今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

鶴見川を歩く2:鶴川〜源流

2019年05月04日 | 川歩き

連休後半は山に行くつもりでいたが、連休前半で朝寝坊する癖がついてしまって早起きがつらくなり、
また近場の炊(かし)き登山の対象も見当たらないので、
行き先を川歩きに切替え、3月末の鶴見川歩き(鶴見川を歩く1:河口〜新横浜の続きをやることにした。

順序でいけば、前回の終点・新横浜からになるのだが、中流域の20kmあまりは、地図を見ても見所がなく退屈することが目に見えている。
別に川歩きを仕事にしているわけではなく、好きでやっているのだから、
誰にも気兼ねすることなく、歩きたいと思う区間を歩けばいいはず。
なので中流部は飛ばして、流域の1/4にあたる上流部に行くことにした。

この区間には別の理由で訪れたいと思っていた「小山田」(甲斐武田氏家臣・小山田氏の名字の地)があり、しかもそこにはちゃんと鶴見川の源流といわれる場所がある。
なにもない中流部とは魅力に大きな差があるのだ。 


というわけで、今回の起点である小田急線の「鶴川」(東京都町田市)に降り立つ。
この駅名(地名)は、すぐ南を流れる鶴見川に由来しているという。
小田急線の駅前にある「箱根そば」でエネルギーを充填し、
踏み切りを渡ると、もう鶴見川に出る(河口から32kmの地点)。
鶴見川は、ここから源流まで東京都内の町田市の川となる。

下流と同じく両岸に歩道があり、川に沿って歩ける。
下流とちがうのは、水が透明で、鯉が泳いでいること。
こういう川だと歩くのが楽しい。

日差しが強いのでつば広の帽子をかぶり、GPSをオンにして、首から下げたiPadminiのGoogleマップを見ながら、
左岸ときには右岸を上流にむかってどんどん歩く。
ときどき川面に降りれる親水区間が設けられており、町田市の鶴見川に対する姿勢を評価したい。
河面に降りると、鯉が寄って来て、また鳩も降りてくる(ただし私は何もやらない)。

川畔のレストラン「霜月亭」を過ぎると、右手の高台に自由民権資料館の立派な建物が見えてくる。
以前そこを見学した折りに、ここの鶴見川を歩いて、とてもいい気分になった所。
その時は、進行方向に丹沢山塊が聳えていたが、今日は晴天だがあいにく雲が多くて、山が見えない。
それでも両側が丘陵の伸びやかな谷地形で、緑豊かな川べりなので、気分よく歩く。

広い車道の鎌倉街道を横断すると、鶴見川にまたがって鯉のぼりがたくさん吊り下げられている〔写真)。
川の両側には人が繰り出し、道が広い左岸側では出店が並んでいる。
地元野津田の恒例の行事らしい。
両岸だけでなく、川の中洲も草原状になっているので、家族連れがくつろいでいる。

川歩きをしていて一番うれしくなるのは、地元の人たちが川を愛し・親しんでいる姿を見ること。
川と人が一緒になって幸せな空間をつくっていること
(逆に悲しくなるのは、川が邪魔者扱いされ、無視され、うち捨てられていること)。
うれしくなった私は、出店でフランクフルトを買い、地元の人にまじって、ベンチにすわって食べる。
出店に並んだ主催者の掲示を見ると、この行事は今年で最後になるという。
なんでも主催者が高齢になり準備がきつくなったことや会場確保のための地権者との交渉がうまくいかないことなどが理由だという。
少子化によって、鯉のぼりも集まりにくいのではないか。 

この付近の鶴見川は、田園地帯をうるおす自然な姿の川になって、地元の人たちの川遊びや釣りの場となっている。
南北朝の合戦で死んだ武士の鎧が重なって堰になったという堰堰跡は公園状になっていて、
めずらしく小学生の女の子(たいていは男の子)たちが、整備された用水路で遊んでいる。 

こういう幸せな空間は、川歩きの一部の区間に限られることもわかっている。
図師という所に達すると、川沿いの歩道そのものがなくなった(ここから上流にはまったくなし)。
仕方なしに一般道(芝溝街道)に出て、業務用リカーショップでトイレを借り、川に一番ちかい(付かず離れずの)道路を進む。


