書評、その他
Future Watch 書評、その他
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吉原手引草 松井今朝子
2007年に直木賞を受賞した話題の本が早くも文庫化されていた。作者の作品を読むのは「家、家にあらず」に次いで2冊目。「家、…」は時代小説とミステリーが融合した作品で、新しい読書の領域を見せてくれたようで、強い印象に残った作品だった。そういうなかで刊行当初から評判の高かった本書を読んでみることにした。
読み始めてまず気がつくのが、作者の話の進め方の上手さである。本書は、ある事件の謎を追うある人物が、いろいろな事件の関係者から事情聴取をしたその記録という形でストーリーが進む。どのような事件か、読者は初めのうちは全く知らされていないのだが、読みすすめるうちにそれが少しずつ判ってくる、という趣向だ。その上手さを楽しむためには、文庫の裏表紙のあらすじめいた解説文すら邪魔なほどだ。また、吉原という特殊な世界に全くなじみのない読者に、それを説明しながら話が進む展開にも全く無理がなく、そのあたりの上手さも際立っている。最後に残された「事情聴取をしているのは誰か?」という謎も、最後に解き明かされ、なるほどと納得できる。書評家各氏・書評誌各誌の絶賛を受けて直木賞受賞というのも当然のような気がした。(「吉原手引草」松井今朝子、幻冬舎文庫)
読み始めてまず気がつくのが、作者の話の進め方の上手さである。本書は、ある事件の謎を追うある人物が、いろいろな事件の関係者から事情聴取をしたその記録という形でストーリーが進む。どのような事件か、読者は初めのうちは全く知らされていないのだが、読みすすめるうちにそれが少しずつ判ってくる、という趣向だ。その上手さを楽しむためには、文庫の裏表紙のあらすじめいた解説文すら邪魔なほどだ。また、吉原という特殊な世界に全くなじみのない読者に、それを説明しながら話が進む展開にも全く無理がなく、そのあたりの上手さも際立っている。最後に残された「事情聴取をしているのは誰か?」という謎も、最後に解き明かされ、なるほどと納得できる。書評家各氏・書評誌各誌の絶賛を受けて直木賞受賞というのも当然のような気がした。(「吉原手引草」松井今朝子、幻冬舎文庫)
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嘘をもう1つだけ 東野圭吾
加賀恭一郎フェアで購入した1冊。倒叙形式ではないが読者には犯人がほぼ判っている、犯人は極悪人ではなくむしろ読者が犯人に対して共感をもつように描かれている、読者は加賀恭一郎のちょっとした質問から犯人の供述の矛盾や犯罪隠蔽工作の綻びを見つけ出して楽しむ、これらが本書に収められた短編の共通点であり、これまで読んだ印象では短編・長編に共通の加賀恭一郎シリーズ全体の特徴のように思われる。短編1つ1つにそれぞれ趣向が凝らされていて面白く、ここまでくると、著者にとって長編と短編の違いとは何なのだろうという素朴な疑問が沸いてくるほどだ。(「嘘をもう1つだけ」東野圭吾、講談社文庫)
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仇討ち 池波正太郎
「仇討ち」をテーマにした時代小説は、1つの大きなジャンルを形成するほど数多く書かれており、その中には傑作や名作も数多いのだそうだ。本書はずばり「仇討ち」という題名で、著者も時代小説の正統派、非常に時代小説らしい時代小説ということになるだろう。本書に収められた様々な「仇討ち」を巡る人間模様は、ハッピーエンドあり、悲劇あり、勧善懲悪あり、理不尽な結末ありで、実にバラエティに富んでいて面白いが、どちらかといえば、悲劇や理不尽な結末の方が多いようだ。前にも書いたように、日本の時代小説は、現代と小説の時代の違いは制度的な違いだけで、人間の心情には違いがないという前提で書かれていることが多い。しかし本書のように、現代にはない「仇討ち」というテーマを中心に据えると、そこに描かれるのは、現代では想像できない時代の閉塞性と制度自体の理不尽さである。本書では、登場人物の所業が比較的あっさりと軽妙に描かれているが、それでもそうした閉塞感がひしひしと伝わってくる。本書が刊行されたのが昭和40年前後。時代小説の読者を中高年サラリーマンと仮定すると、本書などはまさに戦後の高度成長を支えたサラリーマンの愛読書だったということになる。我々の親の世代、企業戦士と呼ばれた世代の人々が、こうした理不尽な話をどのような気持ちで愛読していたのか、大変気になるところである。(「仇討ち」池波正太郎、角川文庫)
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純粋理性批判殺人事件(上・下) マイケル・グレゴリオ
これもミャンマー出張中に読んだ本。1804年厳冬、ナポレオンの侵攻におびえるプロイセンの町ケーニヒスベルクで起こった連続殺人事件。哲学者イマヌエル・カントの助力を得ながら事件を追う判事の周りで起こる不思議な出来事。事件は、町の混乱を狙うフランスの政治的な陰謀なのか、あるいはサイコキラーによる犯行なのか? 当時の時代背景を踏まえた政治論議あり、近代精神や道徳律といったペダンチックな哲学論議ありで、興味は尽きないが、そのどちらにもあまり深入りしていないところが読者にはむしろ有難い。欧米の本を読むと、キリスト教の素養のなさに歯がゆい思いをすることがあるが、欧米人との教養基盤の違いは、キリスト教だけではないのだなぁと思ったりした。
