ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

リンゴの葉摘み

2012年11月12日 | 日記

 

福島県・松川町の、あるリンゴ農園に援農に行ってきた。

援農というとカッコいいが、実働は5時間ほどで、果たして援助したことになるのかどうか。作業は、リンゴの葉摘み。葉摘みというのは、果実が日の光を存分に吸収し艶やかな赤みを得るために行う、余分な葉取りである。

リンゴの果実は葉などの陰になっていると色づきが悪い。そして、陰の部分だけが斑になって、市場に出た場合の品質等級に大きなハンデとなるので、農家は、収穫の最後の仕上げとして葉摘み=陰を除去するのである。同時に玉まわしといって、枝などに絡まっている部分を回転させ、色むらを無くす操作をする。この作業を終えると約2週間くらいで、ようやく収穫となる。こうした作業は商品価値と直結するために、欠くことのできない作業なのである。ところが、これが機械化できない。これこそ農業の、農業たるところである。

リンゴにかぎらず、野菜、穀物などの農産物には、生育から収穫までに、私たちが思い描いている以上の作業が加わっている。昔だと、稲の場合など、夏場に信じられないような除草作業があった。今では除草剤や機械化が進んで、過酷な作業から解放されているわけだが、無農薬作物などと気安く言う人がいるが、農法の近代化=農薬や化学肥料による恩恵は、その収穫量をとってだけでも雲泥の差があることだけは知っておくべきである。

作物というのは品種改良が進んで、原生種からまったく離れた植物種であるから、これが育つためには、どうしても人間の関与が必要となる。ほっとくと原生種に返っていく傾向がある。ですから、作物を育てることをcultivate、つまり耕すことであり文化と言っている。自然志向とか、科学万能への警鐘とか、という風説が盛んだが、もっとも身近な食品の世界が、どのように栽培されているのか、なまじの風潮では解せないことが、作業を通じてよくよく理解できた数時間であった。【彬】

 

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