書評、その他
Future Watch 書評、その他
タニア・レイモンド サイン アレックス LOST
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ライアン・ケスラー サイン NHL
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ブラント・ジョーブ サイン ゴルフ
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タイムマシンのつくり方 広瀬正
作者の本は昨年読んだ「マイナス・ゼロ」に次いで2冊目になる。1970年に処女作とも言える「マイナス・ゼロ」が直木賞候補となり、その後3回続けて候補になるが結局受賞はできず、失意のうちに1972年に急逝した。70年代初頭に一瞬の輝きを放った作家である。作品の方も当時は話題になったようだが、その後あまり顧みられず長い間絶版となっていた。「マイナス・ゼロ」を読もうと思った時も彼の本を入手するために、ネット・オークションで初版本を買い求めなければならなかった。昨年8月頃以降集英社文庫から彼の全集(全6巻)が順次刊行され、今は簡単に読むことができるようになった。本書もその恩恵で簡単に入手できたのである。30近い短編が収められた本書だが、全編が「タイムトラベル」を取り扱った内容だ。ここに収録されたいくつものタイムマシンを扱った話を読んでいると、作者が「時間のパラドクスに取り憑かれた作家」と呼ばれることがあるというのがよく判る。その一方で、彼の作品の欠点のようなものも見えてくる。まず登場人物の名前の付け方がどこか中途半端だ。変ななにかをもじったような名前、いい加減な名前ばかりが出てくる。そのために話自体になにかパロディのような軽さを感じてしまう。そもそも作品の題名も何だかそっけない。あまり固有名詞に関心がなかったのかもしれない。同時期にSF作家として人気を博してその後も活躍した星新一や小松左京と比べるとそれは顕著である。星新一の「F氏」とか「エヌ氏」という完全に記号化された登場人物の名前は彼の代名詞のように有名だし、小松左京の「日本沈没」等の題名のインパクトは大きかった。それに比べると、彼の作品の固有名詞や題名は何とも素っ気ない。それにしても、なぜ彼がこんなに「タイムマシン」にばかりこだわったのかが良く判らない。まだSF創生期で題材には困らなかったと思うと不思議な気がする。まだまだ読んでいない作品があるので、それらを読むとそのあたりがわかるかもしれない。(「タイムマシンのつくり方」広瀬正、集英社文庫)
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ジョージ・ブッシュ大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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白光 連城三紀彦
作者の小説は、短編でも2度3度のどんでん返しは当たり前、本書のような長編ともなれば、いくつどんでん返しがあっても驚かないという覚悟が必要だが、それでも、登場人物がこぞって「私が犯人」と告白していくところは正直驚きの連続だ。ここまでいくと何の罪もない被害者があまりにも可哀想という別の気分がもたげてくる。描かれた人間関係や心理はかなり古典的なものなのだが、その料理の仕方が尋常ではない。ここまで殺伐とした世界も珍しい。個人的には「戻り川心中」のようなリリシズムのある作品の方が好きなのだが、彼の作品でしか読めない世界という意味では本書のような作品の方が貴重なのかもしれない。(「白光」連城三紀彦、光文社文庫)
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クリントン大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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対話篇 金城一紀
本書からは、作者の本「映画篇」を最初に読んだときに受けた印象とはかなり違う印象を受けた。本書に収められた3つの中編はいずれも、かなり心が暖まる小説だ。かなり絶望的なシチュエーションでも希望を持ち続け主人公がいる。それを助けたり支えたりする仲間がいる。どうもこちらの方が本当の作者の持ち味なのだろうと思う。特に最後の「花」という小説は、そうした希望や暖かさに満ちた話だ。こうした短中編集の編集に作者がどの程度関与しているのかは判らないが、作者の小説集は、最後にとっておきの話が待っているという傾向があるように思った。(「対話篇」金城一紀、新潮文庫)
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ルーズベルト大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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ハーディング大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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トリエステの坂道 須賀敦子
