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畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

寒い夜更けは酒でも飲んで~♪

2017-01-30 19:19:19 | 食べ物

 

 いやいや、出自がわかるような食べ物が好きでしてねー。

一人鍋でも無いけれど、「一人大根煮」で、酒のアラと大根を煮たものが好きでまた作っちゃいました。

 

  スベルべママの作り置き「ヒジキ煮」です。

体に良いことは重々承知でも、どうしても食べたいという食べ物でもありません。

 

  昨日のスベルべの作品で佐渡産の「真鱈のアラ煮」です。

もちろん冷蔵庫から取り出しただけで温めません。煮凝りと酒の組み合わせ最高!

 

  鮭のアラを買いに出たらこんなものが目に入っちゃいました。

鶏の「砂肝のピリ辛煮」です。どうもお酒系統に走っちゃいます。

 

  はい、親の遺言で「栄養バランスは怠り無く」を貫き地元産の青菜のお浸し。

雪国の魚沼でも冬にはハウスでこんな野菜も生産されていますよ。

 

 そして、スベルべの常備薬。別名「百薬の長」とも申します。

南魚沼市の地酒高千代酒造の最も安価でベーシックな一本「高千代」でした。

 一人暮らしで栄養過多気味。いえ食べ過ぎ気味です。

昨日は雨で散歩を省略したけれど、今日は二日分歩きましょうか。

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「唐牛伝」

2017-01-30 04:34:45 | 暮らし

 やはり、週刊誌の書評で見たのだったと思うけれども、どうしても読みたくなった。

「唐牛健太郎」は60年安保で名をはせた男で、他の全学連メンバーとは異なる道を歩いた。

 安保闘争で、世の中が騒然としたことは覚えているが当時のスベルべは13歳の中学生。

どんな学生運動、どんな政治闘争の経緯を経たのかも理解が足りず、その点でも興味があった。

 (その後父母が全日本交通安全協会の緑十字銀賞を受賞に上京した際に学生運動に遭遇、

催涙弾やら投石の話を聞いて驚いたのだがそれは1969年の東大紛争時だった。)

 

  著者の佐野眞一氏もマスコミ関係との軋轢でしばし筆を休め三年ぶりの執筆。

「骨がらみ」の仕事だったと自身で言うが、膨大な資料、そして日本全国を唐牛の足跡を追い続けた。

 全学連メンバーから離れ、生まれ故郷の北海道から沖縄までさすらう。

そして、仕事も漁師から居酒屋までいろいろな仕事を転々とする。

 

