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ユルスナールの靴 須賀敦子

本書は、著者最晩年の作品とのこと。これまでに読んだ著者の本は、今から思えば(読んでいた時は意識しなかったが)、年齢不詳という感じの文章だった。遠く霧の向こうにみえるものを描いたような独特の文章は、数十年前の遠い昔の出来事の回想であり、長い時間の経過が影響しているのだろうと思っていた。ところが本書では、前の作品よりも遠い過去の話であるにもかかわらず、著者の現在が見えるというか、明らかに過去を懐かしく思いやっているような文章になっていて驚かされる。霧のかかったような文章は他と変わるところはないが、それでも現在の著者が文章から垣間見えるというのは、著者の作品を読んでいて初めてのような気がした。さらに、著者の回想は、以前の作品よりもさらに自由に時間を前後するようになり、年少時代の記憶まで登場するようになっている。老人は過去を懐かしむものだと言ってしまえばそれまでだが、その時間を越えた自由な思考の奔放さは、更にいっそう輝きを増しているように思われる。ユルスナールはハドリアヌス帝と一緒に旅をし、著者はそのユルスナールと一緒に思考の旅を続けた。読者としてその旅に同行するには、ハドリアヌス帝のことを知り、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を読み、できればその現地にも足を向けてみなければいけないような気がする。これを全部やるには時間がかかるだろうが、是非やってみたいと思った。(「ユルスナールの靴」 須賀敦子、河出書房新社)

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武士道エイティーン 誉田哲也

主人公の高校生活を描いた作品なので、初めから3部作を予定していたのだろうか。それとも、最初の1冊がでた後、続編を望む声が多かったので第2部以降が書かれたのだろうか。どちらもありうる気がするが、読者としては1冊だけで終わらなかったのが有り難い。第3部にあたる本書では、これまでに登場した脇役の視点から描いたエピソードが4つ、話の流れのなかで独立した短編のように織り込まれていて、作品全体をまとまりのあるものにしてくれているし、話が他の人の視点で描かれることによって立体的に見えてくるものがある。特に主人公の後輩のエピソードは、第2部までのところで謎のままで終わってしまっていて中途半端な感じがしたので、すっきりさせてくれた。さらなる続編が期待されるが、もし続編が書かれるとしたら、その内容もさることながら、今度はどのような視点で描かれるのかも気になるところだ。少なくとも主人公2人のライバルの反撃、そのライバルの視点から描いたエピソードは、この物語を完結させるためには必須だと思われる。それにしても、本書のしおりの糸が赤と白の2本ついているというのはしゃれっ気があって面白い。(「武士道エイティーン」 誉田哲也、文藝春秋社)

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生態系は誰のため? 花里孝幸

題名にインパクトがないので、ごくありふれた環境に関する解説本だと思って読んだら、単なる解説書とは異なる予想以上に面白い本だった。著者は湖沼の動物プランクトンの生態研究が専門ということで、食物連鎖の底辺とも言うべきプランクトンに向けるまなざしがとても温かく、それが普通の環境の解説本とは一線を隔する面白さの要因になっているようだ。湖いっぱいに繁殖するプランクトンと人間の体積の比率と、地球と湖の体積の比率を比較して、「人間という存在だけが特別、生態系に大きなダメージを与えている」という考え方そのものが人間のおごりだというくだりなど、なるほどと感心してしまった。人間という生物が過去の化石燃料である石油を発見してから、世界が変わってしまったという話も面白い。また「ヘドロの中できれいな花を咲かせるハス」という中国古来から日本にいたるまでの考え方について、「ヘドロのなかにもかかわらず」ではなく「ヘドロのなかだからこそ」なのだという話も、いかに人間が自己中心的かということを考えさせられる。「魚の住めるきれいな川に」「川にアユを呼び戻そう」といった環境スローガンの間違い、子供への環境教育への疑問、それらは皆、「可愛い動物」「目立つ動物」だけにしか関心を示さない人間のエゴに由来するという。なるほど小さくて地味ともいえるプランクトンの研究家ならではの視点だ。随所随所でハッとさせられる本だが、もう少しインパクトのある題名にすると良いのにもったいないと思う。(「生態系は誰のため?」 花里孝幸、ちくまプリマー新書)