それにしても本書で描かれたケーニヒスベルクの街、人々の暮らしは、高々200年前の話なのだが、何故かとても遠い過去のようだ。自然の厳しさもさることながら、描かれている人々の反道徳的な行為の数々には驚かされる。登場人物の中で最も誠実な人物として描かれている主人公でさえ、ほとんど何の根拠もなく無実の人を死刑に処して、ほとんど良心の痛みを感じるところがない。理性が支配する前の前近代というのはこういう世界だったのだろうか。そう考えると、日本の時代小説において、人々の心情が現代と連続しているように描かれていることとの違いはどういうことなのだろうか? もしかすると、西洋人の精神の中には、今でも反道徳的なものが根底にあるということなのだろうか? 厳しい自然や人命が軽んじられる社会の方が哲学的な思考や宗教的な倫理観が育まれるという気がするが、西洋哲学の根源は、意外とこうしたところにあるのかもしれない。なお、中島義道がカントについて人間的には問題の多い人物だったというようなことを書いていたが、本書を読むとそのあたりは西洋人には一般的に知られたことなのかもしれないと感じた。(「純粋理性批判殺人事件(上・下)」マイケル・グレゴリオ、角川文庫)
それにしても本書で描かれたケーニヒスベルクの街、人々の暮らしは、高々200年前の話なのだが、何故かとても遠い過去のようだ。自然の厳しさもさることながら、描かれている人々の反道徳的な行為の数々には驚かされる。登場人物の中で最も誠実な人物として描かれている主人公でさえ、ほとんど何の根拠もなく無実の人を死刑に処して、ほとんど良心の痛みを感じるところがない。理性が支配する前の前近代というのはこういう世界だったのだろうか。そう考えると、日本の時代小説において、人々の心情が現代と連続しているように描かれていることとの違いはどういうことなのだろうか? もしかすると、西洋人の精神の中には、今でも反道徳的なものが根底にあるということなのだろうか? 厳しい自然や人命が軽んじられる社会の方が哲学的な思考や宗教的な倫理観が育まれるという気がするが、西洋哲学の根源は、意外とこうしたところにあるのかもしれない。なお、中島義道がカントについて人間的には問題の多い人物だったというようなことを書いていたが、本書を読むとそのあたりは西洋人には一般的に知られたことなのかもしれないと感じた。(「純粋理性批判殺人事件(上・下)」マイケル・グレゴリオ、角川文庫)
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小暮写眞館 宮部みゆき
著者による久しぶりの書き下ろし長編小説ということで、ベストセラー上位にランクインしている本書。700ページのかなり重たい本だが、ゆっくり読むために、フライトの待ち時間が多い今回のミャンマー出張に持っていって読んだ。物語は主人公である高校生の生活を中心に進み、大きな事件は皆無だが、小さな謎が読者を惹きつけながら、小さな心配事を残しつつ進んでいく。最終話で、それらの心配事がほぼ晴れ渡たり、未来への道筋を暗示しながら終わるストーリーは、見事というしかない。今年度の本屋大賞その他の賞の第一候補と言うべき傑作だと思う。主人公が住む「ショーウインドウ」のある家というのがとても魅力的で、こういう家も良いだろうなぁと強く感じた。出張では休息もそこそこに読みふけってしまった。(「小暮写眞館」宮部みゆき、講談社)
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スプレイグ・グレイデン サイン ヘザー ジェリコ
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すいかの匂い 江國香織
女性の一人称、季節は夏、子ども時代の思い出という共通点を持つ短編が収められた本書。最初読んでいると、自分の実体験を綴ったエッセイのように感じられたのだが、いくつか読んでいるところで、これは「小説」だというあたりまえのことに改めて気づかされる。小説であることを忘れてしまうというのは、記述される風景や心象が非常に鮮明で、どこかに自分の体験が入っていて、それを様々な形でアレンジしているような雰囲気があるからだろう。昔の言葉であるが、私小説とは違う「虚実皮膜」の形がそこにある。以前、著者の本を読んだ時、「彼女の小説は女性が書いた女性のための小説のようで、中年男性が読み漁るような感じではないのだが」「著者の本は、少し時間が経つとまた何となく読みたくなる」と書いた。前に読んだのが昨年の9月なので、約1年の周期ということになる。(「すいかの匂い」江國香織、新潮文庫)
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でっちあげ~福岡殺人教師事件の真相 福田ますみ
