goo

四つの白日夢 篠田節子

著者の本は2冊目、短編集は本書が初めてだが、話の雰囲気は前に読んだ作品と似ているので、こういう作風の作家なのだと思う。具体的には、夜中に天井から聞こえてくる不思議な物音、ヴァイオリンケースとワインボトルを抱えた老人が小田急線車内に忘れていった遺失物、借金のかたとして譲り受けた多肉植物に取り憑かれていく男、義母の遺影に写っていた謎の人物など、少し謎めいた要素や奇妙な感覚に読者を誘い込むところがある内容。ただし各編の肝はそうした謎の真相そのものではなく、謎が解かれた後に待っているちょっとした物語。たまにはこうした不穏と暖かさの入り混じった小説も良いなぁと思った。(「四つの白日夢」 篠田節子、朝日新聞出版)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

血腐れ 矢樹純

著者の本はこれが4冊目。前に読んだ3冊はいずれも叙述トリック要素の強いミステリー小説だったが、本書は謎解き要素のほとんどないホラー小説だった。登場人物たちが他人には説明できない不安と疑念を苛まれていて、それが事態の進展とともに大きく膨らんでいくというストーリー展開や全体の不穏な雰囲気はこれまでの作品と共通している感じだが、真相が超自然的な闇の存在にあってそれがそのまま終わるという点で全く別のジャンルの話になっている。個人的には前の作風の方が断然面白かったが、今後著者がどういう方向に向かっていくのか、これまでの作品が面白かっただけに、とても気になるところだ。(「血腐れ」 矢樹純、新潮文庫)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

うそコンシェルジュ 津村記久子

好きな作家の最新作。日常のちょっとした閉塞感や悩み、例えば気晴らしの愚痴や他人の悪口に根気よく付き合うのに疲れてしまった人たちの心のうちを描いたような短編が11編収められている。全体の雰囲気は、そうした主人公たちのやるせない気持ちを突き詰めていく著者の初期の作品に似ている気がするが、本書ではそうした初期作品の主人公にはない諸々の辛さを受け流す強さのようなものも感じられて、ちょっとホッとする。11編の中でも出色なのはやはり、ひょんなことから様々な悩みを抱えた人のために人を傷つけないような嘘のつき方を指南することになった主人公を描いた表題作「うそコンシェルジュ」とその続編。ストーリーが、「やはりそうなるよね」という感じと「予想外の展開」のちょうど間を行くような絶妙さだし、登場人物たちは至って真剣なのだがどこかコミカルでとにかく読んでいて面白い。流石だなぁと感心してしまった。、(「うそコンシェルジュ」 津村記久子、新潮社)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

山手線が転生して加速器になりました。 松崎有理

書評誌で紹介されていて面白そうだったので読んでみた初めて読む作家のSF短編集。パンデミック後の世界を描いたとんでもSFが5編収められている。表題作は、パンデミック後の都市撤退政策で需要のなくなった山手線を素粒子ミューオンと反粒子を衝突させる自律運転機能付きの加速器に転用するという内容だが、これがめちゃくちゃ面白かった。さらにその後の短編も全てパンデミックで激変した世界という共通項のとんでもSFで、パンデミックで観光客が激減した後に設立された観光旅行会社の戦略、無人化した東京に住む少年とリモート料理人の交流、パンデミック後に突如現れた言葉を理解するタコと異星人が地球に送り込んだ自律型探査機(グリーンレモン)など、とにかくその発想の面白さと、ドレイク方程式、フェルミパラドックス(保護区仮説)、アシスタントAI、パンスペルミア説(生命宇宙起源説)など科学知識の裏付けのようなものに翻弄され通しだった。巻末の書き下ろし、経済学者の話と宇宙開闢以来の年表もこれらの短編を全て繋ぐ内容で圧巻。著者の本、まだ色々あるようなので、これから読むのが本当に楽しみだと思った。(「山手線が転生して加速器になりました。」 松崎有理、光文社文庫)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