川の方角も、今までは南南西にまっすぐ流れていたのが、北西方向に切り替わる。
いよいよ水源となる町田市の北限を画す丘陵地帯に向うのだ。

甲子園によく出る「日大三高」入口をすぎ、川に一番近い道なのに急坂の上り下りをするようになる(谷が狭くなってきたのだ)。
やがて、川沿いの平地に神社が現れる(写真)。
小山田神社だ。

そう、鶴見川の源流部は、小山田の里でもあるのだ。
小山田神社は、無人だが、社殿の背後には数々の神像が並んでいる。
この付近の風景は山里そのもので、とても東京都の市部だとは思えない
(町田は実質神奈川だともいわれているし、横浜市を潤す鶴見川の上流部だけ東京というのも不自然といえなくはない)。 

ここから、少し鶴見川から離れて、北側の丘陵地帯(実質的な都境)に入った所にある大泉寺(曹洞宗)に向う。
りっぱな参道が伸び、その脇に神社やお堂がある。
山門も立派で、山門奥の石塔には、内部に達磨を彫った珍しいものがある。
境内も広いが、曹洞宗固有の見物客を歓迎しない雰囲気が強く出ていて※、
本堂の参拝もそこそこに、裏手の高台を伺う。
寺の裏手に小山田城趾があるらしいのだ。
ただ「檀家以外立入り禁止」の立て札を越えては入りにくい。
※総門の写真をあとで見て気づいたのだが、「山門不幸」という札が立っており、住職が亡くなって喪に服していたようだ。 

本堂脇にあった小山田高家(南北朝時代に新田義貞についた武将)の顕彰碑を読んでみたら、
裏手の中腹に三基の宝篋印塔があり、それが小山田高家らの墓らしいと書いてある。
ぜひそれを見たいと思って、本堂裏の中腹・卵塔(歴代住職の墓)が並んでいる所に卵塔以外の塔が見えたので行って見ると、
期待通り、まさしく三基の宝篋印塔だった(写真)。
前日のネットで小山田城趾の記事を見ても、この宝篋印塔に言及したものは見当らなかった。
実にもったいない話。
実際、私以外に若い男の来訪者が複数いたが(たぶん城趾目当て)、この宝篋印塔に達したのは私だけ(顕彰碑読めばいいのに)。

こうして念願の小山田氏の墓も詣でたので、満足して寺を後にする。


川に近い道路も細くなり(路線バスは走っている)、ゆるい上り坂が続く。
路線バスの終点を過ぎ、さらに細い車道(車はけっこう頻繁に通る)を進み、左にあるバイオトイレ(もちろん借用)をすぎると、
右側に勢いよく水が出ている池に達する。
ここが「水源の泉」だ(写真)。

以前は周囲にいろいろ看板があったようだが、私有地であるため今はすべて撤去されており、
Googleマップで確認しないとわからない状態。
いちおう、公式な水源に到達したことになる。

といっても、この池に水を供給している流れが存在している。
地形的にも尾根筋とはまだ距離がある。
なので更に奥の町田北限の丘陵のふところに入り込む。
だが、町田市による自然保護のための「立入り禁止」の立て札に阻まれる。

地形図をよく見ると、沢筋がもっとも長く伸びているのは、尾根筋を縦断する南多摩尾根幹線道路に向う狭い車道に沿った谷。
なのでその谷に沿った車道を進む。
気がつくと空は暗くなり、雷鳴もする。
その車道が上る先には、リサイクル工場のような大きな施設があり、道路脇であるため、谷にはゴミが散乱している。
地形的な水源地は、残念ながら自然環境は跡形もなかった。
鶴見川の”水源”は人の届かない所で保ってもらいたい。


細い車道が尾根に上がったところで並行する南多摩幹線道路に入り込み(歩行者だけ可能)、
ここから北に下って最寄り駅の京王線の南大沢に向う。
ここからは八王子市だ。
空は午後三時とは思えないほどに暗くなり、雷鳴の下、大粒の雨が落ち始めた。
一応傘は持参している。
大雨が始まると同時に南大沢駅に到着した。 

帰り、京王線の車内から外は土砂降りだったが、文京区の自宅付近は雨の痕跡はなかった。
ただし空には不気味な乳房雲が垂れ下がって(写真)、発達中の積乱雲の真下にいることがわかった(この後、東部で雹が降った)。