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<前の記事の続き>
さて、昼過ぎに弟一家がやってきて、新年の祝いとなる。
私は外出用の羽織・袴から、正装の烏帽子・直垂(ひたたれ)に着替え、
雅楽・越天楽の調べをBGMに、”屠蘇の儀”を式三献にて執り行なう。
盃に三度に分けて注がれた屠蘇酒を若い順から三口ずつ飲み、一順。
それを盃を替えて三度行なう(いわゆる「三三九度。
詳しくは我がサイトの作法トピックスの「正しい正月の迎え方」参照)。
それが終わって、皆で「おめでとう」と言い合せ、祝宴となる。
まずは、幼い甥と姪にお年玉の授与だが、
私は市販のポチ袋ではなく、小笠原流の「鶴のお年玉袋」を千代紙で折ったものに入れて渡す。
以後の祝宴は、儀礼でないから、定型にこだわる必要ない。
我家のお節は、重箱ではなく、大皿に盛る(写真)。
酒は、甥の初登山の時に買った「天覧山」、それに例年の「越の寒梅」。
お節の中身は、ほとんどが酒の肴に等しいから、大人にとっては延々と食べ続けることができるが、
子どもにとっては、食指が進まないらしい。
甥は早々に食事を切り上げ、ゲームに興じる。
大人たちは、だらだら食べ続けただけに、夕食は不要。
かようにただ食べ・飲み続けるだけの生活は明日も続く。
しかも私は、正月に限って、湖池屋のポテトチップス「のり塩」の大袋を複数買って、家中で食べ放題状態にする。
これは私が今より10kg太っていた頃、好物の「のり塩」を普段は食べることを自ら禁じたものの、
正月三が日だけは解禁した行為が今も続いているのである。
風習とはかように作られていく。
さて、昼過ぎに弟一家がやってきて、新年の祝いとなる。
私は外出用の羽織・袴から、正装の烏帽子・直垂(ひたたれ)に着替え、
雅楽・越天楽の調べをBGMに、”屠蘇の儀”を式三献にて執り行なう。
盃に三度に分けて注がれた屠蘇酒を若い順から三口ずつ飲み、一順。
それを盃を替えて三度行なう(いわゆる「三三九度。
詳しくは我がサイトの作法トピックスの「正しい正月の迎え方」参照)。
それが終わって、皆で「おめでとう」と言い合せ、祝宴となる。
まずは、幼い甥と姪にお年玉の授与だが、
私は市販のポチ袋ではなく、小笠原流の「鶴のお年玉袋」を千代紙で折ったものに入れて渡す。
以後の祝宴は、儀礼でないから、定型にこだわる必要ない。
我家のお節は、重箱ではなく、大皿に盛る(写真)。
酒は、甥の初登山の時に買った「天覧山」、それに例年の「越の寒梅」。
お節の中身は、ほとんどが酒の肴に等しいから、大人にとっては延々と食べ続けることができるが、
子どもにとっては、食指が進まないらしい。
甥は早々に食事を切り上げ、ゲームに興じる。
大人たちは、だらだら食べ続けただけに、夕食は不要。
かようにただ食べ・飲み続けるだけの生活は明日も続く。
しかも私は、正月に限って、湖池屋のポテトチップス「のり塩」の大袋を複数買って、家中で食べ放題状態にする。
これは私が今より10kg太っていた頃、好物の「のり塩」を普段は食べることを自ら禁じたものの、
正月三が日だけは解禁した行為が今も続いているのである。
風習とはかように作られていく。