 裏側の帯に書かれた短い言葉が内容のすべてを語っている。

満州で暗躍(愛国心からでしょうが)し、戦後の日本でも同じ野望を持ったと思われる岸信介と対峙。

 その後、いやその闘争中にも田岡一雄と付き合ったり、田中清玄から保釈金を都合してもらったり、

と、その裏での動きは大方の人たちには信じられないような行動をしていたのです。

 吉本隆明、徳田虎雄とその付き合う人々の範囲とスケールの大きさに驚かされる。

しかし、彼がいたからこそ今の背の中の体制になったと言っても過言ではない部分も有るのではないか。

 謎の人物陸軍中野学校の出身である人物とも謎めいた付き合いがあった。

その謎めいた人物が長岡市出身の新潟県人であることにも驚いた。

 スベルべと10歳違いの唐牛健太郎の生涯に触れ、多少胸のつかえがとれたような気持ちも。

冬であり、運動不足で汗を流さないとどうも妙なことを考えていけませんね。

男はやっぱり力いっぱい働き、力いっぱい汗を流さないとだめだなー。

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真剣師「小池重明」

2017-01-29 05:13:46 | 暮らし

 夏場は小説どころかね、習慣的に買う週刊誌さえ目を通しかねることさえある。

でも、その代わりというか冬は飢えたように本を読んでいる。

 最近はネットで注文すると、早いと翌々日には届くから便利といえば便利です。

ジャンルは特に問わず、読みたい本、面白そうな本を新聞、週刊誌などの書評で探したりする。

 この「真剣師小池重明」は週刊誌の書評「徹夜で読みたい本」で見つけ読みたくなったもの。

モデルの「小池重明」は将棋愛好家には知られた名前で、真剣師はプロはプロでも賭けのプロの事。

 そして、その実録を著したのが将棋好きで知られる作家「団鬼六」です。

「団鬼六」というと怪しげな官能ものやSМ小説で有名だけれど将棋愛好家としても知られている。

 さて、破天荒な生涯を送った真剣師「小池重明」の実録はやはりこの人しか書く適任者はない。

次々とプロの棋士を破る話なんてすごいですね。高段者さえ打ち負かす妖刀使いです。

 対戦者が一様に言うのは、アマのような序盤から、入り中盤からは対戦者に異様な感を持たせる。

そして、いつの間にか術中に陥るというか、序盤の優勢がいつの間にか敗勢に陥るというパターン。

 プロとして最初から修行したら大成したかというと、物事はそう簡単なものではない。

生まれにも曰くが有るのだが、生き方が半端ではない破天荒な生き方。

 酒と女で失敗ばかりし続ける生活は、破滅の方向へと向かうしかなかったのだ。

人妻と奔走したり、借金をし続けたり、人の信頼を裏切って逃げたりと転落一方の暮らし。

 しかし、どんな境遇にいても将棋だけは怪しい強さを持ち続ける。

不始末から遁走し肉体労働で命をつなぎ、それでも何年も駒を握ってなくても勝つのですから。

 かって、「東海の鬼」と呼ばれ、真剣師からプロになった有名な「花村元司」という棋士がいた。

しかし、「小池重明」は花村元司とはまた違う怪しげな強さがあったのだろう。

 もう何十年も駒に触っていないけれど、スベルべも小学生のうちに将棋を覚えている。

今でも、日曜日のテレビ対局も時々見ています。やはり、多少将棋がわからないと面白くないかな。

 とにかく、囲碁の藤沢秀行さんや、この小池重明など何故か無頼にもあこがれてしまう。

困ったことだけれども、自分など絶対になし得ないが、憧れる気持ちもどこかにあるのでしょう。

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恐怖の跨線橋除雪

2017-01-28 06:57:24 | 暮らし

 先日、雪の晴れ間、陽の当たる日に跨線橋除雪が行われた。

大きな跨線橋の除雪だったら、屋根の面積も広く、さほど怖くはないのかもしれない。

 

 でも、小さな無人駅の跨線橋は小さくて屋根も狭い。

高いところは結構平気なスベルべだけれどこれはちょっと怖いですねー。

 

 親綱という固定した安全ロープに移動用のバンドを着けて作業です。

なにしろ下は線路で、しかも高圧電線が走っているからなおの事怖い環境です。

 

 ようやく作業も終わりに近づいてきました。

作業員のほっとしたような様子がわかります。

 

 作業を終えた人たちに「あんまり大勢で、屋根が抜けるかと思ったよ」なんて冗談を。

スベルべが18歳でこの駅の構内にあった保線の職場に入ったときはこの跨線橋は無かった。

 ホームにコンクリートの階段があり、その場所には鉄の蓋がされていて駅員が付け外しをしていた。

スベルべがここにいる時にこの跨線橋の新設工事が始まったのですからそれから50年ですね。

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恋人「ノンコ」の思い出

2017-01-27 04:07:24 | 暮らし

             恋人「ノンコ」の思い出

  「ノンコ」は真っ白なポメラニアンだった。綺麗に毛を整えられ、ピンクのベストを着た姿で籐のバスケットに入り、我が家に来た。

 

 東京に住む叔母が、娘、つまり私の従姉妹が出産のために帰宅して、世話が出来ない。赤ちゃんが帰るまで我が家で面倒を見てもらいたいと言うのだ。

 

 猫は飼っていたが犬は居なかった。もとより動物好きの我が家に反対する家族は無い。

 こうして三ヶ月ほど「ノンコ」は我が家の娘となった。今風に言えばホームステーだ。

家族の中でも、特に私になついた。私も室内犬と暮らすなんて始めての経験。

でもトイレの躾も良く、心配もなく我が家の生活に溶け込んだ。

 

 朝は心配そうに見送ってくれる。夕方帰宅すると、文字通り狂喜乱舞。

嬉しくて離れては居られない。本当に恋女房。

新婚の新妻が夫を待ち侘びる風情に較べられる光景だった。

 

 ある時、私が仕事の関係で二日ほど家に帰れなくなった事があった。二日ぶりに帰宅すると何時にも増しての喜び方である。まとわりついて離れない。踏み付けそうにさえなってしまう。中々興奮が収まらない。

 

 毎晩私の布団に潜り込んで寝ていたのだが、その夜も勿論離れない。

しかし、抱いてみると体の震えが止まらない。歓び方が嬉しく、「ノンコ」の温もりも疲れた身体に伝わり、私もすぐ眠りに落ちた。しかし、間も無く背中の異様な感覚に目覚めた。

 

 何か背中が熱いのだ。丸まった私の背中には「ノンコ」が張り付いている。やられた、そうか震えの止まらなかった原因はこれだったのか。

興奮の余り、トイレを忘れ、私もそれを忘れ寝てしまったのだ。小さな身体に似合わぬ、十分な量が私の寝巻きから下着までたっぷり濡らしてくれたのだった。

 

 やがて約束の日が過ぎ、「ノンコ」は東京に帰った。

電話の会話の折には必ず「ノンコ」に電話口に出てもらった。甘える声が耳に聞こえる事もあった。

「ノンコ」は何時までも私を忘れる事は無かった。やがて老衰で両目が白内障になり、耳も遠くなった。それでも私の電話には反応した。

 

 そして、東京へ帰ってからは一度も会うことは適わず、「ノンコ」は叔母の元で天寿を全うしたのだった。こうして「ノンコ」と私の恋は終りを告げたのだった。

 

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