書評、その他
Future Watch 書評、その他
本能寺遊戯 高井忍
女子高生3人が自分の知識を披露しあいながら、日本史の謎に対する大胆な仮説を展開していくという設定で、歴史の関するかなりユニークな説を楽しく読ませてくれる本だ。歴史を面白くするだけの無闇な「陰謀説」や「珍説」に拘ることなく、あくまでも可能性の範囲で想像を巡らせるというバランス感覚も良く、読んでいると、オーソドックスな見解と俗説の両方が判るのが有難い。女子高生に語らせるあたりは、「もしドラ」のヒットや歴女ブームを意識したものと思われるが、その辺はご愛嬌で、読んでいて全く気にならないのは、著者の力量なのだろう。短編集のような装いだが、1つ1つの話がばらばらでなく、うまく融合してい全体として融合しているし、3人の女子高生のキャラが次第に明確になっていく構成もうまいなぁと感じさせる。(「本能寺遊戯」 高井忍、東京創元社)
金曜のバカ 越谷オサム
著者の本は2冊目。いずれも、若者の気持や生態をうまく捉えた嫌みのない短編集だ。それぞれの主人公が、色々なもののオタクだったり、何かに打ち込んでいたりで、ついかわいいなぁと思ってしまう。本書では、巻末の解説が秀逸。1つのキーワードを使って、本書に収められた5つの短編をうまく総括しているし、しかもそれぞれの短編を忘れ難いものにしている。さらに、著者の他の作品を読む際の指針のようなものまで教えてくれている。あまりこの解説が上手過ぎて、それ以外の読み方が出来なくなってしまうという弊害があるのではないかと思ってしまうほどだ。(「金曜のバカ」 越谷オサム、角川文庫)
かのこちゃんとマドレーヌ夫人 万城目学
当初、新書版で刊行された作品ということだが、文庫コーナーで見つけた。人気作家の新作を新書版で刊行するというのは非常に面白いし、読者にも有り難い企画だが、刊行されたことを周知する努力が単行本の時以上になされないと、結局その良さが生かされない気がする。作品は、いつもの著者の作品よりも若干軽めの内容だが、小さい女の子の主人公が友達と「難しい言葉遊び」をしたり、「ござる」を使ってやりとりする場面では、おもわず笑ってしまった。特に何もない日常と、想いっきり不思議な妄想が同居する独特の世界は、まさしく著者ならではのもの。とにかくこの作者には、どんどん作品を刊行してもらいたいの一言だ。(「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」 万城目学、角川文庫)
模倣の殺意 中町信
本書は、かなり昔に刊行された作品の復刻版で、埋もれていた名作が、出版社の努力、出版社の仕掛けでリバイバルとなった作品とのことだ。そういう経緯を知らず、いつも行く本屋さんで、本書が平積みになっているのを目にしていたが、読んだことがあると勘違いして素通りしていたところ、最近ある書評を読んで、未読だったことに気づいた。かなりびっくりするようなトリックだということで、どこかに罠があるのではないかと最初からやや慎重に読んでみた。途中で少し変なことに気づいて、「もしかしたら叙述トリックではないか」と思ったら、まさにそうだった。本書が書かれた年代を考えると、こうした叙述トリックは珍しかったのだろう。そう考えながら、自分も随分こうした本を飽きずに読んできたなぁという不思議な感慨を持ってしまった。(「模倣の殺意」 中町信、創元推理文庫)
パークライフ 吉田修一
著者の本は「横道世之介」に次いで2作品目となる。「横道…」は独特の人物造形で、大変面白かった記憶がある。本書には2つの中編が収められているが、いずれも、普通の日常を描きながら、主人公の人物造形を浮かび上がらせる作品で、その主人公が何とも魅力的だ。作者のトリックに引っかからないよう用心するとか、どこかに伏線はないかを意識をしながら読む本が多い中で、本書は、メッセージのようなものを意識する必要もなく、ただただ「主人公の気持ちが良く判る」という感じで、心地よい読書ができたという満足感が読後に残る。(「パークライフ」 吉田修一、文春文庫)
コリーニ事件 フェルディナント・フォン・シーラッハ
