登り始めて、しばらく。お茶タイムにしましょう。
「浅草岳」と「鬼ヶ面」の間の鞍部にて。
早春の「鬼ヶ面」を歩く
山の友の誘いは何時も唐突である。三月末の「鬼ヶ面」登山の話も、急な話だった。
妻と二人で相談したが、私の大事な会議の翌日でも有った。しかし懇親会を早めに抜け出し準備をする事で参加を決めた。
まだ朝も暗い約束の時間に、待ち合わせ場所に行ったが人影は無い。しばらく待ったが誰も来ない。
私達のあいまいな返事に、待たずに出発したと考え後を追った。道路の凍結に注意しつつ軽トラックを飛ばす。
登山口と思われる場所に到着し、探すがいない。
急遽目的地を変えたのかとも考え、会えなかったら一旦帰宅し、
家の近くの山に犬のマックスを連れて登ろうかと妻と相談していると、
一台の車に乗り合わせた仲間が謝りながら顔を出した。
前日の相談の結果、集合時間を三十分繰り下げたのだと言う。全員で大笑いしながら身支度をした。
三月末の雪は、好天の前触れの放射冷却現象の冷気により、表面が硬く凍り歩き易くなる。
今回のガイド役は、ここ新潟と福島にまたがる山系を得意の猟場とし、熊撃ちもする地元大白川生まれの先輩である。
民宿を営んでいた、先輩の兄上は、三年程前に不心得の山菜取りが遭難騒ぎを引き起こした際、
救助に出動し消防署員、警察官と共にブロック雪崩の直撃を受け、二重遭難の犠牲となってしまった。
そんな、悲しみなど全く見せず、淡々と歩かれる。スタイルはマタギ風で、ムジナの皮で作った尻皮と、
猟師独特の真ん丸なカンジキが貫禄を漂わす。
七十歳近い御年と思うが、平らなペースの見事な歩き方である。
休憩時間に山頂を望みながら、興味深いお話をする。
昔、この地域に途方も無く大きな鷲が住み着いていたそうである。猟師がいくら狙っても射止めることは出来なかった。
しかし、どこからか現れた、これまた巨大な鷲と縄張り争いの格闘を始めたそうだ。
戦いの末、敗れた大鷲は岸壁の岩棚に激突した。
収容されたその鷲の巨大さに人々は息を呑んだ。なんと片方の羽だけを広げても、
大人が両手を広げた幅より大きかったと言う。
そんな伝説的な話が似合うような山塊である。登りながら振り向くと、守門岳が朝日を浴びて輝いている。
守門岳に発生すると言う、日本一と言われる、大雪庇もいつかは見たいものだと思った。
(続く)