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アメリカン・デモクラシーの逆説 渡辺靖

本書は、社会の多様性がもたらす弊害、理念と現実のギャップなど、アメリカ社会の光と影を「逆説」という切り口でいろいろな観点から考察した本である。多様性が乏しいと言われる日本社会、戦後民主主義を採用する際に「理念」が置き忘れられてしまったかのような日本社会で暮らす日本人にとっては、アメリカ社会を理解するうえで、こうした逆説の難しさを理解することがとりわけ大切なのだと実感できる本だ。 この本に関しては、著者の「丹念なフィールドワークに裏打ちされた考察」が高く評価されているようだが、それ以前に、記述の中にちりばめられた様々な数字、状況を的確に伝える表現が、それだけでとても面白い。例えば「アメリカの貧困率はリンドンジョンソン大統領時代から全人口の12%でほとんど変わっていない」という数字をみると、ここ50年間のアメリカにおける貧困との戦いとはいったい何だったのかと考えさせられる。また、「アメリカの囚人の数は230万人で世界の囚人の4分の1がアメリカにいる」「黒人の3分の1が収監の経験あり、黒人男性では大学生の数よりも収監中の数のほうが多い」という数字をみると、アメリカにおける「監獄ビジネス」隆盛の背景の根深さが強く実感できる。「精神疾患」というものの定義の拡張を主因に「人口の15%が治療の必要な鬱病の基準を満たしている」「18歳以上の4分の1が精神疾患」という状況に陥っているというのも、驚きだ。また、本書で述べられている「法人化する民主主義」「新しい中世」「セキュリティへのパラノイア」といった標語は、アメリカのおかれた状況を実に判り易く適切に表現しているように思われる。その他、ロサンゼルス市のファーストフード店の新規出店禁止条例、ノーベル平和賞を受賞したマイクロ・ファイナンス「グラミン」のアメリカ支店、全米に出現している「ゲーテッド・コミュニティー」「メガ・チャーチ」などの記述も、読んでいて本当にびっくりするような内容だ。(「アメリカン・デモクラシーの逆説」渡辺靖、岩波新書)

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ジェラルド・フォード大統領 サイン

アメリカの大統領のサインの5枚目は、第38代大統領ジェラルド・フォードのサインである。アグニュー副大統領の辞任を受けて副大統領に就任したが、その後、ニクソン大統領が辞任したため、繰り上がりで大統領に就任した。アメリカ史上唯一の選挙によって選ばれたのではない大統領である。そうは言っても、退任後はちゃんとした尊敬をうけているようで、彼の名前は空港や原子力空母の名前に使われたりしている。サインは極めて丁寧で、ミドルネームの「ルドルフ」まで書かれているのが、コレクターには大変嬉しい。
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at HOME 本多孝好

立ち寄った本屋さんで、サイン本だったので購入した本書。著者の本はこれまで「真夜中の5分前」の2巻を読んだだけだが、よく出来た小説だなと感心した記憶が残っている。後から書評誌を見たら、本書はお薦め本としてかなりの分量で紹介されており、「特に表題作が良い」とあった。読んでみたが、書評誌の通り、表題作はよく出来た話だと思った。ただ、正直言って、上手くできた話なのだが、どうも作り話という要素が強すぎて、深く心に残るという感じはしなかった。むしろ淡々とした話の第2話以降の方が、読んでいて心地よかった。これから著者の代表作が何であるかをちょっと調べてみて、少しずつ読んでみたくなった。(「at HOME」 本多孝好、角川書店)
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凍りのくじら 辻村深月

著者の最高傑作ということで、最近の書評誌で絶賛されていたので読んでみた。発刊は5年前、文庫化されたのも最近でない本書が何故今になって書評誌で取り上げられたのかはよく判らないが、読んでみると、書評誌の評価通りの味わい深い小説だった。書評の役割が、最新刊の紹介だけではないということを改めて感じた。書評では、本書が漫画「ドラエもん」のリスペクトもののように書かれていたが、「ドラえもん」は単なる味付けで、本当の素材は、人それぞれが自分のなかにある「孤独」とどのように向き合うかということだろう。話の終盤に起きる大事件も、主人公の行動が直接の原因になっているが、そのカタストロフィに至るまでの過程は、だれのせいともいえないものだ。読んでいて、誰もが持っている「内なる声」を聞いているような気がしてきた。(「凍りのくじら」辻村深月、講談社文庫)
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セカンド・ラブ 乾くるみ

