書評、その他
Future Watch 書評、その他
雨のち晴れ、ところにより虹 吉野万理子
神奈川県を舞台にした味わい深い小編が収められた本書。地元の作品に特別の感銘を受けるかもしれないと思いながら読んだのだが、本書の良さはそんな小さなものではなかった。地元のよく知った地名が次から次へと出てくるが、実際にその土地の風景を思い起こしたりすることもなく、作品の素晴らしさに浸ってしまった。むしろ、全く知らないところの話、あるいは架空の地名の話の方が、この小説世界に浸るには良かったかもしれない。短編の中には、すこし中年男子には理解しにくい場面もあったが、読み終えた後に心に残る何かがとても大きく感じられた一冊だ。、(「雨のち晴れ」 吉野万理子、新潮文庫)
漆黒の森 ペトラ・ブッシュ
ドイツ作家によるミステリー。ドイツの「漆黒の森」と言えば有名な「黒い森-シュヴァルツヴァルト」を思い出す。本書は、事件の舞台が森の中、事件の当事者が森を畏怖しながらも森と共に暮らす人々ということで、それだけでなにか黒いおどろおどろしい雰囲気が漂ってくる。しかも読み進めていくと、森にまつわる伝説のようなものが事件の核心に大きく関わっていることが分かってくる。謎解きは、消去法で考えると意外性はないが、探偵役の主人公を含む登場人物たちの様々な人生の重みや悲しみを強く感じさせる重厚な作品だ。(「漆黒の森」 ペトラ・ブッシュ、創元推理文庫)
「ほぼほぼ」「いまいま」 野口恵子
様々な誤った日本語の使い方をクイズ形式で解説してくれる本書。クイズの回答は大体8割~9割は正解できる感じで、特段ビックリするようなものはなかったが、はっきりと間違いを指摘できるもの、「変だ」と判るがその理由をうまく説明できないものなど色々で、自分の知識が意外に曖昧なもの、経験的感覚的なものに過ぎないというこおをを教えてくれる。題名になっている「ほぼほぼ」「いまいま」という言い回しは、本書のなかで特に難しいクイズでもないし、回答が意外なということでもない。これは、題名を考える時に、インパクトがあって、あれっと思わせる題名ということを主眼に考えられたものなのだろう。それにまんまと乗せられてしまった感じだが、内容がしっかりしているので、騙されたという感じはしないし、普段なかなかできない日本語の知識をもう一度整理するという点で、読んで損のない1冊だ。(「ほぼほぼ」「いまいま」 野口恵子、光文社新書)
掟上今日子の家計簿 西尾維新
シリーズ7作目だが、このシリーズ作品には、隠館厄介が登場する作品と、警察関係者の視点で語られる作品の2種類があり、それぞれがサブシリーズのようなものを構成している。本書は後者の方の作品だ。前者の作品は、当然ながら「隠館厄介」と主人公の関係がストーリーの重要な部分を占め、ミステリーとしての面白さに2人の行く末を見守るという興味が付け加わる。一方の警察関係者の視点で語られる後者の作品は、そうした制約がない分、実験的なミステリーという要素が強くなっている気がする。本書などは、こうした短編集にしてしまうのはもったいないほど奇抜なアイデアの実験的な作品が並んでいて、いつもながらのことだが本当に感心させられる。それぞれの作品には違う警察関係者が登場するのだが、それらがこれまでに登場した人物なのか、あるいは全て初登場なのか。確認すればすぐに判ることだが、多分全員初登場なのではないかという気がする。これらの作品の実験的な内容をみるにつけ、過去の作品というしがらみすら作者には邪魔なものという感じがするからだ。(「掟上今日子の家計簿」 西尾維新、講談社)
危険なビーナス 東野圭吾
突然行方不明になった弟を、その兄と弟の妻が一緒に探すというミステリー。この異父兄弟の間には色々複雑な事情があり、とにかく一筋縄ではいかない。16年前の母親の不審な事故死、兄の父親の死亡前の突然の変容、その父が最期に描いた絵の消失、資産家の祖父の財産を巡る親族間の疑心暗鬼、何となく違和感のある弟の妻の挙動などなど、何が話の中核にあるのか分からないまま、いつの間にか残り数十ページになってしまい、話はどこに行き着くのかと心配になったところで、急転直下思わぬ結末へと収束する。とにかく読んでいて楽しいし、最後の展開の意外性も十分なエンターテインメント作品だ。それから、話の中核として登場する「ウラムの螺旋」だが、全くの初耳で、こんな話があることに心底おどろかされた。(「危険なビーナス」 東野圭吾、講談社)
