夢の跡?

2010-02-07 01:39:20 | 山行
さて、西赤石山への登山口は、大雑把に分けて山の北側からと南側からの二つあります。
今回は山頂への距離が短い、南側の登山口から登る事にしました。
前日は新居浜に宿泊。
ホテルを早朝に出立し、車で山の方へ南下します。
知っての通り四国山地は東西に伸びる地形。
北に位置する新居浜から南側へ行くには、一旦トンネルで山の下を潜り抜ける必要があります。

坂道を上るにつれ迫る岩壁。
結構険しい。
切り立った岩肌と張り付いた新緑の景色が、走るにつれ角度を変えて展開します。
ほぉ、なかなか。
道路は整備された県道で、所々工事しているもののコンディション良く、ただドライブするだけでも楽しめます。
お天気も上々。
ゆっくり走りながら、窓の下から視線を上げ岩壁の上のほうを仰ぎ見る。
すげーなあ。

程なく道は大永山トンネルに入り、赤石山系から西に伸びる峰の南へ出、下ります。
登山口の駐車場は結構広くスペースを取っているにもかかわらず、もう一杯。
さすがにゴールデンウィークですね。
スペースを見つけて車を止め、足回りを固めて出発しました。

さて、この「日浦登山口」から稜線の峠までの道は遺跡の道。
峠の名前は銅山越。
そうです、別子銅山跡を登山道は通っていました。
そこには私の常識外の世界が。
山道を歩いていくと、そこここに広場があり、ここには小学校があった、劇場があった、と解説版に当時のモノクロ写真とともに説明文が。
ェエッ、小学校?劇場??
道はホントに普通に木々の生い茂る登山道です。
こんな山の中に小学校?劇場??
私の鉱山のイメージを覆すお話が、歩き進むごとに現れる解説版に書かれていました。

鉱山って鉱石を掘る鉱夫だけが住まう飯場のイメージがあったのですが、これだけ大規模な鉱山だと家族ごと山の中に移り住んで生活していたんですね。
学校で習った銅山は、山は禿げ、鉱毒被害をもたらす最悪の自然環境破壊の場。
そんなところに子供がたくさん暮らしてたんだ・・。
下山時は行きの道と谷を挟んだ対岸の道を下ったのですが、そちらのほうが施設が存在した事をはっきりと残す遺跡が見られました。
斜面に石を積んで城壁を思わせる巨大な壁を作り、平らな空間を確保した場所は、今は太い幹をもつ杉の木が立ち並ぶ林床に変わっていました。
本来そこにあってはいけない物がある、なんか異様な眺めでした。
例えるなら、廃屋に入ったら、畳を突き抜けてタケノコがたくさん生えているのを見た感じ。
少し前の前衛芸術の醸す雰囲気と言っていいかも。

思いもよらず歴史の勉強をしてしまった山行となりました。