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ヴィヴィアンの読書会 七尾与史

本書は、厚さは普通の文庫本だが、紙の質によるのだろうが、随分とページ数が少ない。ページ的には中編という感じなのだが、ちゃんと長編のような章立てになって、普通に長編として読めるのが不思議だ。内容的には、登場人物が少ないので早々に犯人の目星はついてしまうが、真相に行き着くまでの論理展開はわかりやすく、かつなかなか良く出来ていて、ミステリーファンにも大変満足のいく作品だ。(「ヴィヴィアンの読書会」 七尾与史、PHP文芸文庫)

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掟上今日子の遺言書 西尾維新

シリーズ第4作目。これまでと違って長編という形態だが、密度的にはこれまでの短編1つとそう違わないようなきがする。といっても冗長に感じるということもない。この作者にとっては、1つのアイデアさえあれば、それを短編にするのも長編にするのも全く苦にしない作業なのだろう。ある意味本当にすごい作家だと思う。また、現在TVドラマで放映中だが、どんどん本の方を追い越しそうな勢いで話が進んでいる。まだ使っていないエピソードもあるはずだから余計な心配はいらないと思うが、TVが本の先を越してしまうのではないかと心配になる。他のTVドラマでも、シリーズの最新刊が出た直後にその内容が放映されるというケースもあるので、この作品ばかりではないのだが、やはり本という媒体が必ずしも作品発表の中心ではないということを思い知らされる。(「掟上今日子の遺言書」 西尾維新、講談社)

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望遠ニッポン見聞録 ヤマザキマリ

イタリアで暮らす日本人女性の本をこれまでいくつか読んできたが、須賀敦子の「ミラノ~霧の情景」、塩野七生の「ローマ人の物語」等、傑作と呼ばれるものが数多い気がする。日本の女性の感性が、イタリアの日常や歴史を掬い上げるのに適した特性を持っているのか、それとも「文才のある女性」がイタリアを好むという不思議な相関があるのかは判らないが、本書もそうした日本女性とイタリアの幸福な出会いから生まれた産物という期待を持って読み始めた。もともと「「テルマエロマエ」の作者という独特な感性の作品を生んだ作者であるから、一筋縄ではいかないエッセイだろうなぁと思いつつ読み始めたのだが、予想に反して、現在著者はシカゴ在住というではないか。何だか肩すかしを食った感じもしたが、やはり著者の目はどこかでイタリア的なものを持っているような気もするし、ごく普通の文化論としても十分に楽しむことができたことだし、「まあ良いか」という感じだ。(「望遠ニッポン見聞録」 ヤマザキマリ、幻冬舎文庫)

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ドゥームズデイブック コニー・ウィルス

(体調不良が長引いているのですが、本を読むことが出来るくらいには回復してきたので、ブログ再開します)

「ブラックアウト」「オールクリア」が面白いと人に勧められたので、同一シリーズの最初の1冊から読むことにした。話はタイムマシンもので、読み始めた時の印象は、実際に過去にいくとしたらどんな予防接種注射をしなければいけないかとか、本当に言葉が通じるのかどうかとか、突然の出現という異様な事態をどう乗り切るかなど、考えれば考えるほど色々大変なんだということだ。そうしたタイムトラベルを巡るドタバタが何とも味わい深い。そうこうしているうちに現在と過去でいずれも、原因不明の絶体絶命のピンチが訪れ、本当にハラハラドキドキ、怒涛のような勢いで結末へ向かう。こんなにもたくさんの人が死んでしまって良いのかというくらいの厳しい現実と対峙させられながらも、最後にはやはり少しホットする余地が残っている、そのさじ加減が絶妙だった。(「ドゥームズデイブック」コニー・ウィルス、ハヤカワ文庫)

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禁忌 フェルディナント・シーラッハ

作者の作品はこれで4作目。新鮮なトリックや意外な犯人に驚かされると言った要素はあまりないが、何故か読んでいてミステリーの醍醐味を感じる作品に惹かれて、作者の本は見つけるとすぐに読んできた。今回も本屋さんで見つけてすぐに入手したのだが、書評かなにかで「やや難解な作品」と紹介されていたのが引っかかり、何となく読むのが後々になってしまった。最初に読んだ作者の作品で、自分では面白いと思ったのだが、解説のところで「別の読み方が可能」というような謎めいた文章があり、その意味が分からずにもやもやした気分になった。そのことがずっと気になっていて、「難解」と言われるとまた同じ気分を味あわされるのではないかという気がして、嫌だったのだ。読んでみると、最初のうちはどういう話になるのかよく分からず戸惑ったが、だんだん話が見えてくると、面白くなり、最後に凄いどんでん返しがあってびっくりさせられる。それだけで十分なようだが、最初のうちの記述を考えると、ただ面白かったというだけではない、色々な読み方が出来るような気がする。研ぎ澄まされた文章と、そうした多面性が、著者の真骨頂であり、高い評価の理由でもあるのだろう。(「禁忌」 フェルディナント・シーラッハ、東京創元社)

