書評、その他
Future Watch 書評、その他
ウェイン・グレツキー サイン ⑤ NYレンジャース NHL
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グレツキー サイン ④ SLブルース NHL
このサインは、これまでのようなサイン・カードではなく、アイスホッケーのパックにサインされたものである。一般的に、グレツキーがセントルイスに所属していた期間が非常に短かったため、セントルイス関連のカード、特にこうした関連グッズへのサインは数が少ないように思われる。
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叫びと祈り 梓崎優
綾辻行人が大絶賛したという新人作家のデビュー作。書評誌でも「まれに見る大傑作」と最高級の賛辞を得ている本書だが、まだブレイクはしていないようだ。書評誌に「これほどまでの傑作を大々的に宣伝しないのは出版社の怠慢」と書かれているが、読んでみると、確かに新人とは思えない拡張高い文章、奇想天外のストーリーで、書評誌の意見が全く誇張でないような気がしてくる。
内容は、世界を旅するジャーナリストが、サハラ砂漠、スペイン、ロシア、アマゾンといった世界各地で出会う謎を解いていくという連作集だが、それぞれの土地の人々の内面に深く思いを巡らした様な「謎の答え」が、単なる「意外性」を狙ったものでないものとしてずしりと心に響く。しかも、連作の最後の短編によって、本書を、単なる「傑作短編集」でなく、1つの大きな物語にしてしまっている別の「意外性」に心底驚かされる。全く作風も内容も違うが、昨年大ブレイクした柳広司の「ジョーカー・ゲーム」を思わせる作品全体に漂う虚無感のようなものが本作品にも感じられる。こうした傑作を自信を持って世に問わない出版社の不甲斐なさを嘆く書評者の気持ちが良く判る。(「叫びと祈り」梓崎優、東京創元社)
内容は、世界を旅するジャーナリストが、サハラ砂漠、スペイン、ロシア、アマゾンといった世界各地で出会う謎を解いていくという連作集だが、それぞれの土地の人々の内面に深く思いを巡らした様な「謎の答え」が、単なる「意外性」を狙ったものでないものとしてずしりと心に響く。しかも、連作の最後の短編によって、本書を、単なる「傑作短編集」でなく、1つの大きな物語にしてしまっている別の「意外性」に心底驚かされる。全く作風も内容も違うが、昨年大ブレイクした柳広司の「ジョーカー・ゲーム」を思わせる作品全体に漂う虚無感のようなものが本作品にも感じられる。こうした傑作を自信を持って世に問わない出版社の不甲斐なさを嘆く書評者の気持ちが良く判る。(「叫びと祈り」梓崎優、東京創元社)
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ウェイン・グレツキー サイン ③ ロサンゼルス・キングス NHL
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ウェイン・グレツキー サイン ② エドモントン・オイラーズ NHL
以前ここでも書いたことがあるが、一般的にスポーツ選手のサインは、新しいものほど簡略化されていく。人気がでてくると、サインの需要も増大するので、多くのファンになるべく多くのサインをということなるから、こうした変化はある程度致し方ないものである。グレツキーのサインも例外ではないが、むしろ彼の場合、サインをねだる膨大なファンへのサインを延々と続けながら、このような丁寧さを保っていることの方が、驚異といってもよいだろう。しかも、多少省略されていても、その特徴をほとんど失っていないという点で、非常に稀有な存在と言える。こうしたファンへのサービス精神は、試合の前に一生懸命ファンにサインをしているイチローの真摯な態度と共通するものがある。一時期、彼のサインは、機械を使っているのではないかとの説もあったようだが、同じものが1つとしてないことは明白で、濡れ衣ということで落ち着いたようである。
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神様のカルテ 夏川草介
