書評、その他
Future Watch 書評、その他
ボブ・ホーナー
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マーク・メシエ
ちなみに、NHLでは、優勝すると、コミッショナーからカップがそのチームのキャプテンに手渡される。54年ぶりの優勝でメシエが大きなカップを掲げたシーンは、アメリカのスポーツ史上に残る感動的場面の1つとされている。ちょうど94年の冬にNYに着任した私も、TVでずっとそれをみていた記憶がある。たまたまその優勝の瞬間の時間に、妻の殺人容疑をかけられたアメフトのスーパースター、O.J.シンプソンが車で逃走し、パトカー数台とカーチェイスを展開、その模様を空からTV局のヘリコプターが追跡して放映するという全米注目の事件が勃発しており、分割画面で、優勝の模様とカーチェイス、両方の画面に食い入っていた記憶がある。
話が逸れたが、メシエの場合、その選手としての成績や勝負強さなどは本当に文句なくすばらしいのだが、実は彼には1つだけ大きな問題があるのである。それは何故かサインを極端に嫌うという彼の性格である。アメリカでは、スポーツ選手は、どんなスーパースターであっても、比較的気軽にファンからのサインの要求に応じる。イチローが試合前に観客からサインをねだられて一生懸命応じている姿はTVでもしばしば放映されている。にもかかわらず、メシエは、このプロスポーツ選手の義務のように思われているファンサービスのサインを、極端に嫌うのである。しかも、その嫌いぶりが、非常に徹底しており、しかも尋常ではないらしい。ある雑誌にでていたのだが、彼の背番号と名前の入ったユニフォームを着た小学生くらいのファンからサインをお願いされたにも関わらず、邪険に払いのけたメシエが目撃されている。その場面に出くわし大いに憤慨した記者がその様子を記事にしている。彼のユニフォームを着て観戦にきたということは、彼をアイドルと考えている「いたいけな」子供であり、しかも「試合前に試合に集中していたための所作」という弁解のできるような状況でもなかったらしい。マスコミからはしばしばそれこそ信じられない悪魔のような悪行という扱いをされていた。それから、彼が反省して大いに行動を改め、サインに気軽に応じるようになったという話も聞いていないので、依然として彼のサインはかなり珍しいのである。
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ヤーガ&ハシェック
J.JagrはNHLで5回得点王を獲得している。NHLでは、1981年から2001年までの21年間に得点王を獲得した選手は3人しかいない。The Great One こと W.Gretzky(11回獲得)、M.Lemieux(6回獲得)とJ.Jagr(5回獲得)の3人である。Jagrの場合は、1998年から2001年の4年連続で獲得しているが、4年連続の記録を持っているのは、GretzkyとJagrの他には、Phil Esposito と Gordie Howeの4人しかいない。jagrは記録的にもすばらしい選手だが、私が彼を本当に応援するようになったのは、彼の背番号「68」の理由を知ったときである。1968年はチェコで「プラハの春」とよばれる政治改革があり、さらにそれが旧ソ連によって弾圧されて暗い世の中へ引きずり戻された年でもある。私が小学生の時の話だが、プラハの春の立役者「ドプチェク第一書記」の名前は、彼がどういう人かは知らなかったが、とにかく名前だけは知っていた。彼の背番号「68」が、チェコの国民が短期間ではあったが「自由」を謳歌し、それが弾圧によって夢と消えた年に由来していると知り、私は彼のそうした「反骨精神」「人間性」に惹かれた。
一方のHasekは、年間最優秀ゴールキーパーに贈られるVEZINAトロフィーを5回獲得している名ゴールキーパーである。NHLの記録をみると、ゴールキーパーの数そのものが少ない(正キーパーは1チームに1~2名)こともあり、同トロフィーの獲得回数や連続獲得記録などでは、Hasekを上回る選手が何人かいる。しかし、かれの本領は、そうした受賞回数や勝利数といった数字よりも、そのプレースタイルにある。彼は、時々、とても信じられないよぷなうな不思議な体勢でゴールを阻止する。例えば、彼が敵のプレーヤーと接触して仰向けに倒れてしまいゴールは無防備状態、そんな時に彼は寝ころんだままの体勢で足だけで敵のゴールを阻んだりする。このようなプレーを意識的にできるはずはない、偶然に違いないと思うのだが、そうしたプレーを何度も見せられると、こんなに偶然が重なるものだろうかと思う。敵のプレーヤーに催眠術をかけているのではないかという感じさえする。とにかくそのくらい不思議なのである。彼のプレースタイルを「アクロバティック」と表現する人もいるが、決してスマートなスタイルという訳でもないし、結局は敵のゴールをなんとしても阻止したいという彼の強い意志のなせる技なのだと納得した。そのような不思議な魅力という点では、彼は文句なく史上最高のゴールキーパーだと思う。
JagrとHasekの2人は、通常NHLでは違うチームの敵同士としてプレーしているのだが、NHLのスター選手が勢揃いした長野オリンピックでは、同じチェコのナショナルチームとして活躍、チェコに金メダルをもたらした。長野オリンピックの記録映像を見ても、Gretzkyの勇姿もさることながら、この2人の活躍は傑出していたと思う。この2人が同じデザインのカードにサインをしてくれているのがうれしい。
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ジョ-・ディマジオ
ジョー・ディマジオのサインに関連してうんちくを1つ。数年前、UpperDeck社という大手ディストリビューターからジョー・ディマジオのサインが百数十枚まとめて売りにだされた。99年に彼が亡くなってから後の話である。なぜそのような大量のサインを売り出すことが可能だったのか?