体調不良(たぶんインフルエンザ)につきしばらく更新を休みます。

 

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花窗玻璃 深水黎一郎

この本の特徴は、漢字が難しくて題名が読めないということだ。読めないが、意味はステンドグラスだとなんとなくわかる。大きな円形のまどは「花窓」とか「バラ窓」と呼ばれているし、玻璃というのはガラスという意味だから、そう考えれば「花窗玻璃」をステンドグラスと読むことは何となく判る。その読み方と意味の問題は一応それでよかったのだが、それではなぜ作者がこのような、読むことさえ難しい漢字を題名に使用したのかという別の疑問がわいてくる。そうした疑問をもったまま読み始めた。少し読み進めると、この作品は「作中作」という形態である人物の手記が大藩を占めるのだが、これがまた題名と同じで、読みにくいというか、全てのカタカナが当て字のような漢字で書かれており、慣れるまでは読みにくいこと甚だしい。題名にしてもこの小説の大部分を占める作中作の表記にしても、いったい作者は何を考えているのかと思っていたら、終盤の方で、その意図が明らかにされる。こうした特異な表記の文章を読むことは読者に注意深く読む苦労を強いるが、書き手にとっても、このような書き方をすることは並大抵の苦労ではないはずだ。明らかにされた意図と、その書き手の苦労の大きさを考えると、何だか釣り合わない気がするし、やはりこの作者は只者ではないという気もする。ミステリーの謎解きとしても十分に楽しめたし、中世の教会建築や芸術に関する薀蓄もいっぱいあったし、今年読んできたミステリー本のなかでも特に印象に残る満足できる1冊だった。作者の本はまだこれで2冊めだが、まだ色々出ているようなので、これから読んでいくのが楽しみだ。(「花窗玻璃」 深水黎一郎、河出文庫)

 

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日本人が知らない漁業の大問題 佐野雅昭

日本という国が、漁業という分野において、先進国なのかそうでないのか、それすらも一概には言えないということを気づかせてくれた。日本は漁業という産業においては資源国であるが、資源国としてのふるまい方に日本は慣れていない。そうしたことが大きく影響しているのかもしれない。他の本で読んだのだが、例えばアイスランドという国は漁業の生産性という点では紛れもない先進国であるが、日本はアイスランドの漁業に学ぶことが多いのだろうか。日本の養殖技術は紛れもなく世界一の水準だと思われるが、著者は養殖技術に頼る道には落とし穴がいっぱいあるという。日本が進むべき道はそう単純ではないらしい。これからの40年50年後を見据えて、今日本がするべきことは何か、そうしたことを考えさせてくれた1冊だった。(「日本人が知らない漁業の大問題」 佐野雅昭、新潮新書)

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ニーチェ 白取春彦

学生時代に愛読したニーチェの本が時々懐かしくなる時がある。そうかといって、もう自分なりに判ったつもりになってしまっているからだろうか、彼自身の著書そのものをもう一度最初から読んでみようという気にはならない。1冊の本を何日もかけて読み直すだけの根気がなくなってしまったのかもしれない。そういう時に、こうした解説本を読んで自分なりの理解を確認したくなる。これまでにも何冊かそういう感じでニーチェの本を読んだが、そのたびに、自分の理解とのニュアンスの違いを再認識してきた。今回も同様だ。本署では、驚いたことに彼の永劫回帰の思想がはほとんど語られていない。彼の思考のプロセスはあまり重視されていないようだ。また、本署ほど虚無のなかでどのように生きるべきかを楽観的に語った本も、これまで読んだことがなかったように思う。閉塞感の強い現代、その中で一番割を食っている世代の読者を意識したからだろうか。確かにそういう意義もあるなぁと、少し感心してしまった。(「ニーチェ」 白取春彦、宝島社)

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