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反〈絆〉論 中島義道

東日本大震災以降の日本で、被害にあった人々を勇気付ける言葉として使われるようになった「絆」という言葉に対して著者が感じる違和感、重苦しさを語る一冊。最近よく言われるようになった日本社会の「同調圧力」よりも更に奥に潜む個々人を拘束する雰囲気を象徴するのが「絆」という言葉であり、その背後にあるのが無意識の暴力性だと指摘する。確かに社会にはびこる同調圧力に対する警告はよく耳にするが、そうした人々にも無意識に抵触してはいけないと感じている不文律がある。人間は多様だと言いながら、これは全ての人にとって良いことだと信じているものがある。他人に対して寛容であれという一方で、例えば街の騒音に強いストレスを感じてしまう人々のことには考えが及ばない。他者に寛容であれ、人はそれぞれと言いながら、無意識のうちに批判をされないような紋切り型の言葉しか発しないことの暴力性を改めて認識させられた。(「反〈絆〉論」 中島義道。ちくま新書)
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新アラビアンナイト 清水義範

取材や観光でイスラム諸国を何度も訪れたという著者が、その時に見聞きした文化、風俗、景観、宗教との向き合い方などの知見をベースにして、諸国の伝説や歴史を千一夜物語風に語る短編集。これまでに読んできた著者の作品は、ユーモアとアイロニーで味付けされた短編と自分で見聞きした異文化を紹介する紀行文の2種類だったが、本書はその中間というか融合というか、どちらの要素も持った著者ならではの作品だ。語られる荒唐無稽な物語のどの部分が実際に現地に残っている伝説で、どの部分が著者の創作やアレンジなのかは判然としないが、物語を読んでいるとイスラム文化圏の人々の暮らしや考え方が何となく見えてくるような気がする。本書は世界同時テロ以降に書かれていて、刊行後の世の中のイスラムに対する見方は、前近代的な風習、聖戦という衣をまとったテロ組織という悪いイメージ一色だが、本書を読んでいるとそれが千年も続いているという事実の背景にある何がしかのプラス面の必然性のようなものがおぼろげながら伝わってきて、それが著者の狙いなのだろうと感じた。(「新アラビアンナイト」 清水義範、集英社文庫)
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プーチンの野望 佐藤優

元ロシア大使館勤務の経験を持つ著者が、ロシアのウクライナ侵攻を受けてこれまでの日露外交史、プーチンの人物論、ロシアと隣国を巡る軋轢などの論考をまとめた一冊。プーチンが中堅官僚から大統領に上り詰めるまでの来歴、北方領土を巡る日露交渉の歴史、クリミア併合やウクライナ侵攻の背後にあるプーチンの思想などが多角的かつコンパクトにまとめられていて、新しい知識の習得とウクライナ侵攻に至るまでの流れの両方を理解するのにとても役立った。北方領土問題については、日露修好条約から始まって日露共同宣言、東京宣言、ウクライナ侵攻後のロシアのスタンスに至るまでの流れがしっかり理解できた。また、プーチンには、ロシア語という共通言語を念頭に置いた多民族多文化国家という考え方、アジアとヨーロッパをまたぐユーラシア主義という考え方、更にそれが「ソ連の復活」ではない形でCIS諸国の統合を可能にするという論理などがあり、それらがウクライナ侵攻の根底にあるとの見方もよく理解できた気がした。(「プーチンの野望」 佐藤、潮新書)
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#真相をお話します 結城真一郎

初めて読む作家の現代の様々な世相を切り取ったような短編集。書評誌にまるまる1ページを割いて紹介されていたので読んでみた。本書には5つの短編が収められているが、いずれも表面的なストーリー展開の裏にかなり衝撃的な「真相」が隠されていて驚かされる話ばかり。特に最終話の「#拡散希望」は、表面的には長閑な過疎の島の子どもたちのちょっとしたいざこざのようなものから展開していく話なのだが、終盤に起きる事件とその裏に隠された真相のおぞましさには心底驚かされた。(「真相をお話します」 結城真一郎、新潮社)
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五つの時計 鮎川哲也

本格ミステリーの大御所的な作家の初期作品が10編収められた短編集。書かれたのはほぼ自分が生まれた頃、ちょうど65年くらい前の作品だ。著者の名前はよく知っているが、実際に何冊くらい読んだかはあまり覚えていない。当時の著者は若手実力派としてが期待されていたが出版社との折り合いが悪くあまり発表の場がない不遇の時代だったが、彼の才能に期待した江戸川乱歩が彼にミステリー雑誌への投稿を依頼、彼もその期待に応えて意気込んで制作した作品群とのこと。各短編には、江戸川乱歩の短い解説文がついている。収められた短編は、大半がちょっとしたアイデアを生かしたシンプルな謎解き話で、昔のミステリーとはこういうものだったんだという懐かしさが感じられるものだが、その中で表題作の「五つの時計」は、犯人のアリバイを裏付ける複数の証言者の時計には絶対に犯人が操作できないものもあるのだが、それをいかにしてアリバイ作りに利用したか、そのアイデアの斬新さに驚かされた。(「五つの時計」 鮎川哲也、創元推理文庫)
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住宅営業マンペコペコ日記 屋敷康蔵

