名古屋宅にいるが今日は何も用事がない。
そこで、”郷土博物館めぐり”の愛知編を実行したい。
選んだのは名古屋の東に愛知第二の都市として存在感を示す豊田市と、その途中にあるその名も知られていない「みよし市」。
後者は途中にあるという理由だけでなく、常滑訪問時に知った、愛知の焼き物のルーツ・猿投窯(さなげよう)の展示に期待。
ただしここは鉄道から外れているので、自家用車で回ることにする。
自宅から下道40分ほどで、広い高台(童子山)にある豊田市立博物館に着く。
今年開館したばかりで真新しく、規模も大きい。
特別展もやっているが、この後まわる所があるので、私が最も見たい常設展だけにする(市外者は300円)。
まずは「とよたモノ語り」と称して、豊田市の様々なモノが飾られている巨大な四面の展示棚を目の前にする(写真:左側にトヨタ車の展示もある)。
「ものづくり愛知」の一角を占める、いや愛知を代表する市にふさわしい壮大な展示。
そもそも「博物館」て、博(ひろ)く物を展示する館のこと。
実際ここも、石器、土器、古墳の副葬品、そして産業製品と物の展示が拡がる。
豊田はもちろん豊田自動織機に始まるトヨタグループ本社が市名の由来で、本来の地名は挙母(ころも)だった。
県内最大の市域には、徳川氏の元である松平氏発祥の地があり、尾張名古屋から信州飯田に達する中馬街道(塩の道)が通っていた。
そして、ここの地質は、陶器やガラスの原料としてすぐれ、トヨタ車の窓ガラスは今でもそれで作られている。
そのほか、あの横濱崎陽軒の「シウマイ弁当」に入っている「ひょうちゃん」(私もそれとなく集めている)もここの土が原料だという。
愛知が「ものづくり」のメッカになったのは、優れた素材(もの)の産地だったから、という至極真っ当な理由だったのだ。
このほかに豊田市の自然風景のジオラマがあり、ミュージアムショップもなかなか面白い。
館外には、移築された古民家や横穴式の古墳もある。
さらに、高台を南に豊田市美術館に向かう。
博物館と美術館の間にある木々のまばらな植え込み地帯(写真)は、私が研究対象とした霊視認者が霊的にとても気持ちがいいと言っていた所。
また美術館一帯は挙母藩の挙母城跡であり、石垣の上に屋根のある櫓が復元されている。
豊田市美術館にも入る(常設展のみ300円)。
常設展のスペースは小さいが、エゴンシーレ、クリムト、ココシュカ、それに私が好きなミロの作品(各1点)が展示されており、自分のスマホからネット経由で音声の説明を聴ける。
美術館は、建物自体と広場も作品なので、館外も歩き回る。
ついでに、庭のある茶室(童子苑:美術館と同じ設計者)でお茶をいただく(菓子付き450円)。
ここの庭にも水琴窟(多分常滑焼)があったが、地面下からの水滴音のエコーが聞きにくかったので、常滑にあったように耳に当てる竹竿があるといいとアドバイスしておいた。
次はみよし市立歴史民俗資料館。
道沿いに目立つ三好稲荷の隣に入り口と駐車場があった。
ここは無料で、受付で市外に○と人数を記入するだけ。
資料館は大きくなく建物も古く、豊田市と比ぶべくもないが、研究紀要をきちんと発行していて、一般向けの資料冊子も販売している。
一階が常設展示で、二階は雛人形の企画展示だった。
みよし市は先史時代の遺跡が少ないが、5世紀以降の猿投窯の遺跡が市内に160箇所もあるという。
ということで、期待通り猿投窯が展示の中心だ。
それに展示の説明が全て載ってあるパンフレットがありがたい。
それによると、猿投窯は、日本に焼き物が伝わった5世紀の間に、愛知県の猿投山の南西麓に展開された。
その中で最も古いのは名古屋市千種区の東山公園付近で(ブラタモリでも紹介)、そこから東漸してみよし市に達したのが8世紀半ば以降。
ただ、平安時代(9世紀)になると、猿投から分離した瀬戸と常滑が発展して、10世紀後半には一旦ほとんど消滅するが、11世紀末から復活し、「中世猿投窯」として碗や小皿が大量生産される。
だが13世紀の末には再び消滅し、それっきりとなる。
その頃の猿投窯の工人たちはどうなったのかというと、それまで美濃風だった瀬戸焼が13世紀に猿投風になったことから、猿投の工人たちは猿投山を越えた瀬戸窯に移り、最終的には瀬戸焼(古瀬戸)に吸収されたらしい。
ということで猿投山に一番近いみよし市で、猿投窯の歴史を、実物ととも学ぶことができた。
かように「ものづくり」愛知を堪能できるのが愛知の郷土博物館だ。