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オベチキン

「ネクスト・ワン」候補の6人目は、アレキサンダー・オベチキン。彼のオリンピックでのプレーを見て、すごい選手だと思った。ただ点を取るだけではなく、その激しいファイティング・スピリットのようなものが見るものに伝わってくるようなプレーにいたく感動した。彼は、現在のところ、「ネクスト・ワン」に最も近いところにいる2人の内の1人だ(もう1人は次に紹介する「大本命」のクロスビー)。
しかし悲しいことに、彼のサインは、先に紹介したサムソノフ程ではないが、非常にやる気もサービス精神もない類のサインである。サムソノフもオベチキンも旧ソ連の選手であることを考えると、元社会主義国では「ファンへのサービス」という概念が希薄だったので、その影響が残っているのではないかと邪推してしまう。とにかくこの「やる気のない」サインは何とかして欲しい。
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イリヤ・コバルチャク

「ネクスト・ワン」の5人目は、イリヤ・コバルチャク。彼も「ネクスト・ワン」の可能性のある21世紀のニュ-ヒーローだ。チーム・メイトだったヒートリーと比べられることが多いようだが、前評判は、コバルチャクの方が上だったように思う。プレ-スタイルは、華麗な技術でスマートな感じで、どちらかと言えばグレツキーに近いかもしれない。しかしNHLの成績では、ヒートリーの方に歩がある。サインは、少し雑な感じがあり、改善の余地が大きい。
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逃亡くそたわけ 絲山秋子

単行本で出たときに買ったのに読まずに放置していた本書だが、最近文庫本になっているのを本屋さんの店頭で発見した。別に慌てる理由もないのだが、何故か慌てて読むことにした。実に雰囲気のある小説だ。読後も何故かほのぼのした感じが心に残る小説だ。ほんの数時間なのに何故今まで読まなかったのか。緑と赤と白の背景に、銀色の文字と鉛筆で書かれたスケッチという表紙のセンスの良さと、帯の「新芥川賞作家」という大きな文字に惹かれて購入したのを覚えているが、その後どうして読まずに放置していたのかは良く判らない。単行本としては薄めなので、いつでも読めるという感じでなんとなく放置していたとしかいいようがない。さらにその間に、私は横浜と名古屋の2重生活となり、大半の未読の本は横浜に置いたままにして、名古屋で読む本は名古屋で調達することにしたのだが、数冊だけはすぐに読もうと思って名古屋に移動させた。その数冊の1冊が本書でもある。それでも読まなかった。何故なんだろう。
しかし本書を読んでみて、今になって読んだこと、今まで読まなかったことに、何か偶然とは言いがたいものを感じた。この本を読んで初めて知ったのだが、この本のストーリーには、私の仕事のテーマでもある「名古屋と東京」の関係が文学者の目で書かれている。本書の舞台は九州だが、主人公の1人が「なごやん」と呼ばれる「名古屋人」で、東京の大学を出た後、九州に移ってきたという設定になっている。九州弁と名古屋弁がちりばめられた本書は、九州と名古屋の人間にとっては、特殊な意味を持つ本である。東京から地方までの距離と、地方から東京までの(心理的な)距離の違いといった話がでてきて、思わず「そうそう」と思ってしまう、私が、思い当たる理由もないのに今の今までこの本を読まずに放置してきたのは、「名古屋のことが少し判ってきてから読むと良いよ」ということではなかったのか。気づかなかったが、そもそも題名の「くそたわけ」は名古屋弁ではないか。読む本の内容とタイミングはどうしようもない偶然に左右されるものだが、こうした偶然はたまらなくうれしい。
(「逃亡くそたわけ」絲山秋子、中央公論新社)
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朽ちていった命 NHK取材班

99年9月の東海村臨海事故で被曝した患者と治療にあたった医療チームの83日間を記録したドキュメンタリーである。医療チームの人々が、自分に出来ることを必死で探し、それを実践していく姿は感動的である。そして、その壮絶な人間ドラマのなかで、放射能汚染問題、エネルギー問題、医療問題、尊厳死問題、など、実に多くの問題を考えさせてくれる。全体の印象でいえば、本書は、放射能汚染の事故を取り上げたものであはるが、直接的に放射能汚染に関する記述はあまり多くない。これは、大変皮肉なことに、被害者が被爆した放射能があまりにも多すぎたために、却って「放射能汚染に対する治療」などすら施す余裕がなかったという事情による。読後に強く感じるのは、この事件がその後の医療にどのような影響を与えたのかということである。(「朽ちていった命」NHK取材班、新潮文庫)
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サクリファイス 近藤史恵