三五館シンシャという出版社の人気シリーズ。不動産仲介業のお話かと思ったら、住宅メーカーの営業員のお話だった。著者は、格安を売り物にする中小住宅メーカーの営業員で、その日常の苦労話が満載。どこの住宅メーカーにも共通の苦労もあれば、中小メーカーならではの苦労もあり、とにかく大変だなぁというのが感想。住宅営業マンの最大の活躍の場が住宅展示会場に来店するお客さんの相手ということも初めて知ったし、お客さんと一口で言っても財政事情が色々だったりサービス品目当ての冷やかし客だったりと様々だ。大手メーカーの場合は展示場の清掃とかレイアウトのしつらえなど専門業者に発注するのだが、中小メーカーではそれらも営業マンがやることが多く、その分が格安の理由なのだという。どの職業にも固有の苦労がある一方、やはり会社によってもかなりの違いがあることが分かって少し切なくなった。(「住宅営業マンペコペコ日記」 屋敷康蔵、三五館シンシャ)
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遺体 震災、津波の果てに 石井光太

東日本大震災から3日後に釜石市に入り、現地で何が起きているかを新聞や週刊誌に記事を送り続けた著者によるルポルタージュ。釜石市は、完全に津波によって崩壊した港に近い地区と大きな打撃を免れた地区が国道を境に明暗を分けた形になった。著者が最初に現地入りして目にしたのは、崩壊を免れた地区の人々が崩壊した地区から遺体安置所になった地区センターに運ばれてくる多くの遺体の検死や身元を明らかにするのに必要な情報の記録などにあたる姿だったという。本書では、市職員、町医者、歯医者、自衛隊員、警察官、消防団員などへのインタビューを元にして、遺体捜索、がれき処理、遺体安置所での活動など、テレビなどの映像では視聴者に配慮してあえて伏せられた悲惨な状況が文章で克明に語られる。直感的に物事を伝える映像とこうした文章の両方があってこその将来への教訓だと感じた。(「遺体 震災、津波の果てに」 石井光太、新潮文庫)
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マスカレードゲーム 東野圭吾

人気シリーズ第4弾。例によって、人を疑うのが仕事という警察官とお客様第一というホテルマンのコンビがホテルで起きようとしている犯罪を未然に防ぐために奮闘する。第1作目を原作とした映画の印象が強烈だったで、本書を読んでいても「映像化されたらこんな感じだろうなぁ」と勝手に映像化されたシーンを思い浮かべながら読み進めてしまった。最後に明らかになる真相は当初予想されたものとは全く違うので、実際に警察がこんな見当違いの見込み捜査をするかしらというのが正直なところだが、意外性を期待する読者へのサービスという点では大満足だ。主人公の去就や次回作の有無など色々気になるところを残しつつ閉幕。個人的には心機一転の主人公たちの次の活躍を期待したい。(「マスカレードゲーム」 東野圭吾、集英社)
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博物館のファントム 伊与原新

博物館のバックヤードに寝泊まりして研究に明け暮れる博物学者と博物館の展示や資料保存のアルゴリズム開発を担うプログラマーという分野も立ち位置も全く違う2人がコンビを組んで博物館で起きる色々な事件を解決していくミステリー短編集。各短編に、宮沢賢治と博物学、エドガーアランポーの貝類辞典、生物の学名を使った暗号など自然分野の研究や博物館に関する蘊蓄があふれていて楽しい。登場人物も様々な研究分野の専門家、博物館の案内ボランテイア、在野のアマチュア研究家、生物の標本剥製を作る人、博物館に希少な標本を納入する専門業者など多彩だ。本書については、こうしたエンターテイメントの要素だけでなく、細分化してしまった博物学に抗う博物学者と博物学に新たな視点を加える可能性を秘めたプログラマーという主人公2人が著者自身が考える今後の博物学のあるべき姿を体現しているようで考えさせられた。(「博物館のファントム」 伊与原新、集英社文庫)
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ナオタの星 小野寺史宣

なかなか芽のでないシナリオ作家希望の主人公。懸賞の最終選考で2年連続落選、30歳目前というタイミングで人生の節目を感じつつもなかなか踏ん切りのつかない彼の周りで起きる少し意表を突いたような出来事の数々。登場人物は小学校時代の同級生、同じアパートの住民、母と妹と限られた世界だが十分にドラマチックだ。最後にちょっとしたサプライズ的な告白があるのだが、シナリオ作家希望の面目躍如なのが楽しい。(「ナオタの星」 小野寺史宣、ポプラ文庫)
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そして陰謀が教授を潰した 早瀬圭一

