書評、その他
Future Watch 書評、その他
ジョージ・ブッシュ サイン 第41代アメリカ大統領
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ベス・バウアー サイン&RC ゴルフ
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世界は分けてもわからない 福岡伸一
本書の最初にでてくる「国際トリプトファン研究会」。トリプトファンって聞いたことはあるけど何の名前だったっけ?とまず思う。動物の名前だっけ?と思っていたら、アミノ酸の1種とのこと。そうなると今度は、何でそんなアミノ酸の名前を聞いたことがあるのだろう?という別の疑問が頭をもたげる。そんな調子で、本書を読んでいると、疑問が沸いたり、納得したりで、いろいろ面白い。著者はそんな読者の反応を予測しているのだろうかと思ってしまう。また、本書の内容は、知っているつもりになっているこれまでの知識を大きく揺さぶる。「パワーズ・オブ・テン」という言葉も聴いたことがあるが、そこで著者は「倍率を10倍にしたときに細かなものがみえてくる代償として明るさが犠牲になっている」という全く新しい視点を指摘する。「コンビニで賞味期限が長く残っている新しい商品を買うほうが体に良い」という素人考えに対して、「ヒトの体の全身の細胞の和は60兆個で体内の微生物の数は120兆個である」という生物学の事実をもって警告を発する。ジグソーパズルへのアプローチには2通りあり、私が良いと信じていたやり方よりもダメだと思っていた方が優れているという。ES細胞とガン細胞の違いはいろいろな本で読んでいたが、本書ではこれまでと違う説明がなされている。「脳死」という考え方を敷衍していくと「どこからがヒトか」という問題に必然的にぶつかると指摘する。これらの全ての話は、少しだけ知っている知識を別の見方から大きく揺すぶられるという内容の話であり、そこが著者の本に共通した面白さのように思える。また、いろいろバラエティにとんだ話が最後にある事実を伝えるものだったということが判ったときの驚き、題名の意味が判ったときの納得感も強く、本当にスゴイ本だと思う。(「世界は分けてもわからない」福岡伸一、講談社新書)
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キャサリン・ヘップバーン 衣装 ハリウッド
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神の守り人(上・下) 上橋菜穂子
「獣の奏者」を読んだ直後の本書だったので、混乱しないかと少し心配だったが、そのようなこともなく、むしろ両作品の共通の世界観のようなものに気がついたりして面白かった。文庫化された「精霊の守り人」シリーズの楽しみは、巻末の解説がとても充実していることだ。前作では養老孟司、そして本作では「アタック・チャア~ンス」とか「トラベラー・チェ~ック」でおなじみの児玉清と、解説陣の顔ぶれが面白く、その解説も有名人が1ファンとして語っているのが何とも楽しい。児玉清が無類の教養人で読書家だということはどこかで聞いた気がするが、その彼が本シリーズのファンであると知って何だか嬉しくなった。しかも、本シリーズを知ったきっかけが「獣の奏者」を読んだことということで、それ以前からのファンとしてはなんだか先輩になったようで少し気分が良かった。本書の主人公は題名の「守り人」からも判るように短槍使いバルサ。内容は、彼女が一人の少女を助けたことからはじまるこの世界を揺るがすような大事件と、彼女がその大事件の中で過酷な試練に前向きに立ち向かっていくというストーリーだ。序章にその大事件の予兆とも言える凄惨な事件が描かれていて、読者を引きつけ、後は一気という感じだ。本編では何回もバルサが大けがをする。それを読んでいると、こんなに傷ついてしまって、これから大丈夫なのだろうかと心配になる。本シリーズは既に単行本では完結しているので、あとどれくらいこの話が続くのかは判っているのだが、単行本で読んだ人は、本書を読んでここまで傷ついた主人公をみて、シリーズが終盤にさしかかっていることを予感したのではないだろうか。(「神の守り人(上・下)」上橋菜穂子、新潮文庫)
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ヘンリー・フォンダ 衣装 ハリウッド
ヘンリー・フォンダは、死の直前に遺作「黄昏」でキャサリン・ヘップバーンと共演して初めての主演男優賞を獲得した。キャサリン・ヘップバーンが最多のアカデミー賞受賞者であるのに比べて、ヘンリー・フォンダは名優と言われながら、どうしてもアカデミー賞が取れなかった。「黄昏」という映画は、どうしても父親にアカデミー賞を取らせたかった娘のジェーン・フォンダが、自分自身が出演したり、キャサリン・ヘップバーンに共演をお願いしたりと走り回ったという美談が残っている。反戦運動家というイメージが強く、権威主義的なアカデミー賞授賞式など鼻にもかけないようなジェーン・フォンダが既に病床の父親の代理で授賞式に出席して涙していた感動的な場面は今でも良く覚えている。