本書を読むと、世の中のお医者さんに対する感謝や敬意の気持ちが高まらざるを得ない。医療行為に忙殺されるお医者さんが何を考えているのか、何に悩んでいるのか、そうしたことをあまり考えたこともなかったことが申し訳なく思えてくる。主人公の口調が時代がかっており、彼の妻との会話にリアリティがないことに当初は違和感を覚えたが、それも深刻なリアリティを中和するための工夫だと言うことが次第に判ってきた。話題になっている「泣かせどころ」と思われる箇所をちょうど電車のなかで読むこととなり、慌てて本から目を離してしまった。出てくる主人公以外のキャラクターも謎が多くて魅力的だ。(「神様のカルテ」夏川草介、小学館)
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ロスト・シンボル(上・下) ダン・ブラウン
数年前に一世を風靡した「ダヴィンチ・コード」の作者、ダン・ブラウンが満を持して発表した新作。ローマを舞台とした「天使と悪魔」、パリを舞台とした「ダヴィンチ・コード」に次ぐ、ラングドン教授シリーズの3作目で、今回の物語の舞台はワシントンDCだ。実をいうと、今月行って来たローマでは、ミーハーと言われてても仕方がないが、「天使と悪魔」の舞台となった場所、バチカン、サンタンジェロ城、ナヴォーナ広場、サンタ・マリア・デル・ヴィットリア教会等を全て訪れてきた。私にとっては4回目のローマ観光だったので、観光内容に何か今までにないアクセントをつけたかったからである。ローマに行く前に本書が刊行されていることは知っていたが、帰国後に読もうと思って、読むのを我慢していた。そういう感じでいつになく思い入れの深い読書となった。
本書の内容だが、歴史的・宗教的な団体の謎に迫る歴史ミステリー、差し迫る危機、観光名所案内、最先端の科学、暗号解読というお決まりのパターンで安心して読める。しかし、夜の観光名所を疾走するスピード感とハラハラするミステリアスな展開には今回もとにかく驚かされた。謎が謎を呼ぶ展開に、旅行から帰って時差ぼけを直さなければいけない、早く寝なければと思いつつ、どうしても本を置くことが出来なかった。今回の作品は、全2作に比べるとやや思念的な部分が多いので、映画にする際には、いろいろな工夫が必要だろうと思ったりしたが、ロン・ハワード監督ならば、また、原作の良さを残しつつ面白い娯楽作品に仕立て上げてくれるだろう(私とハワード監督の邂逅については、2010年2月28日の記事を参照ください)
また今回は、仕事や観光で何度も訪れているワシントンDCが舞台にも関わらず、全く知らない場所に案内されたように感じた。こんなに宗教的な色の濃い町だったとは知らずに訪れていた、というのが戸惑いの原因だ。このあたりの感想はアメリカ人も同じかもしれないが、アメリカに住んでいると、とにかくアメリカ社会の「宗教」の影響の強さに驚かされることが多い。もしかすると、宗教概念の強いアメリカ人の読み方は日本人の読み方とは随分違うかもしれないという気もした。
筆の早くない作者のことなので次の作品の話はまだ早いかもしれないが、ローマ、パリ、ワシントンDCときて、次はどこだろうと考えずにはいられない。本命はロンドン、対抗がモスクワというところだろうか。カトリックの強い東欧プラハなども面白そうだ。謎が多いという面ではカイロもありうるし、イスラム教とキリスト教の衝突という観点ではマドリッドやイスタンブールなども候補だろう。東京を舞台に書いてくれると良いが、世界的に有名な観光名所をキリスト教の謎と絡めて展開させるというパターンを考えると、残念ながらそれは当分無理だろう。ただ、彼に書いてもらわなくても、そのうち日本人の誰かがダヴィンチ・コードに匹敵する質の高い東京版歴史ミステリーを書いてくれるような気もする。(「ロスト・シンボル(上・下)」ダン・ブラウン、角川書店)
本書の内容だが、歴史的・宗教的な団体の謎に迫る歴史ミステリー、差し迫る危機、観光名所案内、最先端の科学、暗号解読というお決まりのパターンで安心して読める。しかし、夜の観光名所を疾走するスピード感とハラハラするミステリアスな展開には今回もとにかく驚かされた。謎が謎を呼ぶ展開に、旅行から帰って時差ぼけを直さなければいけない、早く寝なければと思いつつ、どうしても本を置くことが出来なかった。今回の作品は、全2作に比べるとやや思念的な部分が多いので、映画にする際には、いろいろな工夫が必要だろうと思ったりしたが、ロン・ハワード監督ならば、また、原作の良さを残しつつ面白い娯楽作品に仕立て上げてくれるだろう(私とハワード監督の邂逅については、2010年2月28日の記事を参照ください)