海の見える理髪店 荻原浩
第155回直木賞受賞作。色々な家族の形を描いた短編集で、自分の人生を振り返る老人の話もあれば、虐待を受けている子どもの話もあるが、そこに通奏低音として流れているのは、時間が解決してくれるものとそうでないものがあることの哀しみだ。時間とともに許せるようになる家族の行き違いもあれば、逆に時間の経過によって深く刻み込まれてしまう傷もある。多様な人生の姿を感じることができるのが、小説を読むことの醍醐味だと改めて感じさせてくれる一冊だ。(「海の見える理髪店」 荻原浩、集英社)
メコン・黄金水道をゆく 椎名誠
少し前に著者の「ミャンマー」本を読んだばかりだが、本書はそのミャンマー本が書かれた2年後に刊行された東南アジア本だ。2年後といっても刊行されたのは10年近く前だし、書かれた題材になった旅行はさらにそれよりも5年くらい前のことらしい。従ってここに書かれているのは今から15年程前のアジアだ。訪問地はラオス、カンボジア、ベトナムというメコン川流域の3か国。アジアのなかでも経済発展著しく変化の激しい地域なので、そんな前の本だと随分陳腐化してしまっているのではないかと心配したが、それは全くの杞憂だった。おそらくその3か国でも、都市部の記述であれば数年で陳腐化してしまうのだろうが、この本に書かれているのはそうした都市の発展などとはかけ離れた地方、日本から行くだけで3日もかかるといったような地域の旅行記だ。そうした地域の様子が数年で変わってしまうはずはないという安心感もあって、全く古臭さを感じることなく読むことができた。でも、よく考えるとそうした地域には経済の発展とかがあまり及んでいないだろいうというのはこちらの勝手な思い込みで、実際にはそうした地域の方が本当の意味で色々急速な変化をとげているのかもしれな。そうだとすればまた逆にこうした昔のその地域の状況を綴った文章はそれはそれで貴重なものとなる。リスクを冒して書いた本というのは、どっちにころんでもその希少価値ゆえに価値を失わないということなのだろう。(「メコン・黄金水道をゆく」 椎名誠、集英社文庫)
コーヒーが冷めないうちに 川口俊和
随分前に書評誌でお勧め本になっていたのだが、読まないまま放置していたところ、最近色々なところで本書の話題が目につくようになってきたので、読んでみることにした。幾つかのルールの元で過去に戻れることができるという都市伝説のある古い喫茶店という設定で、様々な人間模様が連作形式で描かれる本書。過去に戻っても現在は変えられないのだが、現在に戻った後の未来は変えられるというメッセージは、古い手法のようだがなんとなく盲点だった気がする。ほっこりと心の温まる内容で、じわじわと人気を集めているというのがよく理解できる。(「コーヒーが冷めないうちに」 川口俊和、サンマーク出版)
トランプー劇画化するアメリカと世界の悪夢 佐藤伸行
今年11月のアメリカ大統領選の結果はどうなるか判らないが、共和党のトランプ氏が当選する可能性もゼロではないらしい。そんな状況なので、彼に関する基本的な知識を取得しておこうと思い、読んでみた。本書は、彼に関する情報を過不足なく伝えてくれている良書だ。読んで驚いたのは、彼の祖父が「売春宿」の経営で生計を立てていたこと、彼の父親がKKKのメンバーだったこと、彼自身最近まで民主党員だったことなど、日本ではそれだけで候補でいられなくなるような事実がいっぱい存在することだ。彼自身についても、強硬な地上げで悪い評判が絶えないこと、彼の会社が何度も破産していること、明らかな徴兵逃れをしていることなど、醜聞のオンパレードのような人物であることが書かれている。