町なか番外地 小野寺文宜

東京都江戸川区と千葉の県境近くの格安アパートの住人4人の日常を描いた連作短編集。そのアパートは交通の便もさほど良くないし、見た目もパッとしない、安さが売りのごく普通のアパートで、その住人達もごく普通のちょっとした悩みや困難を抱えた人たちだ。物語は大きな展開のない内容で、最後の住人全員が登場するクライマックスもとても静かなものだが、著者の本らしい何故か心に残る一冊だった。(「町なか番外地」 小野寺文宜、ポプラ社)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

しっぽ学 東島沙弥佳

ヒトは何故進化の過程でしっぽを失っていったのか、そのプロセスと意味の謎を追求している研究者による啓蒙書。著者がどのようにして「しっぽ」に魅せられそれを研究対象として奮闘するようになったのか、これまでの研究で分かったことなどを、とても面白くかつやさしく教えてくれる。まず著者は、しっぽについて、位置、形、中身の観点から、肛門より後ろにあり、身体の外に出ていて、体幹の延長にあるものと定義し、その上で「ヒトがしっぽを無くした経緯」について、考古学、人類学、発生学、文学など文理の壁を超えた考察を進めていく。なお、猿(モンキー)と類人猿(エイプ)の違いは、しっぽの有無と手を肩から上に伸ばせるかで決まるとのこと。また北の動物ほどしっぽが短いという(アレンの法則)。一般的に、ヒトがしっぽを無くしたのは、「腕で木にぶら下がるようになり、直立歩行するようになる過程でしっぽが不要になったから」と何となく思われているが、これは全くの誤解で、ヒトは木にぶら下がったり直立歩行する以前からしっぽを失っていたということが化石などの研究から明らかになっているらしい。そこから著者の探究は始まる。しっぽのあるサルとしっぽのないヒトの中間の生物の化石が発見されればある程度解明される謎なのだが、未だにそうした化石は発見されていない。発見されないこと自体も謎のひとつということになるだろう。著者の研究はまだ道半ばで、読んでいてワクワクするし、大変面白くて、かつためになる一冊だった。(「しっぽ学」 東島沙弥佳、光文社新書)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

藍を継ぐ海 伊与原新

大好きな作家の最新連作短編集。今回は、最盛期の萩焼に使う幻の土を探す若者と岩石研究に励む地質学者、都会生活に疲れて地方に移住してきた女性とニホンオオカミ、長崎の原爆直後の科学データを記録し続けた在野の学者と空き家問題に取り組む市役所職員、北海道で隕石を探す人々と地域の郵便局員、アメリカの海岸で日本の調査タグをつけたウミガメを助けたネイティブアメリカンにルーツを持つアメリカ人と日本の少女、こうした時代も場所も想いも違う人々が織りなす物語。ストーリーも感動的だし、話の合間に出てくる科学トリビアもとても面白い。特に、オオカミから犬に進化の枝分かれをした際にヒトという種が関わったという仮説、北海道で見つかった隕石は一個だけという話、ウミガメの母浜回帰の話などは、ストーリーの中で何気なく出てくる話だが、全く知らなかった事実にびっくりした。(「海を継ぐ海」 伊与原新、新潮社)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

急がば転ぶ日々 土屋賢二

文庫化されたら読むと決めている元大学教授によるシリーズエッセイ集。かつては、色々なテーマのエッセイだったが、著者が老人ホーム暮らしになったからだろうか、前作あたりからほぼ全編「老人あるある」ばかり。でもこれが意外にマンネリ感もなくそれぞれ面白いというのがこのシリーズのすごいところだ。特に面白かったのは、太っ腹な人物、私のW杯、人のやさしさに触れて、素晴らしいリセットシステムなど。何が面白いのか上手く表現できないが、読んでいて楽しいし、そう考える人が多いからシリーズとしてずっと続いているのだろう。このシリーズ、少しでも長く続いて欲しいと心から思う。(「急がば転ぶ日々」 土屋賢二、文春文庫)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新謎解きはディナーのあとで 東川篤哉