一般的にいって、すでに鬼籍に入った人のサイン(しかも本物であることが確実なサイン)を入手することは困難である。たまたまその人のサインということで売られているものを見つけたとしても飛びついてはいけない。にせものかもしれないからである。もし、そのサインが立派な鑑定書付きであっても、まだ飛びついてはいけない。その鑑定書が偽物である可能性があるし、そもそも「鑑定書」など誰でも作れるので、鑑定書を作った人に信用がなければ意味がない。そして、その鑑定者の信用を推し量るすべはほとんどないのである。さらに、その鑑定者が個人ではなく企業であったとしても、その企業の信用はどうかという話になるし、さらにはその鑑定書の真贋はどうやって見分けるのか、ということになる。要するに堂々巡りなのである。
そこで、私の場合もそうであるが、サインをコレクションする場合、こうした真贋のリスクを最小限にするために、UpperDeck社とかTopps社という大きなディストリビューターが発行している「サイン済み」カードを収集するというのが1つの方法である。こうしたものであれば、どのような経緯でそのサインが発売元の手に渡り、いつ売りに出されたか、どのくらいの数量が市場に出回っているか、といった情報が比較的はっきりしており、それが市場で売買されている場合にはそのプライスリストなども存在する。もちろんそれでも100%間違いないとはいえないが、多少は安心度が高いということになる。
その彼のサインがかれの死後に大量に売り出された秘密、それは、やや意外なのだが、アメリカが小切手社会であることと関係している。アメリカが小切手社会であることは、サインのコレクターにとって、非常にありがたいことなのである。それは、選手がサインした小切手がたくさん残っているケースがあるからである。アメリカでは様々なものの支払いに小切手が用いられる。使用するときに支払者は小切手面上にサインをする。それが残っているのである。サイン済みの小切手は、支払い事務などが全て終了すると、通常本人の元に「キャンセルド・チェック」とし返却される。そのキャンセルド・チェックは、小切手社会であるアメリカでは領収書のようなものと見なされるので、まとめて保管されているケースも多い。これが、コレクターのねらい目なのだ。実は、先ほどのUpperDeck社も、そうしたキャンセルドチェックをオークションか何かでまとめて百数十枚手に入れたというのが真相である。また、選手は球団から給与を小切手で受け取る。その受け取った給与の小切手を現金にする際、選手は、銀行へ行って裏書き(サイン)をする。これも「選手のサイン」であり、支払い小切手よりは数は少なくなるが、それが残っているケースもある。この場合、それが最初に受け取った初任給であるとか、歴史的な高額契約の証拠となるものだったりすると、プレミアムがつくこともある。
そう考えると、アメリカ社会が小切手社会からカード社会に移行するにつれて、コレクションの方法も大きく変わっていくかもしれない。カードを使った際にサインを求められるが、それがコレクションの対象になる可能性もある。但し、カードを使った後のサインした用紙はどこにいってしまうのだろうか(本人の手元に残るのは複写の方)。それが確かに本人のものであるという形でうまく残るようでないと、今後サイン集めという趣味は、本人が死亡すると急激に価格が上昇するといったことで、リスキーな趣味になってしまうかもしれないなどと考えている。
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「制服捜査」佐々木謙、「検察捜査」中嶋博行
最近、佐々木譲の「制服捜査」と、中嶋博行の「検察捜査」を続けて読んだ。「制服捜査」の方は、派手な都会の大事件ではなく田舎の警察官が直面する田舎の事件を通して、まさに「現場の中の現場」で起きる事件が描かれている。私にはそれほど知識がないので、こうした視点が、非常に新しいジャンルなのか、すでに多くの作家によって開拓されてきているジャンルなのかは判らない。もしかすると、横山秀夫が事件の「現場」ではなく「管理部門」から事件を捉えるという手法で、新しい警察小説のジャンルを切り開いたと言われるように、この「制服捜査」という本も新しいジャンルを切り開きつつある作品という評価が可能なのかもしれない。
一方、中嶋博行の「検察捜査」は、新刊でも最近文庫化された本でもないが、読んでみてとにかく大変面白かった。事件を検察官の立場から追いかけるという手法は、ないことはないと思うが、少数派の存在だと思う。