また今回は、仕事や観光で何度も訪れているワシントンDCが舞台にも関わらず、全く知らない場所に案内されたように感じた。こんなに宗教的な色の濃い町だったとは知らずに訪れていた、というのが戸惑いの原因だ。このあたりの感想はアメリカ人も同じかもしれないが、アメリカに住んでいると、とにかくアメリカ社会の「宗教」の影響の強さに驚かされることが多い。もしかすると、宗教概念の強いアメリカ人の読み方は日本人の読み方とは随分違うかもしれないという気もした。
筆の早くない作者のことなので次の作品の話はまだ早いかもしれないが、ローマ、パリ、ワシントンDCときて、次はどこだろうと考えずにはいられない。本命はロンドン、対抗がモスクワというところだろうか。カトリックの強い東欧プラハなども面白そうだ。謎が多いという面ではカイロもありうるし、イスラム教とキリスト教の衝突という観点ではマドリッドやイスタンブールなども候補だろう。東京を舞台に書いてくれると良いが、世界的に有名な観光名所をキリスト教の謎と絡めて展開させるというパターンを考えると、残念ながらそれは当分無理だろう。ただ、彼に書いてもらわなくても、そのうち日本人の誰かがダヴィンチ・コードに匹敵する質の高い東京版歴史ミステリーを書いてくれるような気もする。(「ロスト・シンボル(上・下)」ダン・ブラウン、角川書店)
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ウェイン・グレツキー サイン ① ファースト・サイン NHL
グレツキーのサインは既にゴーディ・ハウとのダブルサインを紹介済み(2007年6月1日)だが、ここでは私の手元にあるそれ以外のグレツキーの単独サインを何枚か紹介することにしたい。まずは、グレツキーの最初のサインカードである。彼のサインは、もちろん、このサイン以前にも多く存在する。例えば、試合が終わったところをファンが待ちかまえていて、スタジアムから出てきた本人にサインをしてもらったというサイン。こうしたサインは、何百何千とあるに違いない。しかし、このサインは、そうした面前(person to person)でグレツキーがサインしたものではなく、サイン用のカードに何枚かまとめて彼があらかじめサインをし、それを売り出すという形ので最初のサインなのである。300枚限定生産である。面前でしてもらったサインは、もらった本人にとっては、本物のサインであることが、売られているものを買うよりも確実なのだが、第3者にとっては、それが本物であるかどうかを確認する手段がほとんどない。それに比べて、このように、しかるべきところから売り出されたカードは、由来がはっきりしており、価格表リストにも載っていて、偽物の確率が少ないという利点がある。特にグレツキー本人と会うことが困難な海外のファンなどにとってはこうしたサインを集めることが主流になる。このサインは、そうしたサインの最初のものである。また、このサインは、最初のサインであるという点だけでなく、そうした形でのサインの発売の最初であったために、非常に丁寧に書かれているという点でも貴重なものとされている。その後そういうサインが増えてくると、言い方は悪いが、サインがすこしづつ「手抜き」になっていく。そうした「手抜き」がこのサインには全く見られない。それは次に紹介するサインと見比べれれば一目瞭然である。これは、私のコレクションで最も貴重な1枚である。
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日本辺境論 内田樹