人気シリーズの最新刊。収録されている短編5編全て、主人公をはじめとする登場人物たちのキャラクター、事件解決までのやり取り、単純だが破綻のないトリックなど、これまで通りのパターンが完全に踏襲されていて、とにかく安心して読めるのが本シリーズの最大の特徴かつ魅力だ。人気アイドルが所属する芸能事務所の社長が被害者の事件は、なるほどと思わせつつ、もう一捻りある真相が一番面白かった。(「新謎解きはディナーのあとで2」 東川篤哉、小学館)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

地図バカ 今尾恵介

色々な地図の楽しみ方を教えてくれる一冊。内容は、著者が地図好きになったきっかけ、地図マニアの先達、著者が所有するお宝地図、地図の構成要素である地名、駅名、高低差勾配の話など多岐にわたっていて、それらがどれも面白い話ばかり。読んでいて、自分も学生時代に欧州旅行した時にトーマスクックの地図を買ったなぁと懐かしく思い出したり、自宅近くの地名が出てきて嬉しくなったり、娘の世界地図帳を見て知らない国名が多くてびっくりしたことなどを思い出したりした。特に面白かったのは、著者が所有する殆ど海ばかりの20万分の1の地図で大きな図面に描かれているのが0.4mm×0.3mmの岩礁だけ。正式な地図が機械的に経緯度で区切られていた時代のものとのことで、同じ理屈で昔の地図は三宅島が2枚に分かれていたらしい。また、国際基準で経度がグリニッジを0度と決められる前、自分のところを経度0度にした地図を出したりしていた国があったらしい。地図の大きな楽しみの一つが昔と今の地図を比べることにある感じだ。また、戦後日本で丘とか台とか野を新しい地名につけるブームの話(いわゆるキラキラ地名)、踏切に一つ一つ名前が付いているといった話も面白かった。(「地図バカ」 今尾恵介、中公新書ラクレ)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

原爆裁判 山我浩

副題「アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子」とあるので、NHKドラマのモデルとなった初の女性裁判官三淵嘉子の伝記かと思ったがもっと多岐にわたる内容だった。アメリカの原爆開発の経緯(大量のウランをどのようにして入手したかなど)、原爆投下の意思決定過程(標的の決定など)、戦後のアメリカによる被害状況調査とそれに関する隠蔽工作などが描かれた後、いよいよ三淵嘉子の生涯、原爆裁判との関わりが述べられ、最後に三淵が主になってまとめたと言われる「原爆裁判判決文」の全文が掲載されている。原爆開発から投下に至るまでの経緯については、純度の高いウランを産出するコンゴに利権を持つベルギーの死の商人の話、投下に当たって事前通告なし、軍事施設でない都市部への使用、毒ガスや細菌兵器以上に非人道的な兵器使用の倫理的な問題が悉く無視された事情、降参目前だった日本にあえて使用した国際政治上の覇権争い、更には終戦後のアメリカによる被災地における残留放射能、死の灰の飛散の調査結果が隠蔽された事実などが語られる。巻末の判決文では、こうした状況を精査してアメリカによる原爆投下は明らかな国際法違反として断罪するが、原爆被害者である原告にアメリカを訴えることができるか、個人が国際法上の権利主体となりうるかなどを検討の上、被害者救済支援は日本国の政治によってなされるべき、それは司法の役割ではないとして訴えを棄却する。その後の日本政府の対応を見ていると、まだ十分ではないかもしれないがこの判決の果たした役割の大きさを感じることができたように思えた。(「原爆裁判」 山我浩、毎日ワンズ)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

