橘寺

2022-04-16 17:27:29 | その他旅行き
民家の間を抜けて飛鳥周遊歩道が開けた場所に出ると、右横に石柱が2本、門のように立っていた。
聖徳皇太子御誕王所と読める。
橘寺の入口のよう。
下馬と刻まれた石もある。



しかし石柱の向こうには田畑が広がり、左手ずいぶんと遠くに橘寺が見える。
伽藍は桜に囲まれ華やかだ。
カラスが餌を探す田畑の間の道をてくてく歩いて近付く。
駐車場のある西門から拝観料を払って境内に入った。



まずは本堂にお参り。
靴を脱いで堂内に上がることができる。
古そうな仏像や仏具が並んでいる中を見学。
ここのご本尊は聖徳太子である。
聖徳太子はこの地で生まれこのお寺を建立したそうだ。



元々は祖父の欽明天皇の別宮がここにあり、ここで生まれ、後に寺に改めたそう。
欽明天皇の孫と言えば先の記事で書いた、吉備姫王も欽明天皇の孫。
二人はいとこ同士なんだ。
吉備姫王墓には猿石があったが、ここ橘寺にも謎の石造物がある。



顔が前後に彫られた岩で二面石という。
片方が良い面、もう片方が悪い面を表すらしい。
よくよく見てみるのだが、ああそうかなと思う程度にしか表情の差を感じられず。
観察力が欠如しているのかな。



伽藍は何度も焼けたそうで、その度に建て替えられ、今の建物は江戸時代のもの。
火事の度に仏像は避難できたようで、室町時代とか鎌倉時代の物が残っている。
観音堂を修繕するため勧進していた。
昔の姿を維持していくのは大変なんだろうな。



一番栄えた頃は六十六の堂舎が並び建っていたそう。
先に書いた田畑を挟んだ西に、入口の石柱が立っていた件。
なんでこんな離れた場所にと思ったが、北側の県道の間際にも同じような石柱があることもあり、元はこれら石柱より内側の田畑が全て境内だったのだろうということに思い至った。



その頃は五重塔が建っていたそう。
心柱の立っていた礎石の形が独特らしく、水の溜まった穴跡を見つけたのだがこれの事だろう。
その隣にはこちらを修繕した方がいいのではと思うぼろぼろの土蔵が。
外側の土が剥がれ落ちているが、土蔵の役割は果たしているから修繕は後回しなのかな。



その前に建つ本坊の建物も年季が入っていた。
壁で囲われ庭木が植えてあるのでよく見えず、見学するような建物ではないだろうから少ししか覗き見れなかったが、ガラス戸の微妙な撓み具合が味わい深い。
桜以外にも古い建物を鑑賞できてよかった。