名古屋・栄の丸善で見かけた「今年の本屋大賞はこれで決まり(多分)」というPOPに惹かれて読んでみた。内容は、スポーツ青春ミステリということだが、前半の「自転車競技」というものに対する描写のなかで少しずつ破綻に向かっていくことを予感させる緊張感の高まりも見事だし、終盤の展開はさらに息をつかずに読ませる面白さだ。2転3転する真相は、最初の「惨劇」までは推測できたのだが、その後の展開には大いに驚かされた。自転車競技というものの面白さ、それに熱狂する欧州の人たちの心理などにも興味が沸く。確かに、今年の流れから言うと「本屋大賞」を取ってもおかしくない傑作だと思う。途中1か所だけ、「作者のご都合主義」が気になった部分がある(主人公の元カノがある人物に出会うところ)。最後の展開の伏線になっているのでそういう話にしたかった作者の気持ちは判るが、そこまで面白くしなくても十分面白いのにと思った。(「サクリファイス」近藤史恵、新潮社)
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バットマン

これは、映画「バットマン」の撮影時に使用した、バットマンのマントと、バットマン・カーのタイヤを埋め込んだコレクティブルである。バットマンのマントの方が希少価値が高いらしい。両方とも当然ながら真っ黒なので、見ていてさほど面白くはないが、映画で使ったものの材質などが判るのでそれなりに人気があるようだ。
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ダニエル・ヒートリー

ここまで「ネクスト・ワン」の候補者だった3人を紹介してきた。いずれも、素晴らしい選手にはなったが「ネクスト・ワン」との呼称が定着することはなかった。ここからは、今、その可能性のある選手を何人か紹介していく。彼らは、これまでの候補者よりももう一段、「ネクスト・ワン」に近いところにいるような気がする。それは、NHL全体が新しいヒーローを渇望しているからである。彼らは、「ネクスト・ワン」にはなれなくても、間違いなく「21世紀のニューヒーロー」である。
まず筆頭は、ダニエル・ヒートリー。彼は、私が個人的に最も期待している選手である。昨シーズンまで2年続けて100ポイント超を達成している。NHLデビューが01-02シーズンなので、デビューからもう5年であるが、彼のプレーで最も印象的だったのは、去年のオールスター・ゲームだった。オールスター・ゲームは、NHLのスターが集うイベントで毎年1試合だけ開催されるが、レギュラーシーズンを戦っている最中なので、自分が怪我をしたり、相手選手を怪我させないように、多少ディフェンスが甘くなり、点取りゲームになることが多い。そこで彼は、1試合4得点をたたき出した。これは、過去においてグレツキーだけが達成した大記録である。この試合をみて、もしかしたら彼こそNHLファンが長くその登場を待ち望んでいた「ネクスト・ワン」なのではないかと考えた。その後も、先ほど書いたように連続して100ポイント以上をあげる活躍をしている。彼がもう一段レベルアップしたプレーをすることができれば、「ネクスト・ワン」にある資格は十分にあるように思われる。
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ジョー・ソーントン

全く期待はずれだったサムソノフに続いて、ジョー・ソーントン。彼も、「ネクスト・ワン」の有力候補だった時期がある。彼がドラフト対象になる前から大いに騒がれた。彼は、サムソノフと違い、体力的にも非常に恵まれた選手だ。しかし、彼も、ドラフト全体1位で入団したブルーインズではまさにエース、トップスターにふさわしい記録を残してきたのだが、NHL全体を支配するような選手になったかと言えば、そこまでは行かずに終わっている。昨シーズンは、久しぶりに年間100ポイントを達成したが、「ネクスト・ワン」の条件は、前にも言ったように「200ポイント近い数字を出すこと」だ。活躍したといっても半分でしかないのだ。若い頃から傑出した才能を見せ、体格的にも恵まれた彼の成績を見ていると、「ネクスト・ワン」の登場を期待するのは無理なのかもしれないという気さえしてくる。
一方、彼のサインは、結構面白い。というのは、なかなか丁寧なサインであるし、何故か一目でそれとわかる特徴があるからである。言い換えれば、インパクトがあるのである。これは、サイン収集にとっては非常に重要なことである。ここでは、NHLデビュー前から最近までの4枚を比較の意味で掲載しておいた。長くサイン集めをしていると、同一人物のサインが複数枚数集まってしまうことが多い。通常の選手の場合は、2枚目以降は別の人のサインとの交換用に回すのだが、グレツキー等何枚集めても楽しいので交換用にせずに手元に持っている、という選手が何人かいる。ソーントンそんな1人で、とにかく何枚あっても楽しいサインなのだ。
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サムソノフ