フェイクマッスル 日野瑛太郎

今年の江戸川乱歩賞受賞作。男性アイドル歌手のドーピング疑惑を調査するために彼がコーチを務めるジムに潜入捜査を命じられた若手雑誌記者が主人公。巻末の乱歩賞審査員のコメントを読むと、潜入捜査が目的のはずがマッスルトレーニングにハマってしまう主人公が微笑ましいといったところが評価されている一方、展開に無理があるといった苦言が書かれているが、読んだ限りは芯となるミステリー部分こそこの作品の良いところだし、警察組織に詳しい人にとってはストーリーに多少無理なところがあるかもしれないが自分のような素人にはそんなこともあるかなというくらいで全く気にはならなかった。主人公がピアノの練習を余儀なくされるくだりは、ただの展開上の成り行きかと思ったが、最後に明かされる疑惑の真相と呼応していて、そういうことだったのかとびっくりした。色々な面白さの詰まった一冊だった。(「フェイクマッスル」 日野瑛太郎、講談社)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香

題名通り「母親から届く小包」をテーマにした連作短編集。送り主も受取人も女性という共通点はあるが、その両者の関係は娘に自分の過去を重ね合わせて過度に干渉してくる母親を疎ましく思う娘だったり、全く音信不通だったり、偽装家族だったりと様々。それでも相手の気持ちを汲めばどんなものでもちょっと前向きに捉えられるという話だ。ちょっと買うのがためらわれるような題名だが、わざと「ダサい」題名にしているのかなぁと考えた。(「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」 原田香、中公文庫)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カナリア外来へようこそ 仙川環

色々な過敏症に苦しむ人々を扱った医療小説の短編連作集。本書では化学物質、低周波音、味覚過敏、光などに起因した苦しみに直面する5人の人があるクリニックを訪れることによって希望を見出していく。こうした人たちの苦しみは、周囲の無理解だけでなく、悪気のない思い込み、医療体制の未整備などによって増幅されてしまう。過剰反応がストレスによるものだと因果関係を取り違えるというのはその一例だし、解決策が見出せない中で民間の俗説を鵜呑みにしてしまうというのもありがちな話だ。本書の舞台となるクリニックの成立に関わる人物が主人公の短編があったり、ある短編の主人公が別の短編で重要な役割を果たしたりと、一編一編の面白さだけでなく、連作らしい繋がりがとても印象的な一冊だった。(「仙川環、角川文庫)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆

日本文化に関する先行の研究論文、出版界の歴史、ベストセラーの変遷などの知見を駆使して、日本人の読書の歴史を語った一冊。題名をみて、読書の勧めとか自己啓発本のような内容を勝手にイメージして読み始めたが、予想に反してとても重厚な読み応えのある内容に驚かされた。まず明治期以降、読書は「修養」と呼ばれる自己啓発の手段として普及、その後エリート層による「教養」のための読書という考えや行動が「修養」とは別のものとして分離していったという。続いて戦前から戦後にかけて、インテリアとしての全集ブーム、エンタメとしての大衆小説が流行するなど、読書というものが教養と娯楽の間で揺れ動く様が描かれる。戦後については、パチンコ、ギャンブル、囲碁将棋、映画、テレビ、社内飲み会、社員旅行などの娯楽が広がるなか、会社人間としての長時間労働もあり、読書という行為の危機が訪れる。一方、日本人のメンタリティーは、社会は変えられないものという認識のもと、自分を市場や社会に適合させながら社会参加、社会貢献を果たすことに重きを置くようになり、ひいては自分でコントロールできない社会をノイズと捉えるようになっていく。そうしたノイズを視野から外して自分のコントロールできることだけを重視するメンタリティーから自己啓発本は読まれるが、何が書かれているか予想できない偶然性の強い一般の読書はノイズとして遠ざけられていく。また時間をどう使うかという価値観も、何事にも全身全霊で打ち込むことが美徳とされ、労働時間以外の時間も社会貢献や副業ステップアップのための学習に充てることが推奨されていく。こうした本書に書かれた流れと現状を認識するだけでも、何かが少し変わりうると感じさせてくれる内容だった。(「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 三宅香帆、集英社新書)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