本書のような日本の一般教養書に書かれているのだから、当然アメリカ人は知っているか聞いたことがある内容ばかりだと思うのだが、こうした人物が大統領候補として生き残っていることが本当に不思議に思える。アメリカ人の大半がそうした情報を得るための新聞や本を読んでいないのだろうか。それとも、アメリカという国が、そうした個人的な来歴やこれまでの行状ではなく、これから彼が何をしてくれるのかという視点のみで選択するというある意味で非常に寛容な社会なのだろうか。本書の最初に、歴代大統領のなかで最も人気の高いレーガン大統領とトランプ氏を比較して、類似点を列記している箇所があるが、それを読むと、本当に彼が大統領になる可能性が小さくはないと思えてくる。トランプ氏がレーガンのような名大統領になる可能性はゼロではないだろうが、それに世界の行く末を賭けるのはどう考えてもリスクが大きすぎるだろう。(「トランプー劇画化するアメリカと世界の悪夢」 佐藤伸行、文春新書)
ジークフリートの剣 深水黎一郎
作者の初期の作品とのことだが、未読だったので読んでみることにした。作者の作品の特徴は、薀蓄満載の衒学的な文章と最後に待ち受けるどんでん返しの2つだと思うが、本書はその前者の特徴が色濃くでた作品で、読んでいて音楽評論でも読んでいるような専門的な知識の開陳にひたすら圧倒される。もう一つの特徴であるどんでん返しの方は、確かに最後にどんでん返しがあるのだが、作者の作品の中のドンでん返しの規模としては小さい方だと思う。本書の大きな特徴は、読者にとって最後の最後までミステリーを読んでいるような気がしないことだ。特に謎めいた出来事は起こらないし、引っかかる部分も見当たらない。それにもかかわらず最後の最後で作品全体が大きなミステリー作品だったこと、謎や謎解きそのものよりもこの作品がミステリーであることを隠すその構成そのものが作者お得意のどんでん返しだったことに気づいて、驚かされる。それにしてもこの作品にも見られる音楽に対する薀蓄の深さには、バイロイトの歌劇を一度も見たことがないものにとっても何となくわくわくさせられてしまう不思議な力を持っている。(「ジークフリートの剣」 深水黎一郎、講談社文庫)
遠近法がわかれば絵画がわかる 布施英利
遠近法の基礎知識と歴史がわかる解説書。遠近法には「重なり」「陰影」「色彩」「縮小」の四種類があるということ、美術史において遠近法の時代とそうでない時代が交互に繰り返されてきた事実とその背景、といった知識が楽しく学べる。即ち、遠近法というのは「そう見える」という描き方であり、中世の宗教画は「見えないもの」を描くために遠近法を捨て、近代絵画は見るという行為を「深化」させる過程で遠近法を捨てたということになる。これは自分にとってとても面白い発見だった。更に本書の良いところは、説明に使われている図版が非常に適切だということだ。こうした美術関係の本を読んでいると、解説と図版がチグハグでイライラすることが結構多いのだが、本書ではそうしたことが全くなかった。その点だけでも本書の素晴らしさは類書の群を抜いているように思う。それから本書では、こうした解説本としてはかなり異例のことだと思うが、途中で文体が2回ガラリと変わり、読者を驚かせる。変わったすぐ後で、著者自らがその理由を書いていて、その時はそれで納得してしまったが、後でよく考えるとまるで理由になっていないことに気付いた。強いて言えば、解説の部分と論文の部分を書き分けているという見方もできるが、そうしなければいけない必然性は全くないだろう。著者が真剣なのかそれともジョークなのか、どちらもあり得るなぁと考えて、思わず笑ってしまった。更に、本書のあとがきには、「えぇ?」というサプライズが用意されていた。本文以外でも楽しみ満載の一冊だ。(「遠近法がわかれば絵画がわかる」 布施英利、光文社新書)
ミャンマーもつれた時の輪 的場博之