「ネクスト・ワン」の2人目は、サムソノフ選手。彼が最も輝いており、「ネクスト・ワン」の候補だったのは、残念ながらデビュー前の2,3年間だったように思う。94年か95年あたりの時だが、ロシアにものすごい17歳の少年がいるという評判が立った。多分ジュニア・リーグのようなものだと思うが、年間200ポイント近い成績をあげた少年の噂でNHLは持ちきりだった。グレツキーの場合は、小学生リーグのようなところで年間370ポイントという成績をあげ大騒ぎになったというが、それを連想させるような驚異的な活躍をしたわけである。否が応でも周囲の期待は高まり、ドラフトを経てブルーインズに入団。新人選手としては立派な成績をあげたと記憶しているが、その後は、ほとんど活躍らしい活躍をしていないという印象だ。もうすぐ30歳のはずだが、ついにはブルーインズからも離れ、本当に並の選手になってしまったような気がする。彼とグレツキーの共通点は、ホッケー選手としては小柄であるという点だ。体力的なハンデは、少年時代には技術でカバーできるが、NHLのような最高峰の舞台ではなかなかそれだけでは通用しない。彼がその良い例だろう。
 サインを集めているものにとって、サムソノフ選手のサインは最悪の部類に入る。全くサービス精神のない、やる気のないサインだ。アメリカのNHLの関連誌でも「もらってがっかりするサイン」のベスト3に入っていたように思う。名だたる名選手が一生懸命サインをしてくれているのに、若いサムソノフがこのようなひどいサインをしているのを見ると、本当に悲しくなる。最近のサインはみたことがないが少しはましになっているのだろうか。
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ポール・カリヤ

ここから少し、NHLの「ネクスト・ワン」に関連した選手を紹介していきたい。
「ネクスト・ワン」とは、グレツキーが「グレート・ワン」と呼ばれたことにちなんで、「グレツキーの後継者」という意味で使われてきた言葉である。そこには、グレツキーの次にチームの人気選手という域を超えてNHL全体のスーパースターになるのは誰か、果たしてそのような選手は現れるのか、といった期待が込められている。最近は「ネクスト・ワン」という言葉自体あまり聞かれなくなったような気もするが、それはどちらかというと、いろいろ「ネクスト・ワン」の候補がでてきても、どうしてもそこまでの選手になれずに終わってしまっているということで、やや「ネクスト・ワン」探しに諦めムードがあったからだろう。しかし、最近になって再びそうした言葉がふさわしい選手がでてきている。そこで、「ネクスト・ワン」という言葉に注目して、そのあたりに関連する選手を何人か紹介してみたい。そもそも「ネクスト・ワン」と呼ばれるためには、非常に高いハードルが必要だ。得点王を3年連続ぐらいではまだその域には達しない。おそらく200ポイントを数回記録するとか、5~6年連続で得点王になるとか、そのくらいのインパクトが必要だろう。
前置きが長くなったが、まずそもそも「ネクスト・ワン」と最初に呼ばれたのは誰か、ルミューは、もちろんその資格は十分にあったが、グレツキーの全盛期と活躍時期がかなりダブっていて「後継者」というイメージが沸きにくい。おそらく最初の候補者は、すでにサインを紹介済みのヤーガかもしれない。しかし、彼もどちらかというとグレツキーと重なる部分が多く、「後継者」というイメージが弱い。本当の意味で「次の世代の後継者」の候補としては、ここで紹介するポール・カリヤが最初の「ネクスト・ワン」候補ではないかと思う。名前からも判るように彼は日系カナダ人である。彼は非常に若い時からスーパースターの素質十分で、「ネクスト・ワン」の筆頭候補だった。しかし、長野オリンピックの時に、カナダチームの一員として来日する予定だったが、直前の試合で、激しいタックルにあって脳しんとうを起こし、来日出来なくなってしまった。その後今一つ活躍しておらず、「ネクスト・ワン」の候補からもはずれてしまったようだ。日本のファンとしては、非常に残念かつ寂しい。サインの方は、柔和な顔つきに似合わずかなり荒々しい感じのサインである。彼については、書きたいことが山のようにあるが、ここまでとしたい。
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おこう紅絵暦 高橋克彦

