まさに、現在・過去・未来という時間性を味わう意味のある期間なのだ。
正直いって、年に一度の限られた時期だからこそ、あえてそれを実感しようとする気になれる。
これを一年365日続けられないのが、”日常の忙しさ”に頽落して存在忘却してしまうわれわれ現存在の悲しい性(さが)。
だからこそ、新年=歳神(時の神)様を迎えるというオンオフの切替え儀式に意味があるのだ。
諸外国と違って、この歳時の儀式をきちんと味わえる日本にいて良かったと、存在論の立場からもつくづく思う(西洋はカウントダウンでおしまい。東洋では旧正月の方が盛ん)。