著者の作品は3冊目。第1作目は評判が高かった割には「?」だったが、2作目では度肝を抜かれた。第1作目には、ある仕掛けが施されているという話を聞いたが、それが何なのかは未だにわからないまま。そういうことなので、著者の自分にとっての評価はある程度本作の感想で決められるかなという気持ちで、また著者の長編作品を読むのは初めてということもあり、かなりの意気込みで読み始めた。冒頭に殺人事件が発生し、それからの経緯が、その事件の容疑者の弁護士の視点を中心に語られていく。事件そのものは単純なようなのだが、犯人の動機が全く判らないまま話は進み、最後に予想もしなかった展開になる。読者に突きつけてくるものは何とも重たい。この作品のキモになる部分は現実にドイツで起こった話らしく、この作品によって、ドイツ国内では司法のあり方を見直す委員会が設置されたというからすごい話だ。(「コリーニ事件」 フェルディナント・フォン・シーラッハ、東京創元社)
書店ガール2 碧野圭
シリーズ第2作で、前作も読んでいるはずなのだが、その内容が全く思い出せない。本書は、本屋さんの日常を描いた100%職業小説で、いかにも色々な書店やそこで働く人を取材して書いたんだなと判るエピソードが満載だ。昔、適正検査を受けて、「あなたの最も向いている職業は本屋さん」と言われたことがあるのだが、本書を読むと、本屋さんという職業には体力も知力も必要で、しかも対象商品が「アナログ」そのものでデジタル化という逆風に抗する気力も必要な職業であることが良く判り、とても自分にはできないだろうなと思ってしまった。最後のほうで登場人物達が「自分の勧める名作」という設定で、いくつもの本が紹介されている部分は、読書案内的な要素もあり、興味深かった。(「書店ガール2」 碧野圭、PHP文芸文庫)
特等添乗員αの難事件Ⅲ 松岡圭祐
シリーズ3作目。これまでの2作には別の人気シリーズの主人公が登場していたが、今回はその別のシリーズの主人公は名前が1回出てくるだけで話には全く関与せず、ようやくこのシリーズも一人立ちしたような感じだ。こうした感想を書けるのは、両方のシリーズをちゃんと追いかけているからだが、何だか少し恥ずかしい気がする。話の内容は、謎解きの部分がかなり物足りなく、恋愛小説のようになってしまっているのが残念だ。このシリーズは、このままの展開だとそんなに長続きしない予感がする。新しい展開が待っているのかどうか、心配になってしまった。(「特等添乗員αの難事件Ⅲ」 松岡圭祐、角川文庫)
六つの星星 川上未映子
出先で読む本がなくなってしまい駅中の小さな本屋さんで入手した本書。対談集だが、対談の相手を見ると、著者の独特な文章と感性について、色々な見方を引き出してくれそうな感じがした。最初の対談で、いきなりかなりきわどい話になったので、びっくりしたが、2つ目の福岡伸一氏の章では、期待通りの大変面白い対談を読むことができた。年長者との対談ということで、多少遠慮が感じられる部分もあるし、思わず言わされてしまっているようなきわどい部分もあるようだが、著者が、想定外に自分をさらけ出してしまうことをあえて行っているように見受けられ、この人はやはり只者ではないことを強く感じた。(「六つの星星」 川上未映子、文春文庫)
バイバイ、ブラックバード 伊坂幸太郎
最後まで解けない謎があっても、どんなご都合主義でも、どんなに荒唐無稽でも、面白い小説は良いと改めて感じる作品だ。主人公2人の掛け合い漫才と、その中で育まれていく2人の絶妙の距離感が、読後の爽やかさの秘密だ。これだけ面白ければ当然映画化という話もでるだろうが、主人公の1人の存在感があまりにも圧倒的で、その役を演じきることができる人間が果たしているのか心配だし、普通の俳優ならばこの原作を読めばその役を演じることに尻込みするだろう。それが映画化の大きなネックになるのではないか、あるいはへたに映画化して欲しくないとさえ思える。太宰治の「グッドバイ」をベースにしたオマージュ作品のようだが、そんなことは読者には関係ないという著者の強い信念を感じる。(「バイバイ、ブラックバード」 伊坂幸太郎、双葉文庫)
球体の蛇 道尾秀介
