今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

河川氾濫の恐怖

2015年09月10日 | 防災・安全

昨日からの北関東の大雨で、とうとう鬼怒川の堤防が決壊した。
おしよせる濁流に住宅が破壊される映像を見て、 3.11の津波を思い出し、ゾッとした。
堤防も家も橋も道路も次々と破壊される。
水の恐ろしさを痛感した。
地球上で一番強いのは水なんだな…

昨日から、国交省の「川の防災情報」サイトで河川の水位をチェックしていたが、
あちこちで「避難判断水位」を超え、「氾濫危険水位」を超えていく
(その上の「計画高水位」を超えれば越水(氾濫)となる)。
私は為すすべがない。

河川氾濫は大雨の二次災害だが、もとは大雨の水で、しかも上流(栃木)の大雨がどっと大河川に流れ込んだもの。
しかも南北に流れる鬼怒川のほぼ真上に沿って線状降水帯が停滞していた。

日本では、大きな河川ほど治水がいきとどいており、
最近の水害といえば、その大河川に流れ込む中小河川の内水氾濫※ばかりとなって、
大河川の洪水被害は昔語りだと思っていた。

※現状で言えば、鬼怒川は今は利根川の支流になっているので、本流の利根川に対して内水氾濫を起こしたともいえる。
ただし本来は、銚子に流れていたのは鬼怒川で、江戸幕府が江戸湾に流れていた利根川を鬼怒川に合流させたのだ。

鬼怒川は、その字が示すとおり、関東の暴れ川で、下流の常総市付近は、ほとんど氾濫原のような地形だ。

今回のような災害は、毎年起きる台風や局地的豪雨とちがって、
確率的には数十年に1度程度だろうが、あたり一面冠水状態となるため、
人的被害は少なくても経済的被害(生活上の不便)はかなりのものとなる。

地震、噴火、台風、大雪、土砂災害、洪水と、はやり日本は自然災害大国だ。


台風から離れた所の長時間大雨

2015年09月09日 | お天気

東海地方から北陸地方に駆け抜けた台風18号。
私は進路の真下の名古屋宅にいたが、雨はほとんどなかった。
風は強く、わが私設日進気象台では最大瞬間風速22.8mを記録したが、屋上でポールにくくりつけた観測器は吹き飛ばされなかったようだ。 

確かに三重県の鳥羽では大雨で川も氾濫した。

だが、台風が接近する前日の浜松や、台風からは遠い関東で大雨・土砂災害の被害。
特に関東は「線状降水帯」が発達して、大雨をもたらす積乱雲の列が居座り続けている(より小規模なのが愛知にも存在)。

台風は移動するから台風付近の大雨は一時的、ところが線状降水帯は大雨が持続する。

この現象は、台風の間接的影響(だから台風本体から離れている)で、南から暖湿空気がどんどん同じ場所に流入してくるため。
なぜ同じ場所かというと、周囲の低気圧や高気圧や前線、あるいは上空の偏西風の配置によって、風向が1つにまとまるため。
そして線状降水帯が発達すると、今度は自らの力で暖湿空気を吸込み始める。
こうなったらやばい。 

河川の増水、土砂災害、低地の浸水に要注意!
それに積乱雲だから、雷や竜巻、ダウンバーストも起こりうる。

後からやってくる台風17号が、この線状降水帯を吹き飛ばす(発散)か、さらに強化する(収束)かは、両者の位置関係によって決る。
線状降水帯が西で、台風が東の位置関係だから、台風の反時計廻りの風が降水帯を北から吹き飛ばすと思われる。 ←この動きによる。
逆にいえば、台風18号の東側に線状降水帯が発達したのも共通した理由。


論文原稿、胸突き八丁を越えた

2015年09月06日 | お仕事

毎年、今ごろは論文の締切を前にしての、独り苦闘の時期。

今年とて例外でない。
論文こそは、研究者としての”仕事”そのもの。 
やらないわけにはいかない。 

まだ授業は始まってないので、東京の自宅から毎日図書館に通って、ひたすら原稿打ち。

作成手順は、
読むべき資料は読んだという前提で、
まず構成を組み(章建て)、ついで各項の文章をとりあえずは思いつくままに、順不同に打込む。
書きたいことは全て書いて、文字数が目安としている15000字に達したら(ここまでを8月中にやっていた)、 
論理の流れをスムースにするために、文章の推敲に入る。
冗長なところは大胆に削除し、言葉足らずなところは書き足す。
もちろん語句の表現の推敲にも頭を悩ます。
この作業を幾度も繰り返していくと、次第に文の流れがきれいになっていく。
この試行錯誤の過程が苦しい。 
山登りで例えるなら、頂上に達する7-8合目の、傾斜が一番きつい「胸突き八丁」の箇所。
ただ、予定していなかった新たな論理が開けてくることもあり、これはうれしい副産物。

金・土をこの作業に費やし、両日とも頭がフラフラになった。

そして日曜の今日、国会図書館が休館なので、広尾の都立中央図書館に行く。
原稿の冒頭から読み直しをして、必要な箇所を書き改めていく。 
幾度かの休憩(気分転換)をはさんで、作業を続け、
閉館間際の夕方、修正の手が文末に達した。
文を削って、追加して、結局17000字に増えた。 
満ち足りた気分でノートパソコンを閉じる。 