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チャーリー・チャップリン 衣装 モダン・タイムズ
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獣の奏者(探求編/完結編) 上橋菜穂子
「本の雑誌」を読んでいたら、書評に「2009年最大の出来事」として、「『獣の奏者』の続編が出た」とあり、とにかくびっくりした。「獣の奏者」の作者である上橋菜穂子の動向については、昨年のお正月頃だったと思うが、「『獣の奏者』を書き終えてからスランプに陥っている」と作者自身がどこかに書いていた。私もそれを聞いて、「あれほど完成度の高い話を書いてしまうと、作家とはそうなるものなのか」と納得していたので、続編の刊行は2重の意味でびっくりした。
「探求編」は、2冊同時に刊行された続編の1冊目(最初から数えて3冊目)で、主人公のエリンが、自分の信念と葛藤しながら、ある決意をするまでが描かれている。世界が自分の考えていた世界よりもずっと大きいこと、これまでの世界の起源にまで遡る遠い歴史の記憶、守るべきものが増えた自分自身の変化などから、これまで考えていなかった領域に足を踏み入れようとするエリンの姿を読みながら追っていると、これまで同様、どうしても止まらなくなる。寝食をを忘れてという状況にまたなってしまった。一方「完結編」は、エリンが選んだ道のいくつく先にあるカタストロフィーまでが描かれており、それまでに提示された「王獣と闘蛇の本当の秘密とは何か」「王獣が闘蛇と戦うとはどういうことなのか」「残った民が禁忌という形で隠したものとは何か」等々、これまでの謎が全て明かされる。
物語の行き着いた先は、ファンタジーの世界から抜け出してしまったような世界であり、こんどこそ本当の「完結編」なのだろう。物語の結末から言って、もう続編が読めないと考えるのが妥当だろうが、何とかその予想を覆して欲しい気もする。(「獣の奏者(探求編/完結編)」上橋菜穂子、講談社)
「探求編」は、2冊同時に刊行された続編の1冊目(最初から数えて3冊目)で、主人公のエリンが、自分の信念と葛藤しながら、ある決意をするまでが描かれている。世界が自分の考えていた世界よりもずっと大きいこと、これまでの世界の起源にまで遡る遠い歴史の記憶、守るべきものが増えた自分自身の変化などから、これまで考えていなかった領域に足を踏み入れようとするエリンの姿を読みながら追っていると、これまで同様、どうしても止まらなくなる。寝食をを忘れてという状況にまたなってしまった。一方「完結編」は、エリンが選んだ道のいくつく先にあるカタストロフィーまでが描かれており、それまでに提示された「王獣と闘蛇の本当の秘密とは何か」「王獣が闘蛇と戦うとはどういうことなのか」「残った民が禁忌という形で隠したものとは何か」等々、これまでの謎が全て明かされる。
物語の行き着いた先は、ファンタジーの世界から抜け出してしまったような世界であり、こんどこそ本当の「完結編」なのだろう。物語の結末から言って、もう続編が読めないと考えるのが妥当だろうが、何とかその予想を覆して欲しい気もする。(「獣の奏者(探求編/完結編)」上橋菜穂子、講談社)
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オーソン・ウェルズ 衣装 市民ケーン
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トム・ハンクス 衣装 ダ・ヴィンチ・コード
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グレイストン・ホルト サイン トビアス スモールビル
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差別と日本人 野中広務/辛淑玉
かなり前に読んだ魚住昭著「野中広務」について毀誉褒貶があるのは知っていた。読んでいて、その内容があまりにリアルであることもあり、そこに書かれた内容についてもどこまでが客観的事実でどこからが「作者の想像」なのかという問題が頭から離れなかったし、場合によってはその真偽がとやかく言われていたという記憶もある。私にはそれを確認する手段がなく、気になったままになっていたのだが、本書はその答えのようなものが本人の口から聞けるのである。彼が、稀代のヒューマニスト・気骨の人なのか、それとも清濁併せ呑むという意味で普通の政治家なのか、そのあたりを見極めたいというのが興味の中心であった。
