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偉大なる、しゅららぼん 万城目学

この話はいったい何処に行くのか? 予想もつかないストーリーをひたすら楽しむ。そういう読書体験は著者ならではのもので、本書でもそれを存分に楽しむことができた。荒唐無稽な展開と登場人物のキャラクターの面白さが著者の特徴と言われるが、その2つの特徴が、本書では、著者のこれまでのどの作品よりも際立っているように思われる。関東育ちで名古屋より西に住んだことのないものには、本書の舞台になっている琵琶湖に、本書に描かれているような不思議な雰囲気というものがあるのかどうか判らない。ただ、著者のこれまでの作品の舞台だった京都や奈良に対するイメージとそれらの作品の中での雰囲気の奇妙なダブり感を考えると、関西の人はこの作品を関東人とは違う感覚で読むことができるのかもしれない。他の作品の感想でも書いたように記憶しているが、著者には是非、横浜あたりを舞台にした作品を書いて欲しいと思う。(「偉大なる、しゅららぼん」 万城目学、集英社)

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春を嫌いになった理由 誉田哲也

裏表紙の解説によれば、本書はホラー・ミステリーに分類される作品とのことで、今まで読んだ作者の作品とは少し毛色の違う作品だった。著者の作品は「姫川シリーズ」に代表される「警察もの」、「武士道‥‥」などの「スポ根もの」、そして本書のような「ホラー・ミステリー」の3つに分類され、著者はこのような本も得意としているのだそうだが、「姫川シリーズ」の凄惨な犯罪の描写はホラーそのもののような気がするし、今まで読んだ3タイプの本はいずれも主人公が女性で、その女性の性格も似ているようで、特にそうした分類が必要という感じでもないようだ。少し毛色が違うと書いたのは、本書が「超自然現象」「超能力者」をストーリーの中で扱っていることで、本書がホラー・ミステリーと分類されるというのは、読者への注意書きのようなものだろう。ヴァン・ダイン以来のミステリーの大原則に「超自然現象や超能力者を扱ってはいけない」というのがあるが、本書をそうした伝統的なミステリーと混同されないようにするという配慮だ。ただ、本書の場合は、犯罪の解決に「超能力者」が関与していても、本書のような役回りならばそれもOKかなと思う。内容としては、全く異なるストーリーが交互に語られ、それがいつどのような形で1つになるのかが最大の焦点で、その2つが結びつく場面には、意外な事実というミステリー要素がちゃんとあって、楽しめる。(「春を嫌いになった理由」 誉田哲也、光文社文庫)

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さよならドビッシー 中山七里

3年前のこのミス大賞の受賞作。本書と先日読んだ「カエル男」とともに、同一作者の2つの作品が両方とも同じ年の大賞最終候補になったという話題作だ。どちらを大賞にするかは好みの問題ということらしいが、本書の方が大賞らしい作品と言えばそういう感じがする。また2作品とも、作風はかなり違うが、両方とも大変面白いことも間違いなく、大賞の選者が「この新人作家は只者ではない」と思ったのは大変よく判る話だ。個人的には、本書の方が読んでいて楽しく、最後のどんでん返しも、それほど奇抜ではないのに、何故か全く思いつかず、「やられた」感が強かった。思いつかなかったのは、ミステリー抜きのストーリーが面白くて、ミステリーだということを忘れてしまったのが原因ではないかとさえ思ったほどだ。既に本書は、シリーズ化されていて第3作まであるらしいし、さらに本書の犠牲者を主人公にしたスピンオフ作品まであるという。これまでに読んだ2冊の面白さを考えると、いやでも期待が高まる。(「さよならドビッシー」 中山七里、宝島文庫)