いろいろな新書ランキングでベスト1になり、書評各誌でも絶賛されている本書。ローマ観光中に、ちょっとした待ち時間に少しずつ読んだのだが、ベスト1に推されているのがよく判るような実に味わいの深い本だ。10日間の旅行で日本から新書を3冊持って行ったのだが、そのうちの2冊を行きの飛行機の中で読んでしまったので、残り9日間で読める本はこの本だけという状況になってしまい、時間をかけて少しずつ読んだのだが、それが良かったのかもしれない。少しずつ読んでもよく頭に入るような平易な文章でありながら、著者の思考プロセスが明確に伝わってくるような醍醐味を感じることができた。著者は新しいことは何も書いていないと謙遜しているが、「日本の辺境性」という一つの切り口を徹底的に突き詰めていくことそのものが。ここまで新しい視野を提供してくれることには驚きを禁じえない。確かに、日本人が他国の文化の吸収にすぐれているのは何故か? という問いの答えが「外部に必ず上位文化がある」と信じる日本人の特性から説明できることは明白だが、その同じ切り口で、日本人は何故「‥道」というものを発展させてきたのか? 日本の武士道の本質は何か? 日本のマンガが世界の最先端をいくのは何故か? こうした問いに対してもこの切り口が実に有効であることを示されと、まさに驚きだ。最後の方で、日本語の特性を「メタ・メッセージに労力の大半を使う言語」と規定する部分も、本当に面白い。これまでに読んだ新書のなかでも傑出した内容の深さを感じた。(「日本辺境論」内田樹、新潮新書)
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ヨーロッパの中世美術 浅野和生
本書も、ローマ観光の準備のために、行きの飛行機で読んだ本である。中世美術の鑑賞に役立つかもしれない、中世美術に関する最近の研究の一端を知っておきたいなどと考えて読んだのだが、最初のページを読んでまず、私自身、中世美術を考える以前に「そもそも中世とは何か」という問いに満足な答えを持っていないことに気づかされた。私自身が考えている「中世」とは、「こういうもの」という明確な定義によるものというよりは、「古代と近代の間」という消去法のようなもので漠然と捉えていたものだということに気づかされた。しかも本書を読んでいると、「中世美術」というのはさらに厄介なもので、「中世に制作された美術品」イコール「中世美術」という単純なものでもないらしい。私を最も混乱させたのは、本書が、中世の美術を記述しているのに、最初のうちに使われている写真が「廃墟」のようなものばかりだったからだ。「中世」とはいつからいつまでなのかを考えることもなく、頭の中で漠然と「廃墟=古代美術」と考え、それが「中世美術なのに廃墟?」ということになってしまったのだろう。写真の廃墟と中世という言葉がどうしても頭のなかで結びつかないことに大いに戸惑った。
全体としては、「美術とは何か」という点についても改めて考えさせられた。本書の内容が、建物の様式とその装飾に偏っているように感じられたのだが、よく考えるとそれは、作者の趣味や得意分野による偏りではなく、中世の美術というものがそういうものだったということになるだろう。絵画や工芸品のようなものがそれ単体で美術と見なされていなかった時代、それがまさに「ヨーロッパの中世」だったのではないかと思い当たった。(「ヨーロッパの中世美術」浅野和生、中公新書)
全体としては、「美術とは何か」という点についても改めて考えさせられた。本書の内容が、建物の様式とその装飾に偏っているように感じられたのだが、よく考えるとそれは、作者の趣味や得意分野による偏りではなく、中世の美術というものがそういうものだったということになるだろう。絵画や工芸品のようなものがそれ単体で美術と見なされていなかった時代、それがまさに「ヨーロッパの中世」だったのではないかと思い当たった。(「ヨーロッパの中世美術」浅野和生、中公新書)
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聖書の読み方 大貫 隆