ところで、「検察捜査」を読んで真っ先に思い出したのがTVドラマの傑作「HERO」である。近いうちに劇場版ができるらしいが、「HERO」は私がここ数年でみた多くのTVドラマの中でも傑出して面白かったドラマで、最近TVで放映された中井貴一共演のスペシャル版もこれまた期待を裏切らない面白さだった。司法試験に合格した人が、弁護士、裁判官、検察官の3つの中から選択して司法に携わっていくという仕組みのなかで、どちらかというと、社会正義のために奮闘する弁護士、厳正な審判を下す裁判官というイメージはあるのだが、検察官ということになると、弁護士や裁判官と同等の能力と司法に対する知識をもっているのにも関わらず、よくわからないというイメージがある。強いて言えば、汚職事件や疑獄事件などで「巨悪に立ち向かう特捜」のイメージか。イギリスの場合、刑事事件の原告は「女王陛下」ということなので、日本の検察官はイギリスで言えば「女王陛下」に相当する権威・権限を持っていて、尊敬を受ける存在なのだろうが、よくわからないというのが実態だと思う。そうした私のイメージを覆してくれたのが「HERO」というドラマだった。主人公木村拓也が「犯罪被害者を代弁できるのは検察官しかいない」「とてつもない権力をもっているからこそ謙虚にならなければいけない」と熱く語る、そのかっこよさで、それこそ私の中の検察官のイメージは200%以上アップした。
田舎の事件を現場の警察官が追うミステリー、検察官の立場から書かれたミステリー、いずれもまだ比較的新しいジャンルだと思うが、大きな展開を見せそうな気がする。検察官不足という現状のなかでは社会的には困ったことになってしまうかもしれないが、検察官出身のミステリー作家が輩出し、面白いジャンルを作ってくれないかと思ったりする。長い目で見れば、そうした作品が数多くでてきて「検察官」のイメージがアップすれば、検察官不足問題にも良い影響がでるのではないかとも思われる。「HERO」については、劇場版も良いが、TVドラマの新シリーズ、Season2の放映を心待ちにしたい。(「制服捜査」佐々木譲、新潮社、「検察捜査」中嶋博行、講談社文庫)
一方、中嶋博行の「検察捜査」は、新刊でも最近文庫化された本でもないが、読んでみてとにかく大変面白かった。事件を検察官の立場から追いかけるという手法は、ないことはないと思うが、少数派の存在だと思う。
ところで、「検察捜査」を読んで真っ先に思い出したのがTVドラマの傑作「HERO」である。近いうちに劇場版ができるらしいが、「HERO」は私がここ数年でみた多くのTVドラマの中でも傑出して面白かったドラマで、最近TVで放映された中井貴一共演のスペシャル版もこれまた期待を裏切らない面白さだった。司法試験に合格した人が、弁護士、裁判官、検察官の3つの中から選択して司法に携わっていくという仕組みのなかで、どちらかというと、社会正義のために奮闘する弁護士、厳正な審判を下す裁判官というイメージはあるのだが、検察官ということになると、弁護士や裁判官と同等の能力と司法に対する知識をもっているのにも関わらず、よくわからないというイメージがある。強いて言えば、汚職事件や疑獄事件などで「巨悪に立ち向かう特捜」のイメージか。イギリスの場合、刑事事件の原告は「女王陛下」ということなので、日本の検察官はイギリスで言えば「女王陛下」に相当する権威・権限を持っていて、尊敬を受ける存在なのだろうが、よくわからないというのが実態だと思う。そうした私のイメージを覆してくれたのが「HERO」というドラマだった。主人公木村拓也が「犯罪被害者を代弁できるのは検察官しかいない」「とてつもない権力をもっているからこそ謙虚にならなければいけない」と熱く語る、そのかっこよさで、それこそ私の中の検察官のイメージは200%以上アップした。
田舎の事件を現場の警察官が追うミステリー、検察官の立場から書かれたミステリー、いずれもまだ比較的新しいジャンルだと思うが、大きな展開を見せそうな気がする。検察官不足という現状のなかでは社会的には困ったことになってしまうかもしれないが、検察官出身のミステリー作家が輩出し、面白いジャンルを作ってくれないかと思ったりする。長い目で見れば、そうした作品が数多くでてきて「検察官」のイメージがアップすれば、検察官不足問題にも良い影響がでるのではないかとも思われる。「HERO」については、劇場版も良いが、TVドラマの新シリーズ、Season2の放映を心待ちにしたい。(「制服捜査」佐々木譲、新潮社、「検察捜査」中嶋博行、講談社文庫)
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サンディー・コーファックス
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グランパス・ファミリー
・グランパスくん
・クランパスくんJr.