「イニシエーションラブ」の著者の最新刊。「イニシエーション‥」のトリックに心底驚かされた後、著者の本は何冊か読んだ。読んだ短編の中には「さすが」と思わせるようなものもあったが、どうしても「イニシエーション‥」と比べると少し物足りない感じだった。本書の帯に「イニシエーション‥以来の衝撃作」というような謳い文句が書かれていたので、迷わず読んでみた。    結論から言うと、本書についても、読み終わってから「?}が頭の中に残り、2度読みを余儀なくされた。話の中で決着のついた謎だけでは、物足りないし、本文の最後の行の言葉の意味が良く判らない。最初に戻って読み直しても、よく判らない。結局、ネットで調べてみて、大きな謎が隠されていたことが判った。この大きなしかけというのは、ある意味、大変著者らしい叙述トリックで、さすがという感じなのだが、自分で発見できなかったこともあって、謎が判っても「イニシエーション‥」ほどの衝撃は受けなかった。すぐにネットで「ネタバレ」を読まずに、もう少し粘って自分で考えた方が良かったのかもしれないと少し後悔した。(「セカンド・ラブ」乾くるみ、文芸春秋)

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エミリー・デ・レイヴァン サイン クレア LOST

TVドラマ「LOST」で、クレア役を演じたエミリー・デ・レイヴァンのサイン。「LOST」の俳優の新しいサインを入手したのは、かなり久し振りだ。クレアはシーズン1から物語のなかで重要な役割を演じてはいたが、話が進むにつれて、彼女と彼女の子供こそが謎の鍵だというところまで重要性が高まっていく。主役を演じるエヴァンジェリン・リリーのサインは既に入手していたものの、クレアのサインは絶対に必要だと感じていたので、今回比較的容易に入手できたのが少し嬉しかった。

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ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦

作者の「新境地」を拓く作品との触れ込みだが、読んでいてワクワクさせられ、愉快にさせられる「森見ワールド」は本書でも全開フルパワーだ。主人公の少年の言動には思わず頬が緩むが、これまでの作者の作品に登場した「子供っぽい大人」と本書の「大人っぽい子供」というのは結局同じなのだということで、男子というものは、子供から大人になっても結局は何も変わらないし、成長もしないのだ、ということがよく判る。ぞろぞろ出てくるペンギンに演技をさせるのは難しいので、映画化はかなり難しいだろうが、何となく「映像で見てみたい」、そういう想像力を掻き立てられる作品だ。(「ペンギン・ハイウェイ」森見登美彦、角川書店)
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残酷な王と悲しみの王妃 中野京子

京都旅行中に立ち寄った美術館の中の書籍コーナーで見つけた1冊。奥付をみると2010年10月の初版とあるので、最近の「怖い絵」シリーズのヒットにあやかった本のように思われる。内容としては、絵画鑑賞本というよりも、ヨーロッパ王室の肖像画をみせながら、それらの人々の人物像や王室というシステムを解説するという歴史本に分類できるような内容だ。そのため、王室というテーマに対して、他の本には見られない深い掘り下げがなされている反面、絵画をみた直感をもとに自由に語るという著者の最も魅力的な部分がやや弱いような気がする。但し、それを補って余りある内容の面白さを最後まで堪能した。(「残酷な王と悲しみの王妃」中野京子、集英社)
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ルーブロック ユニフォーム MLB

セントルイス・カーディナルの往年の名選手、ルー・ブロックのユニフォーム。サインは既に紹介済みだが、永久欠番である彼の背番号「20」の形にあしらわれたジャージ・カードを紹介しておく。彼の記録をみると、年間盗塁記録、通算記録、ワールドカップ2度制覇、3000本安打など、大変華やかだが、これらは全てカーディナルスにトレードで移籍してから成し遂げられたものだ。トレードされてから活躍する選手とダメになる選手の2通りがあるように思うが、彼はまさに前者の代表のような選手だ。今シーズンは日本人大リーガーの不振が目立ち、いろいろ移籍などもあるだろうが、新しいチーム、新しい環境が活躍のきっかけとなると良いと思う。

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明治という国家(上・下) 司馬遼太郎

たまたま近くの駅前の小さな本屋さんで見かけた本書。この店の単行本コーナーは棚のほんの数段にすぎないのだが、この店に入って時々その棚を隅から隅までチェックするのを楽しみにしている。そうして何度も見ているはずなのだが、不思議なことにその日までこの本は目に入らなかった。いつからその棚に置いてあったのかは判らないが、大河ドラマの「龍馬伝」ブームにあやかって置いてあるという風情ではなかったのが、天邪鬼のようだが、読もうと思ったきっかけだった。
 本書は、著者が様々な歴史小説を書く過程で仕入れた知識を体系的にまとめた、幕末から明治にかけての日本の近代国家成立期に関する本だ。一つ一つの話は、それほどマニアックなものではなく、登場する人物やエピソードもどこかで聞いたことのある話が多いのだが、それを体系的に読むと実に新鮮というか、頭の中が「そういうことだったのか」という気持ちで晴れ渡るような感覚になる。特に幕末時の日本内部の多様性が明治国家成立に大きな役割を果たしたという部分には、新鮮な驚きを禁じえない。既に明治国家の雛形のようなものがあった長州藩、徳川体制の重要な一員でありながら結果的に徳川体制崩壊の立役者となった薩摩藩、藩の歴史のなかで自由民権の芽を育ててきた土佐藩といった各地域の多様性の説明、sらにそれらの多様な風土が木戸孝充、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬などの個人の資質を育んだという部分などは、その描写の見事さ・的確さに心が震えるような気がした。上下巻を読み終えても、本書の内容を全部を消化しきれていない気が強くする。読み終えたばかりなのに、少し間をおいて是非再読してみたいと思ってしまった。(「明治という国家(上・下)」司馬遼太郎、日本放送出版協会)
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スティーブ・シャッツ ジャージ NHL