昨年あたりから「須賀敦子」というイタリア文学者の書いた作品が急速に再評価されていると聞いた。すでに没後10年になる著者だが、河出文庫から「全集」が刊行されたのがきっかけなのだろうか、その全集も好調な売れ行きらしい。そこで彼女の本を初めて読んでみた。「随筆集」とのことだが、むしろ小説を読んでいるような心境になる作品だ。中学生の頃に、小説の神様志賀直哉の「城の崎にて」を読んで「これは随筆ではないか?」と感じたのを記憶しているが、それと正反対の感覚だ。最初の表題作「トリエステの坂道」では、筆者がイタリアの男性と結婚したこと、そして比較的短時間で死別したことがわかる。次の作品を読むと、結婚した男性がミラノで書店を経営していた人であること、結構生活が5年半だったことが判る。こうして1編ずつ読み進めていくと、だんだんそのあたりの事情が詳しくわかってくるようになる。彼女が日本の裕福な家庭の子女で、相手のイタリア人男性が貧しいいわゆる「無産階級」出身であったことも次第に判ってくる。異邦人としてイタリアに暮らし、文化の違いだけでなく、そうした境遇の違いからくる考え方の違いなどにも遭遇しながら、それでも死別した夫のことを大切に慕う文章は、小説の神様が作った「小説」よりも「小説」らしいのではないか。感動を覚える。イタリア在住の女性作家と言えばローマ人の物語の塩野七生だが、その一時代前の彼女の文章からは、それとは全く別のイタリアの風景が匂い立ってくるようだ。(「トリエステの坂道」須賀敦子、新潮文庫)
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ジョンソン大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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泳いで帰れ 奥田英朗
作家によるアテネ・オリンピック観戦記。もともとあまりスポーツにも海外旅行にも積極的ではないと語る作者だが、最初のうちは低いテンションだった観戦態度が、柔道やマラソンでの日本人選手の活躍を目の当たりにするうちにだんだん熱くなり、ついに「長島不在の長島ジャパン」のふがいなさに「泳いで帰れ」と絶叫するまでが克明に書かれている。ユーモアもそこそこで笑い転げるほどでもないし、観戦の感動を伝えるドキュメントでもない、肩の凝らないレポートだが、オリンピックの開催されている場所で生でそれを観るという体験の面白さは十分に伝わってきた。あまり関心のない東京オリンピック誘致だが、何となく実現すると良いなという気持ちにさせられた。(「泳いで帰れ」奥田英朗、光文社文庫)
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J・F・ケネディ大統領 始球式 球場の椅子 MLB
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ドキュメント・死刑囚 篠田博之
まず本書を読んで、複数の非常に有名な「死刑囚」と深く関わりをもった人がいたことにまず驚かされた。死刑囚「宮崎勤」について深く掘り下げた本は数多いし、その他の大きな社会問題となった事件の犯人(死刑囚)を扱った本も数多く出版されている。しかしそうした死刑囚と複数、しかもかなり濃密に関わったという人は、精神鑑定医といった特殊な立場の人を除いて、それほど多くないのではないか。本書の特徴はそれらの複数の死刑囚に複数と深く関わった人の本であるということだ。複数の犯罪者や犯罪と向き合うことで、他とは異なるものが見えてくるということが良く判る。
それにしても、ここで記述されている死刑囚の挙動・発言の異様さには心底驚かされる。常に新しい事件を追い続けるマスコミからは得られない驚愕の事実ばかりだ。いわゆる解説本などでも「あまりにもショッキングなので削除した」という部分が結構あるのだと判る。死刑の存続に疑問を呈する作者の考えには賛否両論あるだろうが、少なくともこうした隠された事実を知った上で、自分の意見を持たなければいけないと反省した。
なお、本書を読んで初めて知ったのだが、死刑囚との面会は、死刑が確定した時から大幅に制限され、家族以外はほとんど面会ができなくなるのだそうだ。死刑囚と獄中で結婚したというニュースをたまに見るが、これは死刑が確定しても「家族」であれば面会ができるということと関係があるとのことだった。宮崎死刑囚がこうした制度のことを心配し、作者と死刑確定後の連絡方法を前もって打ち合わせていたといった記述にも驚かされた。(「ドキュメント・死刑囚」篠田博之、ちくま新書)
それにしても、ここで記述されている死刑囚の挙動・発言の異様さには心底驚かされる。常に新しい事件を追い続けるマスコミからは得られない驚愕の事実ばかりだ。いわゆる解説本などでも「あまりにもショッキングなので削除した」という部分が結構あるのだと判る。死刑の存続に疑問を呈する作者の考えには賛否両論あるだろうが、少なくともこうした隠された事実を知った上で、自分の意見を持たなければいけないと反省した。
なお、本書を読んで初めて知ったのだが、死刑囚との面会は、死刑が確定した時から大幅に制限され、家族以外はほとんど面会ができなくなるのだそうだ。死刑囚と獄中で結婚したというニュースをたまに見るが、これは死刑が確定しても「家族」であれば面会ができるということと関係があるとのことだった。宮崎死刑囚がこうした制度のことを心配し、作者と死刑確定後の連絡方法を前もって打ち合わせていたといった記述にも驚かされた。(「ドキュメント・死刑囚」篠田博之、ちくま新書)
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