東京都は文化の日のある週を「文化財ウィーク」として、日頃は拝観・見学できない文化財の公開を促している。
毎年それを楽しみに、特別拝観の仏像を拝む。
今回は、以前時間が間に合わなかった、府中市にある上染屋不動堂が公開する阿弥陀如来像を観に行く。
この仏様、国指定重要文化財(旧国宝)。
東京では、東博(東京国立博物館)所蔵以外の文化財級の仏像は珍しい。
京王線の武蔵台駅で降りて、旧甲州街道を進み、西武多摩川線を越えて、石仏が祀ってある交差点の前が上染屋不動堂。
貴重な公開日なので、地元の人達が受付をして、説明のしおりをくれて、来訪者の記名を求める。
まず奥の不動堂内に上る。
左右に童子を従えた本尊の不動明王像は、智証大師円珍の作との伝説。
身の丈50cmに満たない。
こちらは文化財ではないことは作りを見てわかる。
その横にほぼ同じ高さの端正な阿弥陀立像があるが、地元の人の説明によると、
これは重文阿弥陀像のレプリカで、旧国宝に指定された時に作られたものという。
そして、貴重な重文阿弥陀像の公開日(文化の日と1月の初不動の日のみ)が雨天だった場合に、代わりに公開するのだという。
その重文阿弥陀像は、不動堂手前の小さな宝庫に納められ、幸い今日は晴天なので、照明付きで公開されている(写真)。
この像、本来は善光寺式三尊(本尊と両脇侍が一つの光背に納まる)の中尊で、上州(群馬)の八幡八幡宮の本地仏であったという。
そして、この地の鎮守・上染屋八幡神社の神宮寺であった玉蔵院が維新時に廃寺になったことで、この不動堂に安置したという。
善光寺の阿弥陀像が絶対秘仏で見る事ができないだけに、 この阿弥陀像を拝めるのは貴重(しおりにも写真が載っている)。
次に、この像の所有主のその八幡神社に向う。
旧甲州街道からの長い参道を辿って、木々に囲まれた広い境内に入る。
この神社自体が、上州からやってきた。
周囲は、新田氏の戦跡も分布しており、新田氏ゆかりの地。
本殿右の大ケヤキは見事な巨樹で(写真)、いい気を感じるので幹の樹皮に両手をかざして気の交流をする。
その奥に、二本の木が歓喜天のように抱き合ったまま伸びている。
一応、これで目的を達した。
時間があるのでもう少し歩こう。
この神社に沿った道を「浅間(せんげん)街道」といい、その道を辿って、多摩の台地上にぽつんと盛り上がる浅間(せんげん)山に向う。
この山を訪れるのは3度目になる(最初は中三の時)。
浅間山というのは、山頂に浅間神社があるためで、海抜79.6mの立派な三角点標石もある。
そして浅間山(元の名は堂山)の他に、中山(74.0m)、前山(72.8m)と連なっているので、私はここの地名の人見(ひとみ )をとって「人見三山」と勝手に名づけている。
その人見三山を縦走し、「人見四郎墓跡」がある前山まで行き、富士山(浅間神社の御神体)が拝める広場を抜けて西麓の道路に降りた。
余裕があれば近くの多磨霊園に寄ってもいいが、本日の目的はすでに達したので長居は無用と、東府中駅行きのバスに乗って帰途についた。
はっきり言って、今回の訪問先は、篤志家向きで一般にお勧めできるものではない。
京王線沿線なら、まずは深大寺(調布からバス)、次いで高幡不動(同駅名)、少々間があいて威光寺弁天洞窟(よみうりランド)か。