ちょうど50年前に起きた「青山学院大学教授女学生暴行事件」の謎を追い続けた元新聞記者がその経緯をつづったルポルタージュ。私自身「あの事件だったかな」と思ったが、私が記憶していたのは当時すごく騒がれた「立教大学教授女子学生殺害事件」のことで、それとは別の事件だった。本書が扱っているのはちょうど立教大学の事件と同じ年に起きた別の事件で、立教大学の事件の方が非常に衝撃的だったので記憶に残り、それと混同してしまったようだ。この事件は、すでに裁判で有罪が確定、犯人とされた教授も3年の刑期を全うして出所済み、出所後も無実を訴え続けていたが、支援者達が再審請求受理の可能性を検討中に本人が死亡してしまったという事件だ。当時、事件の舞台になった青山学院大学では、校内の権力争い、地上げ屋の陰、国際部設立をめぐる校内対立など不穏な動きが多く、事件当初からこの事件には裏があるのではないか、教授は何らかの策略に巻き込まれたのではないかという空気が強かったという。これを察した様々な新聞社の記者や週刊誌のライターがその闇を暴こうとしたが、疑惑は疑惑のまま終わり真相を突き止めるまでには至らなかった。本書では、著者自身の根気強い取材だけでなく、色々な記者やライターが中途で追求を断念した資料を駆使して、著者がどこまで真相に迫れたかが詳細に語られている。本書の読みどころは、何人かの記者やライターからの資料を「真相を突き止めてくれ」という彼らからの負託と考える著者自身の首尾一貫した「記者魂」だ。(「そして陰謀が教授を潰した」 早瀬圭一、小学館文庫)
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その後のシンデレラ 清水義範

8つの短編が収められた一冊。表題作はおとぎ話の主人公のその後、最終話は画家のエッシャーの父親が明治政府の要請で日本のインフラ整備に尽力したお抱え外国人だったという史実に基づくお話で、後の6編はご近所や家庭内のちょっとしたいざこざの様なものを題材にした著者らしい小説だ。登場人物たちが口喧嘩する場面がちょくちょく出てくるが、論理的なことを言っているようで論理的でなかったりで、読んでいてとにかく面白い話ばかりだ。今年になって著者の本に出会ってこれで8冊目、まだまだ未読の本があるのが嬉しい。(「その後のシンデレラ」 清水義範、祥伝社文庫)
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交通誘導員ヨレヨレ日記 柏耕一

書評誌のルポルタージュ特集でおすすめ本として紹介されていた一冊。通行止めになっている道路工事現場の手前で迂回路を教えたり誘導してくれたりしている人の苦労話を軽いタッチで教えてくれる。普段よく目にしていても、その役割や意義について真剣に考えたことがなかったが、色々大変なんだなぁということがよく分かった。警察官ではないので誘導はできても交通整理はできないこととか、片側交互通行の誘導の難しさとか、実際のエピソードを通じて交通誘導員という仕事の仕組みを教えてくれる。現場によっては、適正人数不足、無線通信なし、未経験者とペアなどの要因で難易度が急上昇、8時間以上立ちっぱなしでトイレにも行けないといったこともあるらしい。他の職種についても言えることかも知れないが、今の日本には社会的意義、報酬、周りの理解、ハードさなどの面で色々なアンバランスがあることがよく分かった気がする。(「交通誘導員ヨレヨレ日記」 柏耕一、三五館シンシャ)
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奴隷になった犬、そして猫 太田匡彦

動物愛護について長年取材を続けている著者の本はこれで2冊目。前に読んだ本は2012年の動物愛護法改正までの話だったが、本書は2019年の法改正までを織り込んだ内容。さらに本書では、急速にブームになった猫の生体売買についても取り上げられていて非常にためになった。2012年の改正時に業界団体や一部政治家の反対で実現しなかった「8週齢規制」が2019年の改正でようやく実現したのは良いことだと思うが、その改正でも「日本犬は8週齢規制の対象外」になったり、ペット販売業者による飼育環境の定量的な数値規制が盛り込まれなかったりで、まだまだ道半ばという感じだ。本書では、販売業者の経営悪化に気をつかう環境省の規制強化に対する消極的態度が再三指摘されているが、いつの間に環境省がそんなにビジネス寄りになってしまったのか、どういう利権や政治的圧力があるのか不思議な気がする。規制強化反対の論拠は「規制するだけの科学的根拠がない」ということらしいが、「幼すぎる犬猫の売買は衝動買いを助長する」「広々とした清潔な環境の方が犬や猫の健康に良い」という単純な理屈が通らないのが不思議な気がした。(「奴隷になった犬、そして猫」 太田匡彦、朝日新聞出版)
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偽りの捜査線 誉田哲也、長岡弘樹他

7人の作家による警察小説アンソロジー。7人のうち4人は多分初めて読む作家だ。収められた短編は警察官という人間や警察組織内の人間関係などに焦点を当てたかなりひねりの効いたものばかりで、難事件を地道に解決していくヒーロー像とは全く違う彼らの一面を教えてくれる内容だ。それぞれの短編の前に付いている著者略歴を見ると、読んだことのない4人についても警察という組織や人に焦点を当てたような題名の作品が多数並んでいて、皆警察小説界のベテランということがわかる。巻末の初出一覧を見ると全て2021年以降、コロナ禍とかロシアとかが登場する作品もあって面白かった。(「偽りの捜査線」 誉田哲也、長岡弘樹他 文春文庫)
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