・グランパコちゃん
・グララ
これは、その中のグランパスくんとグランパスくんJr.のサインである。もちろん直筆の本物(!)だ。両方とも、大変趣きがある。グランパスくんのサインは、ただの二重丸(◎)のように見えるが、実にのびのびとしていて、ファミリーのリーダーとしての風格を感じるし、一方のJr.くんのサインは、年少者らしいかわいらしさがある。Jr.くんのサインには、はっきりと「Jr」と書かれており、グランパス・ファミリーがアルファベットを理解していることを示す貴重な資料ともなっている。
なお、グランパコちゃんとグララのサインは私はまだ見たことがないが、本人に直接会ってお願いすれば、おそらく喜んでサインしてくれるのだろう。
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ビッグ3
青木選手や中島選手がアメリカツアーで活躍をする前の話である。現在の野球で言えば、野茂やイチローが活躍する前の大リーグのようなものかもしれない。普段はみることができないが、たまに日本人のトップ選手が海外遠征しても、華々しい成績を収めることができないという状況で、世界にはものすごい選手がいっぱいいるのだと思ってしまうという感覚である。ということで、この「ビッグ3」のサインなのだが、まだどうしてもジャック・ニクラウスのサインが入手できないでいる。
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カカオ80%の夏 永井するみ
理論社が刊行している若い読者を対象としたミステリー・シリーズ「ミステリーYA!」の中の1冊。このシリーズの本を表題の「カカオ80%の夏」を含めて3冊読んでみたが、いずれも、社会問題を背景としたシリアスな事件がでてこない(もちろん若い主人公にとっては大事件なのだが)という共通点がある。このシリーズの書き手は必ずしも「若手作家」ではなく、どちらかというとどのような書き方もできる器用な人気作家が、若い読者を想定して書いたミステリー作品群ということになる。作者としては、「深刻な社会問題を扱うと若い読者には敬遠されるだろう」ということで、今言ったような共通点がでてくるのかもしれない。あるいは、若者の社会性の希薄化が進んでいるから、若者が関心を持つ世界がどんどん狭くなっているからということで、若者の世界を描くと自然とそういう話になるということかもしれない。それはそれで正しい判断であろうし、読んで楽しければ良いのだが、問題は、そこに果たして本当の現代の若者が書かれているのかということである。
そういた意味で言うと、「カカオ80%の夏」には、「現代の若者はこういう思考回路を持っているのか」という点で非常に新鮮な発見がある。それは、若者の「友達」というものの定義である。若者における「友達と携帯電話でつながっているという感覚」などは、すでに言い尽くされているが、この本を読んでいると、その背後にある若者の「友達」の定義そのものの我々との違いに思い至るのである。それは、なぜMixiが若者の間で新しいコミュニケート手段として急速に普及しているのか、という問いに対する答えと同根なのだろう。そうした「若者」の姿が、評論とか解説ではなく、主人公の取る行動そのもので描写されているのである。「ミステリーYA!」シリーズに対しては、若者におもねるのではなく、この「カカオ…」のような作品を提供し続けてもらうことを期待したい。(「カカオ80%の夏、永井するみ、理論社)
そういた意味で言うと、「カカオ80%の夏」には、「現代の若者はこういう思考回路を持っているのか」という点で非常に新鮮な発見がある。それは、若者の「友達」というものの定義である。若者における「友達と携帯電話でつながっているという感覚」などは、すでに言い尽くされているが、この本を読んでいると、その背後にある若者の「友達」の定義そのものの我々との違いに思い至るのである。それは、なぜMixiが若者の間で新しいコミュニケート手段として急速に普及しているのか、という問いに対する答えと同根なのだろう。そうした「若者」の姿が、評論とか解説ではなく、主人公の取る行動そのもので描写されているのである。「ミステリーYA!」シリーズに対しては、若者におもねるのではなく、この「カカオ…」のような作品を提供し続けてもらうことを期待したい。(「カカオ80%の夏、永井するみ、理論社)
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Vezinaの防具