これで一番苦しい胸突き八丁を越えた。 
山でいえば、傾斜が弛む9合目に登りついた。
もう間近に
頂上が見える。

あとは、文献リストと図表の構成、すなわち半ば機械的作業だけ。
提出予定日は、次の日曜なので、丸々一週間余裕がある。

気分転換に、どこかに出かけて羽を伸ばそうかと思ったが、 
この先、どんなアクシデントが発生するか分らない。
”仕事”の完成を最優先しよう。


”一般国民”に愛されなかった

2015年09月03日 | 時事

東京五輪のエンブレムが採用取り消しになった件。

”一般国民”の一部であるネット民の力を見せつけられた。

最初このニュースを報じたテレビ側は、デザインの類似性にとても寛容で、こんなことではデザインを発表してもまた類似したデザインがネットで発掘されてしまうというコメンテイターの発言が目立った。
”ネットの暴力”を恐れるあいかわらずの発想だが、こういう発言はネット民を理解していない。

あのエンブレム(修正版)は最初から”一般国民”から支持されなかった。

ロゴマークとしてなら、さして違和感ないが、めでたいオリンピックのエンブレムとして、まるで”喪章”(一般国民の連想だが)…日本らしさもないし。

なので、なぜあのような支持されないデザインが選ばれたのかという疑義がそもそもの発端。

これらが作者の実力への疑義となり、ベルギーからの提訴をキッカケに、その証拠物件が次々とネットで発掘された。

さらに、選考メンバーとの人間関係が明るみに出て、選考過程そのものに対して疑義が深まる(このへんはやっとマスコミも気づいてきた)。

すなわち、発掘されるにはそれなりの理由と動機があるのだ。

デザインや作者が愛されていれば、苦労して類似作品を発掘する物好きはいないし、そうなった場合でも、多くは擁護する側にまわるだろう。

さらなる本質は、エンブレムだけの問題ではないということ。

スタジアムやボランティア・ユニホームを含めた決定過程への疑義(それと無責任体制も)。
もちろん、第一にはそれらが愛されていないためであるが、長年巣くってきた膿のような深い闇が”上級国民”の世界にありそうだということだ。

採用撤回したのも、一部の識者が批判するようなポピュリズム(大衆迎合)に屈したからではなかろう。
別に反対派が国会を包囲したわけでなく、ネット炎上しただけだ。
採用した側に自信があれば、押し切ってしまえばいい。

そうしなかったのは、何か後ろめたさがあるからだろう。
追究の矛先が作者自身から選んだ側に向ってきつつある矢先だった。
ネットの発掘力を見せつけられていた折り、
急いで蓋をした感じだ。

ただし、この闇の発掘はさすが”一般国民”だけでは無理。
ここぞ、プロのジャーナリズムの出番を期待したい。



5回目の18きっぷで帰京

2015年09月02日 | 東京周辺

昨日の午後、愛知の勤務先で会議を3本こなし、修論指導もして、
翌日、最後(5回目)の18きっぷで帰京した。

最後なので中央線経由にしようかと思ったが、8時間もの乗車はいささかつらく思えたので、2時間短い東海道線で帰る事にした。

なので結局今夏の5回すべて東海道線。 

いつもより早く出て、その分早く帰宅するつもりだった。

ところが、午前中の静岡県内の局地的な大雨で、JR東海管内で電車が不通の事態になっていたのを、浜松に至って判明。
理由の説明もないまま、運休になったり行き先が手前の駅に変更される。
その措置にもろに当たってしまい、掛川、静岡、沼津と乗り継いで、結局熱海発はいつもの便になってしまった。

雨はとっくにやんで、日が差しているのに。
並行して走っている新幹線は平常運転なのに。 

もちろん車内もいつになく混雑。
いつもは悠々座れるのに、今回は静岡−富士、沼津−三島間を立った。 

もっとも、乗車中は読書に充てるので、読書が進んだわけだが。

ネットの「ジョルダン」によれば、在来線(熱海−豊橋)のダイヤの乱れは夜になっても収まっていないらしい。

 


あの時の恐怖条件づけを消去

2015年09月01日 | 心理学

心理学的な意味での「学習」というのは、一般的には繰りかえしによって成立するものだが、こと恐怖の学習はたった一回の経験で成立してしまう。

これは動物の適応にとってとても価値がある(実は、学習をしないでも特定の様態をもった対象には生得的に恐怖できる能力をもっている)。 

現代の先進国住人は、少なくとも成人してからは、「危険な恐怖」というものを体験した人は少数派だろう。
6月30日にそれを経験した私は、自動的に形成されてしまう、すなわちシステム1が作り上げる恐怖条件づけをそのままにしておきたくなかった。

なぜなら、東京発10時20分発の「のぞみ」(新大阪行)は、東京の実家から愛知の勤務先の定例会議に間に合うのに丁度いいから、これからも乗りたい(恐怖心なしで)。

条件づけ(学習)を解除するには、「消去」という手続きが必要(このへんは、大学の「心理学」の基礎的授業内容)。

消去とは、この場合は、恐怖に対する無条件刺激(火災)と条件刺激(新幹線の同じ列車、同じ座席)とが連動しない体験をすることで、条件刺激と条件反応(恐怖)との結びつけを解くこと。

実は事件後の7月以降は、青春18きっぷで往復したため、新幹線を使わなかった。
9月1日の今日、2ヶ月ぶりに新幹線で職場に行くことになったので、あえて、
同じのぞみの同じ車輌に乗ることにした。 
非合理な恐怖心を消去するために。

車内で食べる昼食のサンドイッチまでも、あの日と同じにした。 

席について、別になんともなかったが、
犯人と同じほどの年格好の男性が1号車の通路を先頭にむかってゆっくり歩いていた時は、あの時をありありと思い出し、思わず彼の挙動を注視してしまった。

それと、あの時の新幹線が事件後に臨時停車した地点に達した時も、周囲の風景を確認してしまった。
このへんの行動は仕方ない。 

もちろん、何も起こらず、無事に名古屋に着いた。

これで一応、消去作業は終わり。

でも事件の教訓は忘れない方がいい。