晴天の日曜、再開した山歩きに行きたかったが、山手線内回り(池袋→渋谷)が運休のため、新宿経由で山に行けない。
なのでこちらも途絶えていた”川歩き”に切り替えて、荒川(河口→赤羽)の続きをやることにした。→荒川を歩く2
ただし東京の川歩きとしては赤羽で終了したので、今回は埼玉の川歩きとする。
自宅から地下鉄南北線で終点の赤羽岩淵で降り、セブンイレブンで昼食用におにぎり1個と100円のフランクフルトを買う(このサイズのフランクフルトが売っているセブンイレブンは貴重)。
広い車道沿いに埼玉県境の新荒川大橋に向う。
前にも書いたが、最近では、東京側よりも川向こうの県側の方が高層ビルが多い(写真:新荒川大橋からの荒川上流側。右が埼玉、左が東京)。
ただしいずれも高層マンションで、住民は東京に通勤・通学する人たちのはず。
今回は埼玉の川歩きなので、その高層ビルが並ぶ埼玉県川口市に入る。
河川敷には舟戸野球場というグラウンドが広がり、その先の川沿いの歩道に達するには遠回りになるので、グラウンドを突っ切ると、案の定フェンスの切れ目があったのでショートカットできた。
荒川の左岸の河川敷の道を上流に向って進むと、「川口緊急用船着場」という所に出た。
ここは緊急時専用の船着き場で、大災害で陸上交通が寸断された場合、荒川の水路を使って、たとえば東京港から埼玉に物資を運ぶ事ができるという(この上流にも同様な船着場が設置されている)。
過去の洪水での水位が電柱の上の方に記されていて、新しいところで平成11年8月の熱低による増水で、荒川の基準面(東京湾よりは1.1m低い)より6.4mの高さ、すなわち今の水面からおよそ5mの高さに達した。
荒川のような大河川だと河川敷はグラウンドや自動車学校などがあり、さらに川との間には潅木が茂っているので、道はあっても川を見ることができない。
むしろ堤防に上がれば川面と周囲の風景を眺めながら歩ける。
ただ日射を遮るものがないのでツバの広い帽子は必須。
行き交う人は、球技や釣り、あるいはサイクリングやジョギングが多く、歩く人は多くはない。
振り返ると、対岸の東京側にスカイツリーが見えてきた。
あの群を抜いた高い建造物が加わると、建物の高さ競争は、一挙に東京側が逆転する。
堤防上に珍しく「桜堤」という木陰があったので、その下に坐ってフランクフルトとおにぎりを食べる。
堤防上の道は川が内側にカーブすると大回りになるので、そういう箇所は河川敷の道を歩く。
荒川支流の菖蒲川の水門を過ぎ、行く手に新幹線の鉄橋が近づく頃に堤防上にあがると、堤防外の下には「中山道戸田渡船場跡」の石碑が見える。
今の中山道である国道17号線の下をくぐり、ボート競技場のある戸田公園に達する。
ここには大学の漕艇施設(合宿所)などがある。
驚いたことに、大阪大学のボート部の人たちがいた。
試合があるのだろうか(長いボートを大阪から運んでくるのだろうか)。
この公園でトイレを借り、再び堤防上の道を進む。
荒川は微妙に屈曲して、そのおかげで河川敷の潅木帯の緑が視野に拡がる。
川の奥には上流域の秩父の山々が拡がっている(写真)。
こういう壮大な風景は街中の小さな川歩きでは味わえない。
戸田ボートレース場の大きな建物を過ぎ、笹目橋を横切ると、川全体が向って右にカーブして、流れは北西に傾く。
ここから荒川本体は左岸の堤防から離れて、その間に彩湖(さいこ)という長大な調整池が入りこむ。
これは荒川の氾濫原を貯水池にしたもので、利根川の渡良瀬遊水池に相当する。
といってもしばらくは、彩湖自体も(立入禁止区域のため)遠くに眺めるだけ。
高速道路となっている国道298号線(東京外環道)をくぐると、やっと彩湖の湖畔沿いの道となる。
令和元年の増水時の浸水高が頭上はるか高い所に記されている(写真:柱中央の白い横線)。
平時では公園にもなっている彩湖一帯がすべて水没したのだ。
そのおかげで、下流の東京の東側の0メートル地帯が水没しないで済んだ。
埼玉はこうして実際にわが身を犠牲にしながら、黙って首都東京を守っている(東京は埼玉のこの度量に感謝すべきだ)。
ここから先は湖畔の公園になっていて、多くの人がテント持参で、休日を楽しんでいる。
ボードセーリングに興じている人もいて、海無し県なのにマリンスポーツを楽しめる。
行く手のJR武蔵野線が走っている所で彩湖は終りとなるので、その手前で水辺から離れて武蔵野線の西浦和駅に向った。
ここから先の荒川は、しばらく(熊谷まで)は鉄路から離れてしまう。
スマートウォッチによると歩程は16km、歩数は25000歩に達した。
帰宅後体重計に乗ったら1kg以上減っていた。