実は、このカードが世に出たとき、アメリカとカナダで大きな論争が巻き起こった。このカードのように、スポーツ選手の使用したものを細かく裁断して、カードに織り込んで売り出すということは、アメリカ等ではごく一般に行われていることである。しかし、このカードを作るために、裁断したかれの防具が、現存する唯一のかれの防具だったために、大きな問題となったのである(問題となったときはすでに裁断されてしまっていたのだが)。NHLには、その年のレギュラーシーズンに最も活躍した「ゴールキーパー」に贈られる賞がある。それが、彼の名前をとったVEZINAトロフィーである。日本のプロ野球で言えば、あるポジション限定の1年間で最も活躍した投手に贈られる「沢村賞」のようなものだろう。要するに、このカードを作るために、伝説的プレーヤーの現存する唯一の防具を切り刻んでしまったのである。従って現在では、彼の防具はこの世に存在しなくなってしまった。当然、歴史的に貴重な遺品を「切り刻んでしまった」ことに対する批判が沸き起こった。一方、そうしたものであっても、多くのNHLファンに楽しみを与えるのであれば良いのではないか、というカード製造者を擁護する意見も聞かれた。
この事件があってから少したってからであるが、今度は、ベーブルースの着用した「ピンストライプ」のユニフォームが同様に裁断されて売りにだされた。ベーブルースが活躍したニュヨークヤンキースのユニフォームは、ホーム用がかの有名なピンストライプ、アウェイ用のユニホームはストライプなしの灰色である。そして、ベーブルースのピンストライプのユニフォームは3着だけが現存しているとされてきたのであるが、そのうちの1枚が裁断されてしまったのである。ユニフォームの場合は、まだ2枚残っているので、さほど大きな問題にはならなかったようだが、それが最後の1枚という時はどういう騒ぎになるのだろうか。こういう品物をコレクションしているものとしては、やや後ろめたい気がしないでもない。
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タイガー・ウッズ
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デビッド・ベッカム
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千年働いてきました 野村進
ものづくり大国日本への応援歌。世界最古の企業とは? 日本に100年以上続いている老舗企業が多い理由は? その経営理念の共通項は? 等等、この本で提示されている薀蓄や考察は、1つ1つが本当に面白いし、なるほどと思わせる説得力がある。著者のインタビューで長続きしている理由を聞かれた老舗企業の経営者が語る「長寿の秘訣」は、思いがけないほど単純でかつ平凡だ。おそらくサービス精神で答えているが、本当の答えは「普段はそんなこと意識していません」ということなのだろう。日本文化論でもあり、技術史のガイダンスでもあり、日本の未来論でもある。「oneテーマ21」という新書シリーズだが、まさに「日本の老舗製造業」という1つのテーマをこまめに取材した成果から垣間見ることのできる21世紀の日本の進むべき道を語っている、この新書シリーズにふさわしい1冊だと感じた。(「千年働いてきました」野村進、角川ONEテーマ21)
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グレツキーとハウ
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独白するユニバーサル横メルカトール 平山夢明
このミステリーがすごいの年間第1位の作品。この小説は、ホラ-小説という分野の進化の現時点での到達点ということなのだと思うし、ホラー小説界ではおそらくすでに有名だったのかもしれないが、私にとっては、突然目の前に現れた非常に特異な小説という感じだった。とにかく気持ちが悪いことこの上ない。例えば、ホラー小説といっては失礼かもしれないが、乙一の小説には、読み手の年代によってずいぶん受け止め方が違うだろうなぁという新しさがあるし、朱川湊人には、私のような年代に強く訴えるノスタルジーがある。しかし、この作品は、万人を怖がらせる。それもほめ言葉ではなく、ただただ気持ちが悪いのである。また、この短編集の表題になった「独白する…」と、他の作品の出来映えに大きな落差があるような気がする。表題作に限っていえば、こうした作品は、最初にシチュエーションとおおよその落とし所を決めてある程度筆の赴くままに書いていくものなのではないかと思うが、それにしても良くできている。やはり、最初の奇抜な状況設定の勝利ということなのだろう。表題作を読めば十分と言うと語弊があるかもしれないが、それが率直な感想である。(「独白するユニバーサル横メルカトール」平山夢明、光文社)
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