観光旅行でローマに行くことになり、少しでもキリスト教の精神世界について知識を得ておこうと考え、ローマまでの飛行機の中で本書を読むことにした。本書は、聖書に書かれた物語のダイジェスト、聖書に書かれた内容の宗教的な解釈書ではなく、ひたすら聖書を読むときの心構えと前提となる知識が書かれている。本書の約半分は、実際に聖書を読んでどこで躓いたのかというアンケートを元に書かれた「聖書が読みにくいのは何故か」というテーマについての解説で占められている。私自身、聖書を旧約から新約まで通読したことはないが、通読しようとすると大きく違和感を感じるであろうことは容易に想像ができる。新約のなかでも、キリストが人間的な感情を顕にする場面があるし、何を言っているのか良く判らない場面があったりする。そうした点を「キリスト教の世界に暮らしていないからしょうがない」と諦めていた部分も、本書を読むと、それだけでは済まされないものがあることがよく判る。聖書に書かれていることの「無謬性」が主張されながら、キリストの最後の言葉が福音書によって異なっていることも、前から引っかかっていたところだ。それについては、それぞれの福音書は事実を記録したものではなく、それぞれの書き手が「体験したこと」が書かれているという解釈でなんとなく納得していた部分があった。また、聖書を物語として読んではいけないことは知っていたが、それでは「どのように読めば良いのか」ということについては深く考えた事がなかった。本書を読むと、聖書と対峙するとき「どのように読めばよいのか」を考えながら読むことの重要性が強く伝わってくる。当初の目的であった「ローマ観光」の準備にはならなかったが、それ以上に深く考えさせられた本だった。(「聖書の読み方」大貫隆、岩波新書)
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葬式は、要らない 島田裕巳
50歳を過ぎると、まだまだという気はあるものの、親が死んだ時の対応はどうしたらいいのだろうかとか、自分が死んだときに家族になるべく負担をかけさせたくないとかを、ふと考える時がある。葬式というのは、急に必要になるものだが、なんだかとても判りにくい世界だ。あまりそのあたりを深く考えたりはしたくないし、なんだか人に聞いたりするのも憚られる。いろいろ考えるのだが、結局は、必要になったときに、葬儀社あたりに連絡をすると、かなりの費用はかかるだろうけれども、すべて彼らがうまくやってくれるだろうというところ落ち着いて終わりである。こうした状況の人が多いと思われるなか、本書は、あまり人には聞けない話を、しっかりと教えてくれる本だ。特にこの本に書かれた「戒名というものの正体」にはなるほどと思った。「戒名」などという制度は仏教の経典のどこにもなく、しかも日本にしかない風習なのだそうである。仏教の学校でも「戒名」については全く教えていないそうだし、そもそも普通のお坊さんに「戒名」を授ける資格があるのか疑わしいのだそうだ。また、日本の場合、「戒名」の長さで値段が違うというのを聞いたことがあるが、「長い方が良い」などというのは全くの根拠がない話で、日本の仏教隆盛の礎をつくった聖武天皇や栄華を極めたの藤原道長の戒名ですら「たったの2文字」だったという事実が書かれている。さらに自分で自分の戒名を作る際のこつなども書かれていて、早速作って見たりもできる。単なる合理主義だけではなく、合理的に考えておかしい現在の葬式のあり方に一石を投じた本書は、意外に実践的な本でもあるように感じた。(「葬式は、要らない」島田裕巳、幻冬舎新書)
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新参者 東野圭吾
本書は、ある殺人事件に関する長編推理小説なのだが、それぞれの章の主人公が違い、しかもそれぞれの章に小さな謎があり、それを全体の主人公が1つづつ解決していって、それが最後に殺人事件の解明につながるという非常に面白い構成の小説だ。時間の進行にあわせて複数の場面が交互に描かれていくというよくあるパターンとは違い、それぞれの章の謎の解明自体が大変面白くできているし、それが最後に全体の謎解明に見事につながっていくというのは、全く新しい形態の小説のように感じられた。最後のページを見ると、驚いたことに、最初の章が書かれたのが2004年、最後の解決章がかかれたのが2009年となっている。最初の章が書かれた時、既に最後の章までの構想があったとしたらかなり驚くべきことだし、後から全体像ができあがったのだとすると、それはそれで、こうもうまくまとめられるものかと不思議な気がする。推理小説の出来映えもさることながら、どうしたらこんな芸当ができるのか想像もつかないというのが正直な感想だ。(「新参者」東野圭吾、講談社)
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