2011年3月11日の大震災。私は、茨城県常陸大宮市の栃木県に近い、自分の勤める某事業所で被災した。日本に住んでいる以上、一生に一度は大きな地震を体験するだろうと思っていたが、その時が正にこれだと思った。
教訓とは、他人から言われるのではなく、自らの体験の中から学ぶのだと思うのだが、自分は何を学んだのか?
私事であるが当時の日記を読み返す。その一部は、「3月11日。午後3時ごろ、大規模地震あり。震源地、宮城県沖、震度9。こちらは、震度6.避難訓練通り、全員所定避難場所へ。人災なし。事務所2階の天井被災。・・・社宅までの道、信号つかず、ブロック塀ことごとく崩れる。部屋の中散乱し、電気、水道止まる。・・・・・余震一晩中続く。ケータイ、テレビ、不可で、世の中が見えない。・・・学んだことは、大災害に備え最低限の備えを自らしておくことだ。・・・」
「3月13日。・・・近所の人に教えられた、近くの水場で水汲み。脇に、小さな祠を祭ってある。昔から、地元の水田、住民の水場となっていたのであろう。・・・これは命の水場である。」
現在、私は、東京に住んでいる。先の、震災の自らの体験をどう活かしているか?
① 被災した時は、近所のひととの協力が何より大切。
② 茨城に住んでいた時期は自ら、充分な備えをしていた。今はとても充分とは言えない。
今本当に思うことは、のど元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉だ。今やらなければいけない。
絵は、社宅近くの水場。小さな祠と石碑。2011年3月13日に描いたもの。尚、石碑には、
「千早振る玉川村水の 流れ来る神ぞ引く 清きお井戸の水は 下の耕作
昭和7年3月15日 建之。」とある
2017年3月10日 岩下賢治