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武士道セブンティーン 誉田哲也

他にも読みたい作品が沢山あるということを意識するために、前の作品を読んでからすぐに続編を読むということをあまりしないようにしているのだが、本書は、前作が面白かったので、すぐに続きが読みたくなってしまった。前作は、2人の主人公が再会するところで終わっていたが、本書では少し時間が逆戻りしていて、2人が再会するまでの経緯から始まっている。対照的な2人の主人公のそれぞれの思いが交互に語られて進む形式は前作と同じだが、本書ではさらにその対照的な2人のいずれとも違う第3のキャラクターが登場し、ますます面白みを増す。最後のところで主人公の1人が下す決断には思わず心の中で拍手してしまった。(「武士道セブンティーン」 誉田哲也、文春文庫)

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武士道シックスティーン 誉田哲也

この1週間は震災の影響で読書どころではなかったが、計画停電でいつ電気が消えるか判らない状況のなか、読書を再開した。少し元気になるような本が読めると有り難い。3、4年前に「一瞬の風になれ」「風が強く吹いている」といったスポーツ小説の名作が立て続けに出版され、ブームのようになったことがあった。その後の「サクリファイス」などの作品も含めて何冊か読んだが、いずれも大変面白かった。本書もそういう流れのなかで出た本だということは知っていたが、エンターテインメント色の強そうな題名なので何となく敬遠していたのだが、少し元気になれる本を読みたいという気分に合いそうなので読んでみた。題名の印象通り、主人公の個性を強調したユーモアのある文章と内容だが、剣道を知らなくてもその奥深さが伝わる描写はとても面白い。また、対照的な2人の視点からの描写が交互に現れ、物語が立体的に描かれているのがうまいと思う。最後に主人公2人が再会するエンディングもしゃれている。すでに続編の2冊も入手済み。すぐにも読みたい感じだ。(「武士道シックスティーン」 誉田哲也、文春文庫)

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われわれは何故死ぬのか 柳澤洋子

一般向けに書かれた生物学に関する解説書なのだが、激しく心を揺さぶられる本だ。書評でその衝撃的な書き出しについて言及されていたので心構えは出来ていたつもりだったが、実際に最初の3ページを読んでみて、とにかく単なる生物学の解説書ではないことが伝わってきた。書かれている内容は、どうして生物というのは「死」というメカニズムを会得したのか、すなわちなぜ生物は「死ぬ」のかということを、進化に関する知見や発生学などから解き明かすというものだ。様々な生物の多様な「死」のあり方が紹介され、そこに通低している生物学的な意味合いの考察などは本当に驚くべきものだ。例えば、人間の胎児において指が形成される時、指と指の間の細胞が「自爆」して指が形作られるという。その他にも、細胞単位での「自死」という現象は生物界のいたるところにあるという。著者のあとがきに、「このテーマを書くにあたって、哲学的色彩をどの程度織り込むか悩んだ」とあるが、この本のすごいところは、哲学的な色彩を極力排して生命科学的記述に徹したところにあると思う。(「われわれは何故死ぬのか」 柳澤洋子、ちくま文庫)

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街場のメディア論 内田樹

比較的新しい「街場」シリーズの1冊。著者の文章は、一時期凝った「中島義道」と少し似ているところがあるが、中島よりも、理知的で穏健なところが、私のような普通の人間にはちょうど良いように感じられる。「日本辺境論」を読んでからのファンだが、どれを読んでも面白い。まだ読んでいない本が数冊残っているが、少しずつ楽しみながら読んでいきたいと思う。特に、著者の本で個人的に一番気に入っているところは、文章の中の括弧書きの部分がめちゃくちゃに面白いということだ。括弧書きを読んで思わず吹き出してしまったことも多い。その点、本書はその括弧書きが他の本に比べて少ないような気がして少し残念だった。(「街場のメディア論」 内田樹、光文社新書)

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ツアー1989 中島京子

とても不思議な本だ。謎があって、それが一応解決しているようなのだが、なにも解決していないようにも思える。少し読みだしてから、題名の1989を思い出し、そもそも1989年というのはどんな年だったかを自問してみる。まず平成が始まった年だというのはすぐに判るが、その後がよく思い出せない。バブルの真っ最中ということは判るが、それ以上はなかなか具体的なイメージが思い浮かばない。読み終わってから解説をみると、リクルート事件のあった年、ソニーがコロンビアを買収した年とある。いずれもバブル期の象徴的な出来事だ。それ以外にも、宮崎勤事件のあった年、手塚治虫、美空ひばり、松田優作が亡くなった年だそうだ。言われてみればそうなのかもしれないが、記憶とは案外いい加減なものだと思い知らされる。本書のテーマは「あいまいな記憶」だ。読んでいて最後までつきまとう「騙されているような」感覚こそこの「あいまいな記憶」によるものだと気づく。読む本に翻弄されてしまったような気分が、不思議な感覚の正体なのだろう。(「ツアー1989」 中島京子、集英社文庫)