「ミャンマー」というキーワードで検索してネットで注文したのだが、エッセイ集と写真集の中間のような1冊だった。写真集というものを積極的に買ったことがないので、おそらく店頭でみかけても購入することはなかっただろう。エッセイの部分は、政権交代前のミャンマーの各地を訪れた紀行文で、最近のミャンマーの情勢が大きく変化する前の文章であることを何度も強調しているが、そこに書かれているのは短期間で陳腐化するようなものではなく、今のミャンマーであるといっても全く問題ないような内容だ。現地にいって体験していることはそれほど稀有な体験とかリスク犯した内容という訳ではないが、訪問した地域そのものがかなり稀有でありリスクを伴っていると感じる。言ってみれば、あまり何か新しい体験をしてやろうという気負いを持たず、とにかく行ってみて普通に周りを見回してみて、というそのスタンスが結構すごいなぁと思う。文章に書かれた景色や人物と写真がリンクしていないのが、少しもどかしいが、やはり専門家の撮った写真は一枚の写真とは思えないような情報が詰まっているようで、さすがだなぁと感じた。(「ミャンマーもつれた時の輪」 的場博之、イカロス出版)
TAP グレッグ・イーガン
色々な書評を読んでいると、現代SF界で日本で最も評価の高い作家は「グレッグ・イーガン」だという結論になるだろう。それなのに、まだ自分はその作家の作品を1つしか読んでいない。しかもその作品を読んだ時、あまりに難しい記述に戸惑い、訳のわからないまま読み終えてしまった。自分の読後感と世間の評判の大きなギャップを何とかしたいと常々思っていたのだが、なかなかもう1冊を読む勇気が出なかった。ずっとそんな気分を引きずっていたところで目にしたのが本書だ。グレッグ・イーガンの短編集ということで、もしかしたら本書を読んでみて、世間の評判の高さの秘密が少しでも判るかもしれない。もしそれでもだめなら、自分には合わない作家ということであきらめもつくだろう、などと考えながら、読んでみることにした。読んでみると、巷で言われているような「ハードSF」という感じはあまり強くなく、普通に読める作品が並んでいた。心の中で鳴り続ける音楽に常軌を逸してしまう男、頭のなかで再構成される不思議な視点を持つようになってしまった男など、奇想天外な発想と、現代科学の行き着く先を見据えたような論理的なバックボーンがあいまって不思議な世界を構築している。解説を読むと、本短編集は著者の作品のなかでもハードSF色の弱い作品が並んでいるという。このくらいのハードさであれば自分にもついていけるという感じで有難い編集の1冊だ。作者の真骨頂には触れられなかったのかもしれないが、本書のおかげで著者の素晴らしさの一端を実感できた気がする。(「TAP」 グレッグ・イーガン、河出文庫)
これは経費で落ちません 青木祐子
題名や装丁などから典型的なお仕事小説だろなぁと思いながら読んだのだが、想像以上に緩い感じの小説だった。主人公が仕事に関する薀蓄を披露することもあまりないし、そもそもほとんど事件らしい事件も起きず、ただ普通のOLが普通の日常の仕事をこなしている様が一人称で語られているという印象だ。日本中の会社員の大半がこうした日常を送っているのだから、読んでいて共感度も高いだろう。また、毒のある話も皆無なので、ゆるキャラを愛でるように安心して楽しめる。ある意味、こういう小説もありなんだと読んでみて気づくという、かなり意表を突いた作品に思われた。(「これは経費で落ちません」 青木祐子、集英社文庫)
家守 歌野晶午
「家」をテーマにしたミステリー短編集。著者の短編集は初めてだが、長編を圧縮したような密度の高いそれぞれの短編を堪能した。密度の高さは、短編において、長所にもなれば短所にもなりうるだろう。短編の軽さを期待する読者には、ある意味で長編よりも密度の高い短編は読んでいて疲れてしまう。本書はまさにそれに該当するかもしれない。しかし、結末を曖昧にしたまま、それを「余韻の残る終わり方」と称して憚らない気の抜けたような短編が蔓延するなかで、本書はその対極にある作品だ。実際、長編を読む時以上に注意深く読むことを要求されることとなったが、その分読後の充実感はこれまでにないものだった気がする。(「家守」 歌野晶午、角川文庫)
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