それぞれの登場人物が昔のある事件に対してそれぞれの「罪悪感」を持ちながら話が展開していく。シリアスな話だが、ご都合主義的な偶然も多くて、どうも現実感が乏しい。突き抜けたような絵空事とか楽しい妄想という感じでもなく、その辺りがしっくりこなかった。話のなかで象徴的に使われている有名な童話のフレーズも、私には何のことだかよく判らなかった。その童話を読む際に、それが示す暗喩に、一般的な解釈のようなものがあり、それを私が知らないだけなのかもしれない、ということばかりが気になってしまった。(「球体の蛇」 道尾秀介、角川文庫)
望郷 湊かなえ
著者の最新作。瀬戸内海のある島を舞台にした若干ミステリーの要素を含んだ短編6つが収録されている。短編集ながら、全部の短編を通じてかもし出される雰囲気の見事さは、単なる短編集ではなく、明らかに統一された意思をもって書かれた長編と言っても良いような出来栄えだ。そういえば、名作「告白」が、当初短編として書かれたという話を思い出した。1つ1つの作品の独立した完成度を損なうことなく、短編を積み重ねて1つの長編のように纏め上げる作者の力量は、明らかに現代のミステリー作家の中では1、2を争うものだと感じた。さらに、最近は新刊の出る間隔も短く、かなりの量の作品が刊行されているが、全く質の低下を感じさせないのもたいしたものだと思う。「告白」を読んだ時は、素晴らしいアイデアが生んだ突然変異のような傑作の可能性もあるなと感じたのだが、まさにミステリー界の第一人者になりつつあるのが実感される。(「望郷」 湊かなえ、文藝春秋社)
2013年本屋大賞 反省
今年の大賞は、「海賊と呼ばれた男」。自分の予想は5位。著者の「永遠のゼロ」は傑作だし、本作も文句なく面白かった。色々な顔を持つ著者の中でも、この分野の本が飛びぬけて面白いのは間違いない。ただ、あまり絶賛すると、著者自身がどこかで語っていたと思うのだが、「泣かせるつぼ」「感動的に仕上げる話の展開」を知り尽くしている著者に躍らされているような気になってしまって、どうも素直になれない。そうしたことを気にしていてはいけない、良いものは良い、ということなのだろう。
カッコウの卵は誰のもの 東野圭吾
流石だなと思わせる1冊。話は澱みなく、展開も早い。話に不自然なところはなく、謎ときの楽しさもある。欠点らしきものはないのだが、どうも傑作という感がしないのは何故だろう。期待値が高すぎるので満足度が低くなってしまうのかもしれないが、読後のちょっとした不満は、最後の方で話が破たんなく簡潔にかつきれいにまとめられすぎているところにあるような気がする。小説としては、もうちょっとドタバタしたり、理不尽なことが起きたりというところがあった方が良かったのかもしれない。(「カッコウの卵は誰のもの」 東野圭吾、光文社文庫)
聖書考古学 長谷川修一
何気なく手に取った本書だが、思わず頭の中で書かれている内容を年代順に整理してメモを取りながら読んでしまった。歴史の教科書で教わった「青銅器時代」「鉄器時代」という時代区分と、旧約聖書の記述の関係を、「聖書のこのあたりの記述は後期青銅器時代の話」であるとか、「聖書の中のこの人物が活躍したのは初期鉄器時代」というような形で示してくれていて、大変ためになった。そうした記述を整理しながらメモを取っていて、せっかくそのように「何時代」と「聖書の記述」を対比して説明してくれているのに、肝心のその時代が紀元前何年くらいかという絶対年代があまり書かれていないことに気がついた。それが書かれているともっと判り易かったのではないかと思うが、そうすると、あまりにも聖書の記述の矛盾が明確になってしまうので、自然と控えてしまったのかもしれないなどと思った。著者も述べているように、聖書の記述を考古学的に検証するという作業は、聖書の記述を「絶対的真実」と信じている人にとっては不快なことかも知れない。そうした人々にも配慮しながら、ここまで判り易く説明してくれている本書は、すごいと感じた。(「聖書考古学」 長谷川修一、中公新書)
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