本書は、福岡で起きた「殺人教師」事件の発端から第1審の判決までを克明に綴ったドキュメンタリーであり、それがとんでもない「冤罪」だったことを世の中に示した書である。本書では、信じられないようなモンスターペアレントもさることながら、それを煽って1人の教師をつるし上げたマスコミ、全てが冤罪だったとわかった後も何も反省しないマスコミに対して、厳しい糾弾の目が向けられている。とにかく読んでいて、ごく普通の「教師」へのあまりにひどい悪意の連鎖と歪曲された報道に、気分が悪くなるというか、読んでいて本当につらくなる。事件は、今のように「モンスター・ペアレント」「クレーマー」という言葉が一般に知られるようになる前の話なのだが、果たしてそうした認識が定着したことによって、事態が改善しているのか、同じような被害者が現れることが少なくなっているのか、その辺は疑問視せざるを得ない。本書を読むと、事態を最も悪くさせたのは、モンスターペアレントでもマスコミでもなく、事なかれ主義で事件を糊塗しようとした学校関係者ということが判る。そうした状況が変わらない限り、本書で描かれたような救われない「冤罪被害者」はこれからも再生産され続けるだろうと、悲観的にならざるを得ない。(「でっちあげ~福岡殺人教師事件の真相」福田ますみ、新潮文庫)
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夜行観覧車 湊かなえ
「告白」の本屋大賞受賞、同映画化で波に乗る作者の最新作。本のデザインもなかなか良くて、思わず手にとってしまった。登場人物はそれほど多くないにもかかわらず、テンポの良い語り口とめまぐるしく変わる場面のために、最初のうちは「これは誰だっけ?」と戸惑ったりしたが、途中からは物語の中に一気に引き込まれてしまった。著者の場合はやはり「告白=イヤミス」というイメージが強いので、最初のうちは同じような話だと思って読んでいたが、途中からこれが少し違った狙いのある作品であることが判ってきた。著者にとっては、読者に話題になった前の作品のイメージを引きずられることは、ある意味迷惑な話なのだろう。作者がこれからどのような路線に向かうのかはまだ判らないが、自分のよさを残しつつ何かを模索しているような気がして面白かった。ただの「イヤミス」では片付けられない不思議な読書感の残る作品だ。(「夜行観覧車」湊かなえ、双葉社)
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デレク・ジーター ユニフォーム MLB
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エリック・ウェンリッヒ サイン NHL
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ある閉ざされた雪の山荘で 東野圭吾
本書は、先日読んだ乾くるみの本で紹介されていた本である。以前、個人的には著者の作品を「容疑者X…」以前と以後に2分して考えているということを書いたが、この作品は「以前」の方に該当する。「以前」の作品群では、「以後」の作品に比べて「トリッキーさ」が強烈なものが多いということが言えるような気がする。この作品も、トリッキーさではかなりのものだ。論理的には破綻はないのだが、小さな「まあありうる」という程度のトリッキーさの積み重ねが、最終的に非常に大きな「トリッキーさ」になるという典型のような作品だ。この本の帯には「最後の最後までわからない仕掛け」があると書かれているが、これはこの作品全体に仕掛けられた「叙述トリック」のことを言っている。私も読んでいて完全に作者の術中にはまったしまったが、このトリックはそれで「話が違う」ということにならないので、「騙された」という気にはならない。それがミステリーとしてプラスのことなのか、物足りなさの原因としてマイナスのことなのかは微妙なところだろう。(「ある閉ざされた雪の山荘で」東野圭吾、講談社文庫)
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ランディ・ジョンソン ユニフォーム MLB
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ケニー・ジョンソン サイン NHL
彼のような選手が典型的な例なのだが、ポジションがディフェンスの選手の場合、試合とか勝利への貢献が記録とか数字には表れにくい。こうした選手の評価は、記録とか数字ではなく、最終的な結果であるとか、様々なステータスがそれを物語る場合が多い。彼のキャリアをみると、NHLでのキャリアの大半を過ごしたNYアイランダースでは、かのトレバー・リンデンの後継でチーム・キャプテンを務めている。また、オリンピックでは1994年リレハンメル大会と2006年トリノ大会の2回、スェーデン・ナショナル・チームの一員として金メダルを獲得している。特に2006年のオリンピック優勝の時は、ベスト・ディフェンスマンに選出されたほどの活躍をみせた。さらにその後、スェーデンのナショナル・チームのキャプテンも務めている。こうしたキャリアをみると、「最も過小評価されてた選手」という呼称もあながち大げさではないように思われる。
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