今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

他者を敬する社会へ

2024年07月07日 | 時事

ネットニュースによると、日本大好きというアメリカの歌手ビリー・アイリッシュはその理由を日本人が「人を敬う」からだという。→ソース
若いながら、深い視座だ。
これは儒教の徳である””の精神であり、それを具現化してきたのは小笠原流礼法などの日本の伝統的礼法である。
※:儒教教典『礼記』は、「敬せざるなかれ」で始まる。

いや、それ以前に、聖徳太子の十七条憲法(604年)にある「和を以て貴しとなす」の精神の伝統というべきか。
ちなみに”人を敬う”という態度は、16世紀(日本で武家礼法が完成した時期)のヨーロッパでイタリアから広まった”galateo”(礼儀正しさ)の精神とも合致している。

ところが残念ながら、現代日本には礼に反する勢力も存在する。
小池現都知事の選挙演説場面で、「やめろ」「帰れ」コールで演説を妨害する一部の人たちだ。

この行為は相手を敬する礼の精神に反し、また多様な意見を尊重する民主主義の精神にも反するもので、私はこういう人たちとは空間の共有すら耐え難い。

礼の精神である「敬」とは、その人の存在を認め、尊重すること。
その逆の、その人の存在そのものを否定する感情は”憎悪”である。
憎悪は存在否定の感情であるから、恐ろしくも殺意に繋がる。

候補者としての存在を否定するコールは、候補者への憎悪の表現である。

他者への憎悪に駆動された人たちは、歴史的にも同志の間でも内ゲバや”総括”と称する殺し合いをしてきたし、スターリンやポルポトのような独裁者は自国民の大量殺戮をしてきた。
憎悪に駆動された”正義”(「あいつらは存在悪」という思考)を振りかざす危険性はこのように歴史が証明している。

意見が違った他者とも敬意を持って共存できる社会を守っていきたい。
※:これができるかどうかが、口先でない真の民主主義者か否かの判断基準となる。
これが私の投票行動の原則でもある。