往年のNHL選手、スティーブ・シャッツのジャージをあしらったコレクティブル。名門チームモントリオール・カナディアンズのチームメート、ラリー・ロビンソンとのダブル・ジャージーである。ロビンソンは既にサインなどを紹介済みだが、シャッツの方は初めて紹介する。1970年代はカナディアンズの黄金時代で、73,76,77、78、79年にスタンレーカップを獲得しているが、その時の中心選手がこのシャッツだ。特に77年にシャッツが記録した年間60ゴールは、永らくカナディアンズのチーム最高記録だった。またそれ以外の年も彼はコンスタントに40ゴール以上をあげているポイントゲッターだった。それにも関わらず彼の名前が今ひとつ有名でないのは、活躍した期間が13年強と短かく、通算ゴールが423と名選手のメルクマールである500に届かなかったからだと思われる。
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ブルーノ・サンマルチーノ サイン レスラー

往年の名プロレスラー、ブルーノ・サンマルチノのサイン。「人間発電所」というニックネームで、ベアハッグという技を得意として一世を風靡したレスラーだ。全盛期の強さは半端ではなく、当時小学生だった我々は、世界最強のレスラーだと信じていた。40年以上前の話だが、こうしてサインが製造されているということで、まだ存命であることを確認した。
 小学校の頃は、クラスの男子の大半がプロレス・ファンだった。私の通った小学校は、TBSの近くにあり、何故か時々小学校の窓の下をプロレスラーが歩いていた。多分、かなり下っ端のレスラーだったと思うが、黒いパンツに派手なガウンを着て歩いていたのを覚えている。彼らを見つけると、先生には申し訳ないが、授業そっちのけで、クラス中が大騒ぎになった。レスラーも、小学校の建物の窓から覘いている子供の姿を見て、手を振ってくれたりした。また、小学校の近くに、リキ・マンションという「力道山」の所有していた建物があった。力道山が刺殺された場所だ。小学校の思い出はプロレスと何故か強く結びついている。そんなことを思いださせてくれるサインだ。
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旅をする木 星野道夫

外出中に読む本がなくなり、たまたま立ち寄った本屋さんで、何も買わずに出るのが躊躇われ、手頃な本をと選んだのが本書。短いもので3ページ、長いものでも10ページくらいの短いエッセイが収められていて空いた時間で読めそうなこと、「旅をする木」という題名が気になったこと、の2つが選んだ理由だった。
 アラスカの自然を愛する著者の「自然の中の自分」を語る飾り気のない文章が妙に心を打つ。自然に対する敬意が感じられる一方、単純に自然を描写するのではなく、自分のこれまでの体験や知識を目の前の自然と対峙させながら、それらを渾然一体として語る、そのスタンス=バランスが絶妙だ。著者はアラスカでクマに襲われ死亡した故人である。すでに亡くなった人の本というのはそれだけで何となく有り難味が増すようなところがある気がするが、本書も、そうした面がある。但し、それを知らずに読んでも、本書には何か特別の力があるように思われる。(「旅をする木」星野道夫、文春文庫)
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朗読者 ベルンハルト・シュリンク

ドイツ文学を読むのは、おそらくギュンター・グラスの『鈴蛙の呼び声』以来ではないかと思う。本書のあとがきにも、「本書は、グラスの『ブリキの太鼓』以来、最も世界的な成功を収めたドイツ文学作品」とある。
本書は3部構成になっている。私は全く予備知識なしで読んだために、第1部である主人公の恋愛体験の記述全体を覆う重苦しい雰囲気の理由が判らず、少なからず戸惑ってしまった。第2部で、主人公の愛人の過去が明かされて、初めてその重苦しさの理由ががどこから来るものなのかが判る。同時に、この時点で本書のテーマが、ドイツ人の戦後世代(我々よりも少し前の世代)が「ナチスの犯行」という歴史をどのように背負い、それにどのように対峙してきたか、ということであることが判る。そして、第3部の悲劇的な結末に至り、この問題が依然としてドイツ人のなかで消化しきれていない現在進行形の問題であることが判る。本書が読者に突きつける問題は「主人公が第2部でとった行動の是非」「主人公の愛人が第3部でとった行動の意味」の2つに要約できると思うが、そのいずれもが「まだこの問題は解決していない」と言っているように私には思える。特に後者の問いかけは、彼女が何も語らなかったという事実であり、作者自身がそれを消化しておらず「何を書いてよいか判らなかった」からではないかと思われるのだ。それは作者に非があるのではなく、「考え続ける」ことに意味がある問題があることを我々に教えてくれている。(「朗読者」ベルンハルト・シュリンク、新潮文庫)
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