京都御所→→794年(延暦13年)、桓武天皇(かんむてんのう。50代天皇。在位781~806)が遷都された平安京の大内裏の中ほどに、天皇の住まいである内裏(皇居)があった。
度々の火災や戦乱で仮皇居とした里内裏(貴族の邸宅)が日常の皇居となった。
現在の京都御所は、土御門東洞院殿(つちみかど ひがしのとういんどの)と
いわれた里内裏の一つである。
火災の焼失と再建が繰り返され、現在の建物のほとんどは1855(安政2年)に
再建されたものである。
敷地面積は約11万㎡である。 (宮内庁京都事務所パンフから引用)
この日が春の一般公開初日だった。
平日の午後ということで、そんなに混雑はしていなかったが、
それでもけっこう人が来ていた。
初めてのデジカメ一眼レフはレンズが重いが、なかなか良い感触だった。

新御車寄(しんみくるまよせ)
1915年(大正4年)の大正天皇の即位礼に際し、建てられたもので、
その後の天皇皇后両陛下の玄関である。

左近の桜

右近の橘
紫宸殿(ししんでん)は、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われた。
向かって右側に「左近の桜」、左側に「右近の橘」がある。
桜は満開であった。
度々の火災や戦乱で仮皇居とした里内裏(貴族の邸宅)が日常の皇居となった。
現在の京都御所は、土御門東洞院殿(つちみかど ひがしのとういんどの)と
いわれた里内裏の一つである。
火災の焼失と再建が繰り返され、現在の建物のほとんどは1855(安政2年)に
再建されたものである。
敷地面積は約11万㎡である。 (宮内庁京都事務所パンフから引用)
この日が春の一般公開初日だった。
平日の午後ということで、そんなに混雑はしていなかったが、
それでもけっこう人が来ていた。
初めてのデジカメ一眼レフはレンズが重いが、なかなか良い感触だった。

新御車寄(しんみくるまよせ)
1915年(大正4年)の大正天皇の即位礼に際し、建てられたもので、
その後の天皇皇后両陛下の玄関である。

左近の桜

右近の橘
紫宸殿(ししんでん)は、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われた。
向かって右側に「左近の桜」、左側に「右近の橘」がある。
桜は満開であった。