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現代カンボジア短編集 岡田知子

東南アジア文学の第3弾はカンボジアの短編集。カンボジアといえば、やはり民族的な大虐殺のあったポルポト政権前と後で文学がどう変わったのか、あるいはもっと直接的に小説が「ポルポト時代」をどう描いているのか、が知りたいと思った。本書には、5人の小説家の13の短編が収められている。このシリーズの本は、様々な面でバランスを考えて作家や作品が厳選されており、本書も5人作家のバランスは、ポルポト以前からの作家2人、ポルポトのクメール・ルージュに自ら身を投じた作家が1人、ポルポト後の作家が2人となっている。これらの5人を続けて読んでみて気がついたのは、5人の小説が書かれた時期も、その時の社会情勢も、書いた作家も違うのに、断絶のようなものがほとんど感じられないということである。書かれた時期も、その時の社会情勢も、書いた作家も違うのに、そこに断絶がないというのは、ある意味驚くべきことのように思われる。いずれの作品も、救いようのない貧困、社会の不条理、だらしない男といった共通の内容で、その雰囲気も深い諦めと猥雑な精神の歪みのようなものが感じられる。一方、フランスの統治による影響だろうか、サルトル、ユゴーといったフランス文学の影響を思わせるところもあるのだが、そこに描かれた不条理は、フランスの洗練された実存主義文学とはかけ離れたもっと世俗的な不条理である。例えば、「政府から学生に30リエルが支給されるという通達があった」という記述があり、その後でさりげなく「学校から20リエルを受け取った」という記述がある。この記述に、読者は「学校の誰かが10リエルを懐に入れてしまった」ということ、すなわち社会にはびこる腐敗をほのめかしていることに気づくのだが、それがいつの時代なのかはよく判らない。本書を読んで判るのは、カンボジアにおいてそうした不条理が政権が変わっても何も変わっていないということのような気がする。本書で、唯一、クメール・ルージュに参加した作家は、その後、ポルポト政権崩壊の前年に、妻子と共に粛清・殺害されてしまったという。言いようのない悲惨さが読者に伝わってくる。(「現代カンボジア短編集」岡田知子訳、大同生命国際文化基金)

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ある小さなスズメの記録 クレア・キップス 

老婦人と彼女に助けられた障害を持って生まれたスズメとの交流を、老婦人自らが記録した本書。そのスズメがナチスの空襲におびえるロンドン市民に勇気を与えたというくだりでは、どうしても東北大震災の苦難をいかに乗り越えるのかという課題が、どうしても頭をよぎる。激しい空襲を耐え忍んだイギリス国民の強さは、その「我慢強さ」というよりも、このスズメが「サイレンだ」という掛け声で人の手の中に逃げ込む芸当を見て「笑いながら楽しむ」その「明るさ」にあるということを教えてくれる。羽と足の畸形という障害を持って生まれたこのスズメの観察を通して、「大きな勇気と強い個性があれば特性となりうる」と述べる著者の洞察、最期まで気高く生き抜いたスズメを見ながら考える生き物の「老いと死」に対する定見なども、今の時代に強く響く内容だ。(「ある小さなスズメの記録」 クレア・キップス、文藝春秋社) 

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箱庭図書館 乙一

作者の待望の新刊なのだが、読む前の期待度が高すぎたせいか、読んでいて今ひとつ乙一ワールドを楽しめなかった。読者からネットで寄せられた原稿を、作者がリメイクして連作短編週に仕上げた作品ということで、やはり100%乙一ということにはならなかったようだ。若き天才作家がスランプにあるということは聞いており、それを逆手に取ったような企画には恐れ入ったが、それが完全に成功したとは言いがたい気がする。むしろこうしたことを続けていると、乙一という稀有な作家が凡庸な作家になってしまうのではないかと危惧する。巻末の作者の解説を読むと、「こう書くとこう受け止められるだろう」とか「こういう意図でこう直した」とか、とにかく作者が「こんなことまで考えているのか」というくらい、いろいろ気にしながら、サービス精神旺盛に執筆していることが良く判る。天才作家にしてはいろいろ気にしすぎではないか、スランプの原因はまさにこうした過剰なサービス精神にあるのではないか、もっと読者を気にしないで書いても良いのではないか、そんな気がする。ただ、書評がこぞって褒める最後に収録された「ホワイト・ステップ」は、確かに読者のアイデアと作者の文章がうまくマッチした傑作だと思った。(「箱庭図書館」 乙一、集英社)

