東日本大震災から5年目を迎えた。
正直、5年たてば復興は終わって、”遺構”とされたもの以外は、すべて新しくなっているものと思っていた。
この遅れはなぜなのか。
日本の歴史でみられた”東北地方に対する冷遇”の結果だとは思いたくない。
客観的に見ると、関東大震災の復興も神戸の復興もそれなりに達成できたのは、面積が限定されていたためといえる。
それに対して東日本大震災は、千葉から青森までの広大な面積。
しかも、倒壊した跡地の復興だけでは済まず、津波で洗われた敷地全部の復旧と、新たな防波堤の建設、市街地全体のかさ上げ、住宅地の高台移転も含まれる。
それだけでない。
原発事故による除染は、結局、広大な山林にも及ばないと、住民は生活できない。
そもそも福一敷地内の作業も、もっとスムースに行くものと期待していた。
日本の原子力工学、ハイテク・ロボット技術のレベルって高いものだと思っていた。
最初から事故を想定しない原発技術だったから、お手上げなのか。
アメリカ、ロシア、中国だと住民が使えるガイガーカウンターが市販されていたが、日本製は事故前には存在しなかったくらいだし。
私がこの復興に力を貸せるとしたら、雀の涙の寄付くらいか。
そして、死者の数倍におよぶ人たちが、悲しみを背負ったままでいる。
私が気になるのは、ヘタに臨床心理学などを学ぶと、愛する家族を失って(対象喪失)悲嘆にくれる状態を「不適応」とみなしてしまうこと。
実際、最新のDSM-5(アメリカ精神医学会の診断マニュアル)では、2週間以上続く悲嘆は「うつ」と見なされるようになった。
この診断基準を、震災で家族を失った人に機械的にあてはまめるべきではない。
自然死によらない異常事態での死別は、一般的基準で判断すべきものではなかろう。
私にとって救いになるのは、儒教の喪礼だ。
親が死んだら3年は喪に服せという(『礼記』三年問:武田信玄の遺言もこれによる)。
2週間ではない、3年もの間、悲嘆に浸るのが子の礼だという(「喪礼は唯哀を主と為す」(『礼記』問喪)。
そして、その後(たとえば5年後であって)も親を思いだしたら哭す(泣く)べきとされる(『儀礼』士喪礼)。
つまり、子の親に対する気持ちは赤子のごとくあれ、というのが儒教の親子観なのだ。
逆に、子が死んだ親に対する喪礼はない。
もとより、親より先に子が死ぬのは、最大の”不孝”であって、親に対する道徳違反である。
もちろん子だって好き好んで死ぬのでないので、仕方ない。
でも親にとってわが子の死は、最大の”不幸”なのだ。
だから親は、礼によらずとも、自然の感情で※、死んだ子を思うといつでも哭す。
※むしろ、自然の感情(誠=赤心)こそが礼の基本である(論語、荀子、礼記)。
悲しみはいつまでも癒えない。
癒すべきものでないのかもしれない。
ただ、悲しみをどう生きるか、すなわち悲しみに対する態度や行動は変化できる。
悲しみを背負って、前に進むことはできる。