彼が語る彼自身の行動は、到底真似のできそうにない、首尾一貫さと潔さに貫かれている。細かいことは抜きにしてとにかく信念と原則を貫く姿勢は、私もかくありたいと強く思わせるし、問題の対処の仕方の素晴らしいお手本を見せてもらっているような感銘を受ける。私の長らくの疑問の答えは月並みだが「稀代のリアリスト」ということだろうか。
それにしても、アジアの政治家には、自分の現役時代のことを引退後に書物にするという習慣が欧米に比べて少ないという。歴史観の違いもあるだろうし、弁解のようなことはしたくないという美学の違いもあるだろう。また、アジアの政治家は晩年まで忙しすぎて、そうした過去を振り返る時間がないのかもしれない。さらに、引退後にも自分が現役時代に下した決定に責任を感じるという責任感の違いもあるだろう。こうしたいろいろな事情があるのだろうが、歴史を考える場合に「この件について、決定を下した政治家本人から話が聞けたら…」と残念に思うケースは確かに多い。日本経済新聞の「私の履歴書」が広く読まれるのは、そうしたものが少ないからだと思うし、また、私的なものだったはずの日記が後世、大切な歴史の資料になるのも同様の事情が関係しているだろう。「中国の毛沢東に自伝や日記があったら…」という話はよく聞く。そういう事情を考えると、本人自らが「しゃべりすぎたようだ」という本書の価値は想像以上に大きいし、これからの日本政治家がこれに倣って引退後にいろいろ語るということが今よりも多くなるきっかけになればと思う。(「差別と日本人」野中広務/辛淑玉、角川ONEテーマ21)
彼が語る彼自身の行動は、到底真似のできそうにない、首尾一貫さと潔さに貫かれている。細かいことは抜きにしてとにかく信念と原則を貫く姿勢は、私もかくありたいと強く思わせるし、問題の対処の仕方の素晴らしいお手本を見せてもらっているような感銘を受ける。私の長らくの疑問の答えは月並みだが「稀代のリアリスト」ということだろうか。
それにしても、アジアの政治家には、自分の現役時代のことを引退後に書物にするという習慣が欧米に比べて少ないという。歴史観の違いもあるだろうし、弁解のようなことはしたくないという美学の違いもあるだろう。また、アジアの政治家は晩年まで忙しすぎて、そうした過去を振り返る時間がないのかもしれない。さらに、引退後にも自分が現役時代に下した決定に責任を感じるという責任感の違いもあるだろう。こうしたいろいろな事情があるのだろうが、歴史を考える場合に「この件について、決定を下した政治家本人から話が聞けたら…」と残念に思うケースは確かに多い。日本経済新聞の「私の履歴書」が広く読まれるのは、そうしたものが少ないからだと思うし、また、私的なものだったはずの日記が後世、大切な歴史の資料になるのも同様の事情が関係しているだろう。「中国の毛沢東に自伝や日記があったら…」という話はよく聞く。そういう事情を考えると、本人自らが「しゃべりすぎたようだ」という本書の価値は想像以上に大きいし、これからの日本政治家がこれに倣って引退後にいろいろ語るということが今よりも多くなるきっかけになればと思う。(「差別と日本人」野中広務/辛淑玉、角川ONEテーマ21)
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デニス・キノネス サイン アンドレア スモールビル
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リンゼイ・ワグナー サイン ペーパー・チェイス
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レインツリーの国 有川浩
作者の作品は「図書館戦争」に次いで2冊目だと思うが、ジャンルが全然違うので驚いた。最初からずーっと、作者が用意した何か恐ろしい仕掛けとかどんでん返しのようなものがあるのではないかとか思って読んでいたのだが、最後の章まできて、その題名をみたところでその懸念もなくなった。トリックのあるミステリーでもSFでもない純愛小説だったのである。本書では、2人の男女のメールでのやりとりが文章の半分くらいを占めているのだが、正直者の2人の純愛という内容ででかつメールという媒体の文章を読むのは、はっきり言って、のぞき見をしているようで実に気恥ずかしい。地の文章になるとほっとして、メールの文になるとまた気恥ずかしい思いをして、という繰り返しだった。内容の方は何の衒いもないストレートな内容で文句のつけようがない。あと書きを読むと本作品は、図書館シリーズの第2作「図書館内乱」と同時に書かれ、内容的にもつながりを持っているとのことだが、「内乱」を未読なのでどのような関連があるのかは判らない。ただ、第1作の「戦争」でも随所に主人公の恋愛話が織り込まれていて、「?」と思ったのを思い出した。(「レインツリーの国」有川浩、新潮文庫)
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