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ミャンマー現代短編集1 南田みどり訳

先日のベトナムに続いてミャンマーの短編集を読んでみた。ミャンマーの小説を読むのは初めてだ。巻末に、ミャンマー独特の単語等に対する(注)が15ページ、さらにミャンマーの文学シーンの解説が30ページと充実していて、大変有り難い。解説では、ミャンマーで短編小説が盛んに書かれている理由などが書かれていて、興味深かった。言論の自由が完全とはいえないミャンマーでは、長編小説を一生懸命書いても発刊禁止になるリスクがあるので、作家が、公表できなくても痛手の小さい短編を好んで書くようになったということらしい。しかも長編小説の場合、どうしても社会主義革命を賛美するような内容を求められるので、そうしたことに嫌気がさしてしまったという事情もあるそうだ。そのような作家たちが短編に込めた思いを知ったうえで本書を読むと、少し悲しくなる。また、ベトナムの短編にはからっとしたどちらかというと明るい作品が多かったように感じたが、それと比較すると、ミャンマーの方は、一人称に徹した作品が多いせいか、やや難解な作品、ペシミスティックな作品が多く、作品の視点をしっかり把握するまでに時間がかかり、読んだ短編のうち何篇かは、十分にそれを把握できないまま作品が終わってしまった。ミャンマーの場合、政治や社会についてなかなか触れられないことが、自分の身の回りのことや自分の感情を執拗に表現する内省的な作品を多く生むことに繋がっているのだと思われる。但し、この短編集の作品も巻末の解説も15年以上前のものなので、今現在がどうなっているのか、少しは改善しているのか、そのあたりはよく判らない(「ミャンマー現代短編集(1)」 南田みどり訳、大同生命国際文化基金)

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四畳半王国見聞録 森見登美彦

京都の学生達の愛嬌のある阿呆な話を読んでいて何が楽しいのか、自分でも良く判らないが、とにかく読んでいて楽しい。自分自身の学生時代を思い起こしてみて、基本的にはこんな阿呆ではなかったはずだが、いろいろ思い当たる節が無い訳でもない。少なくとも周りには良く判らない友達がいるにはいた。従って、自分としてはこうした話に郷愁めいた共感を抱くというよりも、そうした阿呆が自分の周りには沢山いて、自分も彼らの影響を大きく受けたということを今になって実感しているという感覚の方が強いような気がする。「ペンギン‥」で新境地を拓いたとされる作者だが、自分としては、こちらのマニアックな世界も忘れないでね、という感じがする。(「四畳半王国見聞録」 森見登美彦、新潮社)
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オリーヴ・キタリッジの生活 エリザベス・ストラウト

アメリカのポートランドという地方都市に住むオリーヴ・キタリッジという老女の物語。ピューリッア賞を受賞した話題作ということで読んでみた。彼女が主人公だったり、脇役だったりという短編が続き、全体として1つの長編になっているという構成は、日本でも良くみるが、世界的な流行なのだろうか。田舎町に住む老女が主人公ということで、一見地味な話ではあるのだが、アメリカの現代の病理のような話が満載で、それが嵐のように吹き荒れる。本書を読んでいると、アメリカで住むことのストレスの多さ、それを中和するためのカウンセリングの隆盛といったことが良く判るような気がする。外見上は平静を装ったアメリカ人の心の中に、こんな毒が潜んでいるのかと思うと、少し怖い。(「オリーヴ・キタリッジの生活」 エリザベス・ストラウト、早川書房)

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テルマエ・ロマエ(1)~(3) ヤマザキマリ 

2010年のマンガ大賞受賞作。本作のコンセプトを言葉で説明するのは難しいが、あえて言うならば、古代ローマの「浴場」建築家が、日本の現在と古代ローマを行ったりきたりして、日本のお風呂文化に触発されながら、ローマの浴場文化を改革していくという話ということになる。現在3巻まで刊行されているのだが、よくもまあ「お風呂ネタ」だけでこれだけ話が続くものだと感心してしまう。制約の多いシチュエーションなので、質を落とさないようにゆっくり書いて欲しい。忘れかけた頃に、「あれ?4巻が出ていた」という感じで本屋で新刊に出会いたいと思う。(「テルマエ・ロマエ(1)~(3)」 ヤマザキマリ、角川) 

