この桜の季節、各地で花見が開かれている。今回は桜の花の美しさについて私の印象をお話しします。
桜の花が最も美しいのは満開の散る直前。息をのむようである。私が桜の花が美しいと初めて感じたのは小学校の入学式で、満開の桜の下で記念写真を撮ったとき。うれしいというより、怖いような切なさに似た感覚だった。今でも満開の桜の下に立つとそのような感情、いや、むしろ妖しささえ感じることがある。何故そのような感覚になるのか?
次の二つの文学作品がこの不可解な感覚をよく表現しているように思う。
①梶井基次郎の「桜の下には」……何故あのように美しいのか、信じられずに不安でならなかった。だが、桜の下には動物たちの屍が埋まっていると想像したたいい。それから溶け出す水晶のような液体を桜は貪欲に吸い上げ花になっていく。そう思うことで、やっと安心して花見ができるようになる。
②坂口安吾の「桜の森の満開の下」……昔、江戸時代のより前のこと。ある山賊が鈴鹿峠付近を縄張りにして荒しまわっていた。怖いもの知らずだが、満開の桜の森の下だけは、狂気を感じ通るのを恐れていた。妖しいほど美しい女を奪い女房にして、都で暮らしていたが、男は冷酷な女のわがままに翻弄される。都から村に帰る途中、男は女を背負って満開の桜の木の下を通った。その時、女は鬼に変わっていた。男は思わず鬼を絞め殺したが女に戻っていた。そして女が消え、やがて男も消えていった。そこには桜の花びらだけが残されていた。
私は花見では桜の花がただ「キレイ」とだけ感じるのは物足らないと思う。妖しく、背筋がゾクゾクする感覚がわいてきて本当に「楽しめる」のだろうと思う。
桜の花見には風情はなくてもいい。怖いほどの美しさの下では、皆で車座になり大いに騒ぐのがいい。こうして昔からみんなで楽しんできた。宴の後、花はハラハラと散っていく。その潔さに人は心を奪われる。 4月7日 岩下賢治