本書は、高橋克彦の時代小説だが、いくつもの魅力を持った本当に面白い作品である。元不良少女、玉の輿で筆頭与力の家に嫁いできた「おこう」という名前の女性が、気だての良さ、行動力、正確な観察眼と、回りの人の優しいフォローで、人を助け、世を正していくという話だ。よく考えれば当たり前なのかもしれないが、江戸時代にも、不良少女がいたということ、彼らにも若者ならではの正義感、仲間との連帯意識といったものがあったということが良くわかる。また、主人公を取り巻く登場人物も、それぞれが主役をつとめられるだろうと思われるほど、際だって魅力的だ。続編でも関連作品でもいい、とにかく書き続けて欲しいと願わざるをえない。(「おこう紅絵暦」、高橋克彦、文春文庫)
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木漏れ日に泳ぐ魚 恩田陸

一人称で書かれた小説は総じてそういう傾向があるのかもしれないが、この本は、語り手の心のなかの描写と、登場人物の会話が交互に書かれている。しかも、この本では、語り手がいる場所は全く変わらず、動きもほとんどない。要するに、語り手の回想と会話だけで話が進行していくのである。そのため、会話だけ追っていけばおそらくあらすじは30分もかからずに読めてしまうだろう。しかし、この本の良さは、会話がなされる背景にある心の変化の詳細な描写である。次の会話がなされた背景、心のうち、心の変化が丹念に書き込まれている。心の変化を描写するだけで話を進行させるというのは、おそらくかなりの技巧が必要だと思う。しかも、その話がミステリーの場合、心の内の描写によって、説得力のある謎解きをしていくというのは、信じられないくらいの技巧が必要だろう。とにかく、回想だけで謎解きをするという困難なテーマにチャレンジして、大変面白い話を書き上げた作者には脱帽するしかない。その技巧を楽しむためには、1行1行をおろそかにせずに読むしかない。そういう不思議な体験をさせてくれた1冊だった。(「木漏れ日に泳ぐ魚」恩田陸、中央公論社)
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ダン・マリーノ

次のアメリカン・フットボール選手は、ダン・マリーノ。ジョー・モンタナ、スチーブ・ヤングと3人ともクォーター・バックの選手だ。ダン・マリーノについても、私には知識がほとんどない。彼のプレーも多分TVで見たことがあって、覚えているのだろう。スポーツ選手を中心にいろいろサインを集めているが、やはりそのスポーツが好きで、いろいろな情報を持っていないと集める楽しみは大きくない。アメリカン・フットボールはたまに見る程度なので、個々の選手の背後にあるドラマも知らず、ただ自分の記憶にある選手を闇雲に集めるだけになってしまう。このサインは、書かれた写真の色が濃いために、サインが全く目立たなくなってしまっていて残念だ。
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スティーブ・ヤング

ジョー・モンタナに続いて、アメリカンフットボール選手の2人目はスティーブ・ヤング。80年代の数年を除いてほとんどアメリカン・フットボールを見たことのない私が、何故ヤングの名前を知っているのかは、私自身も良く判らない。たまたま見た試合が印象的だったのかもしれない。このサインを入手したときの人気度からして、おそらくかなりの選手なのだろうが、アナウンサーか誰かが、ジョー・モンタナ選手の後輩で、プリガム・ヤング大学創設者の孫と言っていたように思う。サインは、勢いがあって形も良く、何よりも「かっこいい」感じがする。
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ジョー・モンタナ

ここでの紹介は初めてになるが、アメリカンフットボールの選手のサインをいくつか紹介する。但し、私自身、ほとんどアメリカンフットボールについては知識がないので、集めたサインも私が耳にしたことのある数選手に限られる。まずジョー・モンタナ。日本で彼の試合を見ていて、アナウンサーが「モンタナ・マジック」という言葉を連発していたのを記憶している。圧倒的に強いというよりも、気持ちでドラマを作るタイプの選手のようだ。サインは気の抜けたような簡単なもので、スーパースターだから許せるぎりぎりのものという感じである。
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