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アフリカ~資本主義最後のフロンティア NHK取材班 

NHKスペシャルの取材班によって書かれた「アフリカ」最前線の現地レポート。TV番組では、本書の第2章のルワンダの話しか見られなかったので、第1章のマサイと携帯電話の話、第3章の中国企業のアフリカ大陸における活躍の話、第5章から第6章にかけてのジンバブエと南アフリカの格差の話など、大変面白く読むことができた。本書のように、NHK取材班が番組で十分に伝えられなかった内容を本にする場合、通常はNHK出版から刊行されるのが普通だと思うのだが、本書は何故か「新潮新書」から刊行されている。どのような事情によるものなのか、大変気になるところである。(「アフリカ~資本主義最後のフロンティア」 NHK取材班、新潮新書) 

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ベトナム現代短編集2 加藤栄

題名通り、ベトナムの現代作家による11の短編が収められた作品集。今の仕事の関係で、アジアの国を少しでも知らなければと思い、読んでみた。「あとがき」にもあるように、本書の短編は、①ベトナム戦争によって大きく変化したベトナム社会を見つめなおす作品 ②ベトナムにおける家族を題材にした作品 ③文学として新しい形態を模索した作品、という3つにジャンル分けできる。特に最初のベトナム戦争前後の社会を描き、戦争や革命によって何が変わり、何が変わらなかったのかという、歴史を総括するような作品群は、小説として面白いだけではなく、文学ならではの視点がいくつも提示されていて興味深い。新しい体制のなかで、なかなか面と向かって言えない様なことも、上手く小説のなかで主張されている。激動の時代を経て、ほぼ一世代が経過した時点で、それを総括するような作品が少しずつ書かれているという現時点でのベトナムにおける文学の最前線がよく判るし、一般的な解説をいくら読んでもわからないようなものが見えてくるような気がした。(「ベトナム現代短編集2」 加藤栄、大同生命国際文化基金)

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世界の宗教がざっくりわかる 島田裕己

世界の様々な宗教の基本知識の入門書のような題名で、その通りの内容なのだが、それだけではない新しい発見もいくつかあった。離散によって宗教活動の場が失われたことがユダヤ人迫害の要因の1つになっているという話、キリスト教の歴史で「異端」問題が多いのは一神教と矛盾する「二元論」への誘惑というものがあるという話、東西が交流するイランで勃興したゾロアスター教やマニ教の話、イスラム教の中心「カーバ神殿」の中には何があるかという話などは、いずれも知らなかったので、大変興味深かった。本書は、エリアーデというルーマニアの宗教学者が著した大著「世界宗教史(全8巻)」を訳した著者がそのエッセンスを紹介するという要素もあり、本書を読むとその大著を読んだような気分になれるのでお得感がある。また、一連の繋がった文章なのだが、いつの間にか別の宗教の話になっていて、しかも世界の主要な宗教が網羅されているということで、全体の構成も読み手のための工夫がちゃんと施されている。著者の名前をどこかで見たことがあるなと思って著者の略歴をみたら、「葬式は、要らない」の著者だった。(「世界の宗教がざっくりわかる」 島田裕己、新潮新書)

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シンメトリー 誉田哲也

姫川シリーズの第3弾で、初の短編集。同シリーズの3つの決まりごと、「凄惨な事件」「勘にたよる主人公」「主人公を支えるおじさん達」はそれぞれの短編でも健在だが、本書の短編を読むともうひとつこのシリーズには大切な要素があったことに気づく。長編にあって短編にないものは「地道な捜査のプロセスの記述」である。本書に収められた各短編に、前の2作品と違う印象を持ってしまい、このシリーズ「らしさ」をあまり感じられないのは、そうした理由があるからだと思う。本書に収められた短編は全部で7つだが、どれも別の味わいを持っていて楽しい。(「シンメトリー」 誉田哲也、光文社文庫)

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