今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

防災で軽視されてきた後半部

2019年09月21日 | 防災・安全

まず、首都圏の千葉が、なんであんな広域に停電被害に遭い、しかも復旧に長引いているのか。

千葉県の地形がまずは問題だった。
同じ千葉でも、東京に隣接する北西部(関東平野部。旧国下総)は被害がなかった。
大きな被害にあったのは、房総半島部、すなち旧国でいう安と上
こうなった一番の原因は、台風の進路にある。
台風が陸地ではなく東京湾を進んで、勢力が弱まらず、房総半島全域が危険半円となった
(「台風が東京湾を進んできたら危ない」といういい伝えが房総半島にあったという)。

そして日本の半島は、たいてい、山が海に沈んでる地形で、人が住んでいるのは海岸線に沿った狭い領域。
だから交通網も送電線もそれに沿って伸びている。
つまり、半島の大部分は山なのだ。 
だから、半島先端などはすぐに陸の孤島となってしまう(同じことは紀伊半島、伊豆半島、三浦半島にさえいえる)。 

日本の75%は山地で、残りの25%の場所に人口が集まらざるえないことを思い出してほしい
(日本最大の関東平野に人が集まるのは必然)。
平野部であれば、四方八方から近づけるのでインフラの復旧はもっとスムースだったはず。

そして、そもそもわれわれの防災意識は、「命を守る」ことに集中しており、それ以降については関心が薄い。
具体的には、被害想定にもとづく災害復興計画というものを策定していない(自治体はともかく、法人・家庭において)。 
今回は、風害に対する被害想定の甘さがあった。

職場でいえば、被害にあってから業務を再開できるまでの事業継続計画が必要なのだが、
災害大国日本でこれができている所が欧米に比べて少ないという。 
家庭でいえば、停電・断水(トイレを含む)の対策。 

今回の千葉の被害を「他山の石」として、われわれ(国、自治体、職場、家庭)も以下の見直しをしよう。

●被害想定に、風害を入れること。
●その被害想定に基づいて、生命の保全で終らず、その後の生活の維持、日常活動の再開までの道のりを具体的に考えておくこと。


防災で軽視されてきた風害

2019年09月21日 | 防災・安全

台風15号による千葉県の広域被害は、われわれの防災意識の弱点を突かれたといってもいい。
それほどに、今回の被害状況に対して、考えさせられるものがある。
無責任な言い方をすれば、「想定外」だった。 
だが、前にも記したように災害は、弱点を突いてくるのだ。 

ここでいう弱点は2つ。

一つは、風害に対する軽視。
もう一つは防災の目的が人命に集中するあまり、人命以外の被害に対する対策が二の次になっていたこと。

ここでは風害に対る軽視について記す。

私も含めて、防災の関心は、まずは何をおいても地震が第一で、次いで大雨で、この2つに集中していた。 
昔は、台風で1000名を越す死者を出していたが、その場合でも大雨による水害が主であり、
その対策が進むことによって、死者は激減した。
そして台風による風害は、果樹園や人里離れた森林に限定されていた。 

その”風向き”が変わったのは、昨年の西日本に上陸した台風で、路上の車が転がり廻り、船が連絡橋に激突した。
今までにない強風をもたらした。
私が大学に設置していた気象観測装置も、この時の強風で倒壊した。 

防災上の強風の想定基準を上げる必要がでてきたといってよい。

日本映画には存在しないジャンルに”災害もの”がある。
アメリカ映画でのその主役は、トルネード(巨大竜巻)、次いでハリケーン、すなわちいずれも風害。 
トルネードの通り道となる地域は、地下シェルターを設置している。 

強風の被害は、人工構造物に集中する。
屋根瓦が吹き飛び、窓ガラスが割れて飛散し、さらに電柱が倒れる。
今回は鉄塔まで倒れた。
ただ、それでも強風による死者は出なかった。
言い換えれば、風害は人命にまで及ぶことは少ない(竜巻は別)。
それが、防災の順位を下げる要因にもなっている。

われわれの”防災”は、死なないことが第一目標で、それ自体は当然なのだが、だから死なない災害に対しては、関心が激減するのだ。
これが、 風害に留まらない次の弱点につながる。