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レボリューションNO.0 金城一紀

「レボルーションNO.3」を読んだ時の面白さが頭に残っていたので、本屋さんで本書を見つけた時は嬉しかった。作者の作品には、触るのが痛いような鋭さと、ほのぼのとした優しさののようなものが同居している。個人的には「NO.3」のような少しコミカルで優しい方が好きだが、本書は「NO.3」の少し前の出来事という設定だが、鋭さの方が勝っている感じがした。それでも面白かったということは、結局どちらも好きだということなのだろう。「3」が出て「0」が出て、次は「1」なのか「2」なのか、それとも「4」とか「5」になるのか、いずれにしても、そうした題名の本を本屋さんで見つけるのが今から楽しみだ。(「レボリューションNO.0」 金城一紀、角川書店)

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神様のカルテ2 夏川草介

本屋大賞の第2位になった前作「1」の続編。「泣かせる本」としては、前作よりもさらにパワーアップしており、今年の本屋大賞の有力候補であることは間違いない。最後のところの「病院の屋上での出来事」では、涙ぐまずに読むのは難しいというか、ここで涙ぐまないようでは本書を読む甲斐がないという感じだ。前作では主人公の不自然な文語体のような口調と主人公の妻の読んでいる方が恥ずかしくなるような甘い口調の両方が、「作者の照れ隠し」のようで気になってしょうがなかったが、本作ではそれが少し改善されているように感じた。医療の世界の問題点を指摘する本という意味では、海堂尊の一連の作品に繋がるものがあるが、同じ問題に対する両者のアプローチの違いが対照的で面白い。(「神様のカルテ2」 夏川草介、小学館)

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謎解きはディナーのあとで 東川篤哉

読む前から軽いユーモア・ミステリーであることが一目瞭然で、どこの本屋さんに行っても平積みになっていて売れていることが明白な本書だけに、なかなか読む気になれなかったのだが、本屋大賞にノミネートされたので、読んでみた。予想通り、軽さ、読みやすさが特徴のミステリーだが、ストーリーの面白さはあまり期待していなかった期待よりも少し上という感じだ。このくらい軽い本が良く売れる、とにかく読みやすい本が売れる、という最近の本の売り上げ傾向を良く示している。よく売れている時事解説本やノウハウ本の内容の無さに失望するのと違って、初めから軽いと判っているので、失望もしない。時々はこういう本も良いかなと思わせるような本だ。(「謎解きはディナーのあとで」 東川篤哉、小学館)

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悪の教典(上・下) 貴志祐介

本書のように分厚くて重い上下巻の本は、読むタイミングが難しい。上下巻を両方持って歩くのは大変なので避けたいが、移動中や出張中に上巻を読み終わる可能性を考えると、両方持っていたい。そのため、どうしても移動や出張のない週末にならないと読めないということになる。そうしたタイミングを計っていて、今週になってようやく読むことができた。読んでいると、まず最初にかなりの数の人物が登場。それなりの長さの長編小説なので、そのあたりはしょうがないと思いながら、登場人物を何となく良い人間と悪い人間に分類しながら読み進めていくと、途中ですこし違和感を覚える。そこでようやく、様々な登場人物の視点で書かれた地の文章には、登場人物それぞれの主観が入っていることに気づく。それに気づいた時の恐ろしさは格別だ。最後のストーリー展開のどんでん返しの仕掛けはすぐに判ってしまうが、もう1つの犯罪の証拠の方は完全に意表をつかれた。下巻後半の分刻みのサスペンスの映画をみているようなリアリティが著者の真骨頂なのだろう。なお、読んでいる途中で、京都大学のインターネットを使ったカンニング事件が報道された。この手口はこの本にでてくる事件とよく似ている。実際の犯罪はこの小説をヒントにしたものではないかもしれないが、こうしたリアリティがまた怖い。(「悪の教典(上・下)」 貴志祐介、文藝春秋社)

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